55、愚か者の愛し方
荒れた大地の上を灰色の砂が覆う。
留まってはさらさらと無音で風に舞っていく。
暑くも寒いというわけでもないのに、皮膚がひやりと冷えた。
場違いだと全身に突き付けられるような、足元が覚束ないような居心地の悪さ。
踏み込んだ足を砂が呑み込もうとしているように感じて足元を蹴った。
風化途中の頭蓋がぽかりとトカゲを見送る。
墓標のように無造作に地から朽ちた骨が幾重にもそそり立つ。
生者を拒絶するこの場所は、死者を安らかに受け入れるのだろうか
無臭なのに匂う、そうか、これが死の気配か
この大地全てが死した龍から出来ているのだとしたら、幾万もの死が積み重なっているのだろうな
鼻を覆っていた腕をどける。
じゃりっと音がした足をどければ、罅割れた小さな頭蓋がトカゲを見上げていた。
「眠ってる所悪いな。用が済んだらすぐ帰るからよ」
風に煽られ、頭蓋がカラカラと転がっていく。
カラカラ、カタコト
どうやらご不満だったらしい。
肩を竦めつつ転がった頭蓋の後を追う。
手の中で小刀を弄んだ。
お邪魔虫なのは承知の上だ。ま、お前等の方にワニをやる気は微塵もねぇがな
無言で歩を進めた。
さくさく、しゃりじゃり
迷う気持ちは何故か無い。
会えなかったらここで骨の仲間入りだが、この道の先にワニが居る気がした。
変だなと自分でも笑える。
道しるべも何もない道を、屍が手招きする道をただ迷いなく進む。
亡者の呻きの様な、悲哀と寂寥が募る様な風がごうごうと鳴る。
十分、一時間、何十時間?
時間の感覚が不透明になって曖昧に引き延ばされ続けた時、不意に視界が開けた。
風が止む。
灰色一色だった景色に鮮やかな色が付く。
足が止まった。
感動の再開で??
いや
自分の喉が絡まった声で音もなくワニを呼んだ気がした。
それとも零れたのは声なき悲鳴だったか?
制御を失う身体。震える喉元。地面が崩れ落ちたかのように足元からくずおれそうになる。
むわりと濃厚に漂う血の匂い。
先程までの死の匂いを塗り潰しそうな程の夥しい生の零れ堕ちた匂い。
鮮やかなまでの青一面は、燃え尽きる前の蝋燭の様に強烈に生を突き付け、そして近過ぎる死を寄り添わせる。
頭の中で母鰐の声がした。
『あんたも現実を見たら何も言えなくなるだろうさ。自分のしたこととその結果を受け止めるがいい』
生きているのか確かめるのが怖かった。
甘かった、まだ足りなかったと唇を強く強く噛み締める。
青い一面の中央に手足尾の無いワニがいた
達磨状態のワニの心臓をワニの戦斧が貫き地へと縫い付ける。
眼窩すらも横一線に潰されている。
吐きそうになるのを耐える。
ああ、確かに母鰐の言う通りだ。何も言えなくなる。握った小刀がやけに重く感じる。ただ会いてぇ一心でいた時の生きているという確信が揺らぐ。魂が凍えそうなほどこええよ
ワニをこんな姿にしたのが自分のしでかしたことだっつうなら、確かに罪深すぎる罪業だ
遅かったのか?間に合わなかったのか?
折れそうになる心に必死で喝を入れた。
馬鹿トカゲめ! ここで諦めたら何の為にここまで来たんだ。結果を受け止めるっつうなら、決めたのは共に生き抜く覚悟だなんて着飾った言葉で逃げてねぇで間に合えなかった現実ごと全部呑み込む覚悟でいけッ
深く息を吸って吐く。ワニを睨みつける。
震える膝に、震える手に力を込め、腹を据えて一歩踏み出そうとした時、ピクりとワニが動いた気がした。
「ッッ!! ワニ!!」
蹴った青い砂が足元で舞う。
傷口に触れぬように、その身体に抱きよった。
近付いてみて分かった。
腕や足の切り口を黒い呪文の円環が取り囲んでいる。
ゆっくりとだが再生しようとした先からじゅくじゅくと溶かして再生を阻んでいる。
反応の無いワニへの怒りが呪円に向かう。
「くそっ、このッ、外れろよ…!! ばかわに、勝手に死んでんじゃねーよ!!」
笑える程桁違いの濃密な魔力を呪円から感じる。
それでも躊躇わずに指を伸ばし、引き裂こうと指先に力を込めた。
しかし触れた先から指先が火ぶくれし、焦げた臭いと共に弾かれる。
くるくると滞りなく廻る円環。傷付き続けるワニの身体。
くそっ、くそっ…!
