035.金曜日のマリカ
金曜日のマリカにはちょっとした悩みがあった。
マリカの世界はこの1週間で大きく変わった。
サポーター育成支援に応募したのは正解だったと間違いなく言える。
同じく応募して一緒に受けたユウキくん(高校生)は自分で頑張ると言っていたがいつの間にやらR・ダンジョン支援合同会社のバイト組に入っていた。
挨拶したらはじめマリカが誰か気づかなかった。
この1週間でずいぶん痩せて印象が変わってしまっていたらしい。ちょっと優越感。
少し話したところ、サポーターだった自分が急にやる気を出してもろくな人が集まらないし、サポーターが何言ってるんだと舐められてしまいうまくいかなかったのだという。もう少し周知されるまでバイトで軍資金を稼ごうと思った、ということらしい。
でもお姉さんは知っているのだ。ピーチガールズのリンゴにつられて決めたのだということを。有名人で美人でメイドさんだもんね。気になるよね。
周知されることを待っていたらせっかくのスタートダッシュの機会をふいにするのではないかと思ったが、マリカもR・ダンジョン支援合同会社に身を寄せているわけで、あえて何も言わなかった。
冗談みたいなバイト代をもらって働く毎日。一流の探索者ならはした金といえるのかもしれないが、大学生には大金で、マリカは実感がわいていない。まだ給料日が来てないのもある。当面週払いや日払いにすることもできるといわれていたのだけれど、普通に月払いでいいですと断った。
ダンジョン協会の大人の人と、マリカと同じような苦労をしてきたサポーターの人を連れてダンジョンに入り、モンスターを探しては倒すを繰り返す。
いっぱい歩くのでスキルがなくても痩せていたかもしれない。しかし毎日筋肉痛が来ないのはスキルのおかげだろう。
そうしている間に同僚が増えて、正規の従業員の人も増えて、今度は何十人も増えるらしい。
ミイナはすっかりR・ダンジョン支援合同会社の担当で、はじめはマリカについてくれていたが、今はマリカも指導する側として別行動になることもある。
リンゴはリュウイチのサポートをしながらトップ探索者の人たちの育成をしている。
トップ探索者の人はやはり迫力があって、報酬も多いこともあり、へたな担当をつけられないのだろう、リュウイチとピーチガールズのメンバーだけで対応している。
そう。
マリカはあの黄昏の世界を共に経験したのに、あまり状況に貢献できていない気がしているのである。
少なくともあとからやってきたピーチガールズの貢献度と比べると。
リュウイチが仕事を任せていることから、リンゴさんが特に信頼されていることは見て取れる。
マリカももっと役に立ちたい、立てるようになりたい。
氾濫が起きればマリカの生活も、友人たちも、家族も、どうなってしまうか。決していい想像なんてできない。
当事者なのにそうでない人よりも何もできていない気がする。
もっと何かできないか。
そんな気持ちがわいてきて、しかし、リュウイチがやっていること以上にできることなんて思いつかなくて。
マリカはもやもやとした気持ちを持て余しているのだった。
「じゃあマリカちゃん、リュウイチさんの秘書をやってみる?」
「秘書ですか?」
マリカの気持ちがわかるのは黄昏の世界を共有した二人しかいないだろう。
だが、リュウイチは一番忙しそうに働いていて、マリカのもやもやとは真逆にいるように思えた。
そこで思い切ってミイナに相談したところ、そんな答えが返ってきた。
「うーん、秘書というか補助というか。わたしも秘書が必要な立場に立ったことはないしなるつもりもなかったからよく知らないけど」
そう前置きしてミイナが言うことには。
リュウイチさんも慣れない管理職、しかもトップに立って苦労している、にもかかわらず仕事は増えるばかりで事務経理人事渉外その他を一人で賄っている。さらについに国まで出張ってきた。
どんなことでもリュウイチさんの仕事を肩代わりしてくれる人がいれば助かる。
現在リンゴが手伝っているが、彼女の所属は一時的なもの。
ミイナもダンジョン協会職員の立場で手伝っているが、R・ダンジョン支援合同会社の所属ではないので手を出せる範囲に限りがある。
スケジュール管理や資料の作成、来客の応対、連絡役などなど本人でなくともできることを抱え込んでいるのを緩和できるならなんであれ歓迎されるだろう。
「あとは現場のまとめ役でもいい。あるいは事務や経理もやってもらいたいことは山ほどあるのよ」
「でも、私アルバイトで」
学校とか行ってる場合じゃないのでは、という気持ちもあった。
大学生という立場が足を引っ張っているようにも思う。
「じゃあマリカちゃん社員になる?」
「大学に行きながら正規雇用ってことですか?」
「それでもいいけどね。学生で起業している人もいるんだから。マリカちゃんの都合がいいならね。でも今言ったのはそれとは違って」
