171.ダーウィン連合国家の公子の訪れについて 2
「……ヴァン、あんたここでのんびりしていていいの?」
フロノスは、目の前でどこか腑抜けた様子のヴァンの事を見て、呆れた様子を向けている。ダーウィン連合国家の公子がこの国にやってきている。それもヴァンが大切に思っているナディアと婚約を結びたいという名目のもとである。
その事実をナディアからヴァンに知らされたのをフロノスは知っている。ヴァンの召喚獣から知らされたのである。
(ナディア様が誰かにかっさらわれてもいいのかしら。というか、ヴァンがこんなに腑抜けた様子なのは初めて見る。それだけナディア様の事が大切だって事だろうけど)
フロノスはまじまじと目の前で情けない顔をさらしているヴァンを見ている。
ヴァンはナディアが婚約をするかもしれない、という事実を改めて実感して何だか心をざわつかせている。自分がどうしたのか、それが分からないでいた。
「……何が」
「何がって、ナディア様の事よ。ナディア様と婚約をしたいって公子様が来ているんでしょう。このままでいいのって聞いているのよ」
ナディアの誕生日プレゼントに何をあげようかと考えていた時のヴァンは生き生きしていた。ナディアが喜んでくれるかなとそればかり考えて。だけどナディアの誕生日が近づいているというのに、今のヴァンは心ここにあらずといった様子だ。
「………」
ヴァンは無言である。
何か考えるような素振りを見せて、何か言いかけるけれど何も言わない。
「―――ヴァン、あんた、ちゃんと考えなさい。そんなに情けない顔晒してないで、シャキッとしなさい」
「……考え、る」
「そうよ。考えなさい。あんた自身がどうしたいか。それで後悔しないように動かないと、後から後悔するわよ」
今までヴァンはそこまで悩んだ事がなかったのではないかと、フロノスは感じていた。
(ヴァンは天才だ。魔法も、召喚獣も多分、何も苦労せずにできていた。やりたいことをやりたいようにただ行動し続け、それで挫折なんてしたことなかったんじゃないだろうか。天才だからこそ、そんな深く悩んだ事がなかった。それにヴァンはナディア様以外をあまり大切にしていない。ナディア様だけが大切だから、ナディア様の事だからこそこんな風になってる)
目の前にいる少年は、天才である。でも天才であってもフロノスよりも年下の少年だ。魔法の腕も、召喚獣の数も上だ。だけれどもフロノスよりも年下の弟弟子だ。困っているのならば、悩んでいるのならば、姉弟子として背中を押してあげたいと思っている。
「……考え、る。後悔しないように」
「ええ、そうよ。どう動きたいのか、何を思っているのか。それをきちんと考えてちゃんと行動に出なさいね」
思い悩んでいる弟弟子の背中を押すために、フロノスはそんな言葉を言い放つ。
フロノスの言葉を聞いて、ヴァンはまた無言になった。それを見てフロノスは踵を返してその場を後にするのであった。
残されたヴァンは、フロノスの言葉にも立ち尽くしたままだ。
(……俺がどうしたいか。ナディアの婚約が決まりそうな中で、俺に何が出来るんだ?)
ナディア・カインズが誰かと婚約を結ぶにせよ、それで自分が何を出来るのか———ヴァンは思考する。
(そもそも、俺は……どうしたいんだ。ナディアが婚約を結ぶって事になったら……それで俺は? 俺は何を思ってる? ……喜ぶべきことのはず、だけど……)
ヴァンはそこまで考えて、魔法を使ってナディアの様子を見に行くことにした。
ナディアの元へと向かいながらも、ヴァンの心は落ち着かない。通常ならナディアの姿が見れるだけで心が躍るというのに、今は、そんな気分にもならない。
(ナディアが元気だと、俺は嬉しい。ナディアが笑っててくれると嬉しくて仕方がない。――俺はナディアが笑ってられるようにナディアを守りたかった。ただ、それだけだった……はず)
自分の気持ち。自分が何をしたかったか。ただヴァンは単純に、ナディアに笑っていてほしかった。ナディアが笑っていられるように守りたかった。ずっとそれだけを考えていた。そのためだけに行動し続けていた。
ヴァンは……ナディアの様子を見る。
ナディアは、ダーウィン連合国家の公子と共に居た。公子の事を案内しているのだろう。
ナディアは、笑ってる。
何の会話をしているかまでは聞こえない。そんな距離から、ヴァンはこっそりとナディアの事を見る。
(ナディアが笑ってる。俺の大好きな笑みで。その笑顔を見るのが俺は大好きで。だけど———)
ナディアの笑みが嬉しいと思う。けれども——。
(ああ、そうだ、俺は……その笑顔を、俺に向けて欲しいんだ)
その心を、ナディアと公子を見てヴァンは自覚した。
――――ダーウィン連合国家の公子の訪れについて 2
(公子の訪れに、少年の心は乱れている。そして第三王女と公子の様子を見て、少年は自覚する)