非力な我が身を呪って、現実を否定する為に無我夢中で何度も指先を伸ばした。
「はず、れろよ…!」
「…ト、カゲ…?」
「ッ!! ワニ!? …待ってろ、すぐ外してやるからッ」
ピクリと動いたワニが、不思議そうにかすれた声でトカゲの名を呼んだ。
場違いな程のどこか呑気な様子。
状況は何も変わらない。なのに、胸がつまりそうになって俯いた。
ワニからは見えぬ目に何の勝算などないまま、それでも安心させるように引き攣った笑みで強がる。
すぐ外してやるから。だから…、終わったらさ、一緒にくだらねぇ話でもしようや
自棄になっていた指先に小刀を握り直し、力を込めて振り下ろそうとした時ワニが微かに首を振った。
嫌な予感がしてピクリと身体が止まるも、そんな予感を振り払うように小刀を振り下ろす。
火花と共に甲高い音が響いて弾かれた。
黒焦げた震える右手を見下ろして、舌打ちと共に小刀を取りに行く。
「トカゲ、何で、いるんだー? 宰相や鳥から、何か、聞いてねーか? それとも幻の方かー?」
すんと鼻を鳴らして又も不思議そうにかすれた声でワニが独りごちる。
こんな時までいつも通りの呑気なワニに、怒りと一緒に生きていたという安堵で涙が零れかけた。
「このっっ、ばかのーてんきワニめっ。心臓に戦斧ぶっ刺してもあほは治らんかったんかよ! お前を迎えに来てやったんだよばかワニ! さっさと帰るぞ。あんなはした金でトカゲ様が許すわけねーだろ。帰ってきりきり働け。……こんな邪魔なもんはすぐ取っ払ってやるからよ」
ぐっと今度は弾かれないように両手で握って真っ黒な呪円に小刀を振り下ろす。
バチバチと火花が飛び、漏れ出た火花が手首を焼き、腕や足に当たって焦がす。
激しい音と共に数秒後、脆い肉体の方が先に焼き尽きて押し負けた小刀がまた地に落ちた。
毒づいて呪円の方を見るも傷一つ無く滞りなく廻っている。
あと四つ。ワニの体力はほぼない。壊す方法が思いつかない
間に合わないのか?ワニが死ぬのを横で見るのが罰か?
いやだいやだいやだ! まだ何か手がある筈だ。諦めるか、諦めてたまるか…!
「クッソ、あの母鰐め何が生命力を奪う小刀だ。クソの役にも立たねぇじゃねぇか! こうなりゃ手数でいってやる。諦めてたまるか。ワニもう少し待ってろよ」
もう一度小刀を握り直した時、ワニがまた首を振った。今度は分かるくらいに大きく。
「トカゲ十分だ。ありがとなー。金はあれで我慢してくれなー」
「ワニ何言って、金なんか今はどーでもいいさ! そりゃ見えてねぇからさっきのセリフ聞いて頼り無く思ったかもしれねぇが、安心しろ。トカゲ様に掛かればこんなもん―――」
「トカゲ大丈夫だ。この腕や尾も、目も、呪円も全部俺が頼んでやったことだからなー。トカゲはもう傷付く必要ねぇぞ」
「…は…?」
一瞬呼吸が止まる。
自分でやった?