なにやら、合同会社の社員というのは株式会社でいう役員、取締役に相当する経営に携わる立場の人間を指すのだそうだ。責任者であり経営陣とみなされる。
会社の方針決定に発言力を持ち、代表であるリュウイチも重要な決定をする際にはマリカの同意を必要とするようになる。
「そ、それはダメですよ。今何が起きるかわからないのに、対応が鈍くなっちゃう。今その社員がリュウイチさん一人なのはそういうことですよね?」
「その結果仕事が増えてって困っているのよね」
R・ダンジョン支援合同会社はリュウイチの独裁体制だ。
それは必要があってそうしているのであって、リュウイチの危機感に根差す判断と価値観を共有できる者がいまのところいないと、リュウイチが考えていることがその重要な理由。
ミイナは関係する別組織の一員なので現状は無理。
そしてマリカは危機感は共有できる。危機感だけは。あのダンジョンを超える超常現象を共に体験したマリカならば。
「まあリュウイチさんに聞いてみましょう」
ミイナが、マリカを引っ張ってリュウイチのもとに連行した。
「んー、気持ちはわかるけどいきなり実務を任せるのは無茶だしそれで責任者やれってのもかわいそうでしょ」
リュウイチとリンゴがお仕事をしている部屋に連れ込まれ、ミイナが事情を全ぶっぱした。マリカは顔を真っ赤にしながら様子をうかがっていると、そんな返答があった。
思わずマリカは肩を落とす。
それを見たリュウイチが慌てて言葉を重ねる。
「いや、それが普通だからね。大体の仕事は入社3か月くらいは見習いでそっから半人前、1年から3年くらいやってようやく一人前かなってところなんだよ。いきなり実務任せたって何が何だかわからないのが普通なの。わかんないうえ他人が主導してることの責任とか俺でも負いたくない」
フォローらしいことを言っているが、特に事態の解決には寄与しなかった。
まあそうですよね、といいながらミイナがリンゴに目を向ける。
「そういえば、リンゴさんはどうなんですか? ずっと探索者やってて経験ないですよね」
「この人らパーティで起業してるんだよ。んで主にリンゴが事務処理やってたんだと。だから6年だか7年だかの経験者。俺やミイナより長いよ」
「り、リンゴパイセン!?」
「いえいえ、代表夫人におかれましてはどんと構えていただかないとオフィスラブに走ってしまいますよ」
「絶対に許さない。七代先まで祟ってやる」
マリカはまだトップ探索者をなめていたのかもしれない、とショックを受けた。
高校生のころから探索者として以外の経験も積んでいたというのは、マリカが認識していたリンゴのすごさの理由付けのひとつ、年上だから長くやっているからというものを吹っ飛ばした。
マリカは大学卒業も近いのに手に何も持っていないように思えた。
「まあそういうわけだからマリカさんにいきなり仕事を任せるわけにはいかない。でもマリカさんが俺と一緒にやっていく意思があるなら、リンゴの抜ける穴を埋めることを前提に一から勉強を始めてもらうというのは一案だな」
任せるのは無理でも未経験からできる仕事もあるという。コピー取ったりお茶いれたりデータを入力したり書類を順番に並べたりそんなところから始めれば戦力になれるだろうと。
「あの、私やりたいです。やらせてください」
「わかった。ミイナとリンゴで教えてあげてくれる? ええと、明日はもうシフト動かしたくないから、月曜からかな。朝1コマから外れてもらって、朝は30分早く、終わりは1時間遅くなるけど大丈夫?」
「はい。休憩込み9時間になる計算ですよね」
「そう。フルタイム労働だよね、俺はもっと休みたい。一日3時間くらいでいい」
肩をすくめるリュウイチ。
それをみたリンゴとミイナがからみ始める。
「人の仕事増やして休みたいとはいい度胸ですよね」
「ですねえ。責任者は責任を取ってもらわないと」
「やめて、今書き物してんの! 見りゃわかるだろ! ヤメロォ!」
ばたばたし始める3名を見て、マリカは仕事を増やしちゃって申し訳ない、ような気がしたが気のせいだった。
それにしても、ミイナはわかるがリンゴもなんだかなかよしさんである、ということが気になってきた。
「ミイナさんとリンゴさんが呼び捨てで私がさん付けなのおかしくないですか?」
「うん?」
「へえ」
「ほう」
ふとした疑問がポロリと漏れた。
マリカにとってはリンゴはもちろんミイナもすごい人枠である。
なのに二人は呼び捨てで自分はさん付け。ミイナは関係が深いからわかるのだが。
しかしリュウイチはそれをどう受け取ったのか。
「なるほど、じゃあマリカには社員になってもらおうか」
「えっ!?」
なにがなるほどなのか、なんでそうなるのかわからなかったが、あれよあれよという間にマリカは社員にされてしまった。
後で説明されたが、責任者ではなく株主のような直接経営に携わらない立場の社員もあるらしく。
マリカはちょっと安心するのと同時に会社組織について確認しようと不勉強を反省するのだった。