混乱する。
は? 何でだ?意味が理解できない。何で、こんな
じゅくじゅくと肉が再生しては溶ける音だけが響く。
心臓から命が零れ堕ちる。
死ぬぞ。死んじまうんだぞ。なぁ、ワニ、何で
掠れた声が漏れる。
「なんで……」
「こうでもしねぇとトカゲを喰いに行ってたしなー。実際寝たトカゲを宰相の守りごと喰っちまってよー…。もう壊れて狂い堕ち掛けてて時間無かったからなぁ」
何でもないように、掠れた声でワ二が言う。
「トカゲ言ったろー? こんな形で言うのも格好つかねぇが、トカゲのことは俺の最期まで守ってやるよー。トカゲ愛してるぜ。こんな愛し方しかできねぇがよー」
「…」
「フラれてんのに未練がましいな」
再生した手を握る。
焼け焦げた手なんかよりもいたいいたい。
怒りが湧く。
血反吐はきながら、へらへら笑ってんじゃねーよ…!
「フッてねーよ…」
「?」
「この、勘違い先走り駄ワニめ。誰がいつお前のことフったよ。そりゃすぐに答え返せなかったけどよ…。ワニと一生を一緒に生きたいって覚悟決めたんだぞ。お前が、先に死んでどうすんだよ。なぁワニ、お前が私を愛する覚悟があるっつぅなら、こんなとこでくたばってんじゃねーよ…。一緒に生きてぇっつったろ…! 生き抜く気合見せてみろや!」
「……ハッ…! トカゲ、本気か? 嘘じゃねーのか?」
「このトカゲ様がこんなつまんねぇ嘘吐くかよ!」
「だってよ、俺はトカゲのこと喰っちまうし、種族ちげーし頭もわりーし」
「そんなん最初っから分かってて求婚してたのはワニだろ。今更逃げてんじゃねーよ。そりゃ喰われるのは今だって嫌だがよ、それでもって思っちまったんだ。責任取れよばかわに」
赤い記憶なんかとっくに青色で塗り潰されたわ
自分のエゴで喰いに来た親父と、トカゲを守るために自分を喰って腕を差し出す馬鹿が同じなわけねぇだろ
目の見えないワニの頬を持ち、その奥を見透かす様に見つめる。
本気だよ。信じろよ。…本気なんだよばかわに
じわじわとワニの鱗が深く色付いた。
「…ハッ、…ガッハッハ! こりゃいい!! 最高だ! 最高の夢の様な逆転劇だ!」
「喜ぶのは帰ってからするぞ。傷口開くんだから今は黙って―――」
有頂天で浮かれだしたバカワニが暴れるもんで、傷口が気になってひやひやする。
こいつ、達磨状態の癖にわりと元気かよ
こんな絶望的な状況なのに、何故か何でも出来そうな幸福感で小さく笑みが零れる。
ああそうだ、こいつが掛けたんなら両想いになったって気付いた今なら呪円だって解けるかもしんねぇ。そしたら―――
大笑いが引いて静かになったワニが明るく牙を見せて笑った。
「ああ、最高の餞別だな」
「は? ワニ何言って……。てめぇ、まさかこの後に及んでてめぇを慰めるためにトカゲ様が噓ついてやってるとか思ってんじゃねーだろうな。いい加減にしろよ。本気見せてやる。ひでぇ式だが血婚今からしてやるよ。やり方教えろ。覚悟しやがれ」
さすがにこの鈍感野郎が許せなくなって頭を揺さぶる。身体の状態とか知るか!
こいつ、乙女心馬鹿にしやがってマジ許さん
ぐわんぐわんと揺らしていると、笑っていたワニがトカゲの名を呼んだ。
改まって呼ばれると止めるしかなくなる。ずるいと思う。
「トカゲ、血婚は出来ねぇ」
「は!? 何でだよ、まだ疑ってんのかよ…! 本気見せてやるっつったろ。やり方教えやがれ」
「駄目だ」
「何でだよ、ワニがずっとやりたがってたじゃねーか。さっきだって喜んでたじゃねーか。何でそんなこと言うんだよ」
肩を掴む手を更に強く握る。
「なんだよ、告白が遅いからって嫌いになったのかよ」
「んなわけねーぜー」
「なら!」
「トカゲとは血婚出来ねえ」
「ッ! ほんとは嫌いになったんだろ。別に、嫌ってもいいから、なぁワニ血婚したら寿命伸びるんだろ? 力湧くんだろ? 死ぬなよ。死なないでくれよ」
嘲笑うかのような周囲の気配を悟った。
自分でも支離滅裂なこと言ってる自覚はあった。
でもワニが、こんな馬鹿なことするワニが断固として言うのだ。
ほらまたあの気配だ
やめろ、ワニをそっちへ連れてくなよ
頼む、頼むから
我慢していた涙が留められなくなる。
周囲からひたひたと忍び寄る死の気配を牽制するように頭を振って否定する。
なのにワニは涙を降らせど翻意しない。
自分が死にそうな癖に、労わる様な優しい喉音だけが響く。
「トカゲ、だからだよ。呪円は解けねぇ。失った寿命は戻らねぇ。だから俺のと分けてもトカゲの短い寿命が半分になるだけだ。俺が愛しいトカゲにそんなの望むわけねーだろー」
「ッ、寿命が短くなるなんざむしろ好都合だっつの。だから気にせず」
「駄目だ」
「何でだよ!! 何で何で馬鹿ワニッッ」
悔しくて悔しくて地面を何度も殴る。
何で受け入れる。何で諦める
何で少しでも一緒に生きようとしてくれねぇ
寿命が減ってもそれで幸せになれねぇと何故決めつける!!
くそッ、くそう
「俺はトカゲに長く生きて欲しいんだって。惚れた女で妻になったんなら猶更だろー?」
「妻にしねぇ癖にほざいてんじゃねーよ」
「トカゲは俺の最期まで俺のもんだからいーんだよ」
「ぬかせ」
へらへらと笑いながら浅い呼吸を繰り返すワニ。
ああそうか、もう時間がないのか
ワニの前でうずくまったまま小刀を握る。
やけに小さい、やけに確かで重い。
金属音を聞いたワニが神へ祈る様に静かに首を垂れる。
「おいワニ、死ぬのか」
「ああトカゲ、さよならだ」
「とどめを刺せと言うのか」
「トカゲならしてくれるんだろ。甘ぇトカゲが殺してくれるなんて、まさか龍族の最高の死に方が出来るとは夢にも思わなかったなー…」
「趣味悪ぃぞばかワニ。浮かれてんじゃねーよ」
「へへっ、トカゲひと思いにやってくれなー…」
握って握って、鋭さもない爪が刺さり血が滴る程握って
覚悟なんてそんなんとっくに出来てるって知って
自分でもどんな顔で笑ってんのか分かんないままに立ち上がってワニを見下ろした。
躊躇う。深呼吸する。
たぶん、惜しんでるのはワニとの時間だなんて、そんなくせぇこと言えねーしな
「ああ、ひと思いにやってやるさ。有難く受け取れよバカワニッッ!!」
覚悟を決める。
ああ、運命様、てめぇの勝ちだよ
ひと思いにワニの首ではなく自分の心臓へと死の切っ先を振り下ろした。
お前ばっか浮かれさせるのは癪なんだよばーか
お前ばっか格好つけさせてたまるかよばーか
お前ばっか無茶させてられるかよばかわに
脳裏に父龍の言葉が蘇る。
『君に一つ教えてあげる。僕達龍族と一番目との関係は思っている以上に深い。だから――――
このナイフで自分の心臓を抉り出して、ワニの心臓に捧げてあげなさい。死の間際の生き血と願いなら、あの状態でも生き長らえるかもしれない』
死の間際の血と願い
結局父龍や運命様どおりの結末か
泣いても、神に頼んでも現実は変わりゃしねぇ
そんなもん産まれた時から知ってるさ
だけどよ、この私の命をやるんだ。ワニだけは返してもらうぜ?死神様よォッ
この望み、奪えるもんなら奪ってみやがれッ!!
ぞぷりといともたやすく小刀が左胸に刺さった瞬間、急激に体温が下がる。
灼熱を持ち始めた小刀に生命力が、命の欠片が吸い尽くされていくのが分かる。
「はッ、このとんま刀め。クソの役にも立たねえ癖に大喰らいだなァッ。っふぅ、最期くらい働いてもらうぜぇ?」
治らぬ傷口からみるみる体温が下がり、視界が明滅する。
噴き出す熱い血がぼたりぼたりと落ちて青い砂を赤く汚す。
濃密な血の匂いと共に口端から血が零れた。
そうか、これが本当の死か
やっぱ薄ら寒いもんなんだな
蜥蜴族は寒いの苦手なんだよ
強がりつつ、更に小刀を押し付けて傷口を広げた。
濃密な血の匂いと、異音。
いつまでも来ぬ死にワニが動揺の声を上げる。
「ト…カゲ……? な、にして」
「ハッ、お前ばっか、かっこ、つけさせるかよ」
「まさか…ッ!!」
ようやく状況を知ったワニがもがく。
だが動けぬ身体じゃ止めれる筈もない。
「やめろ!! やめてくれトカゲ!!」
「はっ、ワニの言うことなんか、聞くかばーか」
握る力すら無くなり、小刀がトサ…と地面に転がった。
震える右手を傷口に入れれば、焼けそうな程の熱と、激しい鼓動を刻む心臓に指が触れる。
ごぽりと血の塊を吐きだしつつ、深呼吸と共に一気に心臓を引き抜く。
明滅し、歪む視界。
吐き出した血がワニ濡らす。
「ざまー、みろ、そんな、状態じゃ、あ逃げ、れ、ねーな、ばーか」
「トカゲ、トカゲ、頼む、俺は」
生命力が足りず、再生スピードが衰え、自壊を始めたのが分かる。
くずおれ、跪いた足先からほろほろと崩れ落ちてゆく。
再生したばかりの鼓動が少しづつ小さくなっていくのが笑えた。
不思議と、気持ちは晴れやかだ。
もっと未練たらたらで、無様に生き足掻いた死に方だと思ってたのによ
なんだ、意外と笑えんじゃねーか
「ばかわに、鰐族は喰ったら一緒なんだろ?」
「ッツ、ああ」
「喰い愛てぇっつーのは、最期まで分かんなかったが、喰われたんじゃねぇ。このトカゲ様が、ワニに喰わせてやるんだ。分かったか? だから、味わって喰えよ? 一滴も残すんじゃねぇ」
「ッ!! 何で、そんなひでぇこと言いやがるトカゲ!! 俺はトカゲの居ない世界じゃ―――」
「ばーか、ワニの中で、生きてやるっつってんだ。このトカゲ様が居てやるんだから―――ちゃんと、生きやがれ。くたばんじゃねーぞ」
見えない潰れた目から涙をこぼすワニ。
このトカゲ様の一世一代の告白の最期に見るのが、初めてみたワニの泣き顔じゃぁ締まらねーじゃねーか
力を振り絞って握れば、心臓から真っ赤な鮮血が滴った。
ワニの心臓と混ざって溶ける。
ほろほろ、ほろほろとトカゲだったものが空に消えていく。
泡立つ傷口と、綻び出した呪円。光沢を取り戻し始めた新緑の鱗をみて勝利の確信から笑みが零れた。
血に濡れた両手をワニの頬へとそっと添える。
ワニの目から零れる涙へと舌先を伸ばし、掬い取れば、閉じていた眼窩が開かれ美しい金眼と目が合った。
「泣くなよ、ばかワニ。夢ん中で、死体ばっかなのは、趣味じゃねーから、花畑と、ペットも欲しい。家は、小さ、すぎなのは、嫌だが、でかくなくても、いいや。美味いもんは、用意しろよ?」
静かに泪を零し顔を歪めるワニ。
触れていた手が粒となって風に溶けた。
あー、こんな遺言じゃぁ、それこそ締まらねーか
そっと、自分の意思でする最初で最期の触れるだけのキスを
なぁ、ちゃんと綺麗に笑えてるか?
「じゃあなワニ、嫌いじゃなかったぜ」
あんだけ啖呵切ったのに言えてねぇって?
熱がないまま言うのは照れ臭ぇんだよ
何かを言おうとしたワニだがもう何も聞こえない、見えない。
あれだけ生き足掻いたのに存外呆気ないものだと、内心肩を竦めて
まぁ最底辺なりに楽しめた魔生だったと―――
振り返ろうとして呆気ないほど簡単に、トカゲの意識はぷつりと消失した。




