7 研究所にて②
エイシャたちは別室に移動し、イェスペルやその助手たちの指示で離れたりくっついたり、今度は階段のある場所に移動してどれくらいの高低差で入れ替わるのかを確認したりした。
(……うー……覚悟はしていたけれど、何度も入れ替わるのは、正直きつい……)
検査をした後、それぞれトイレにも行ったが……用を足している異性の側にもいないといけないのは、かなり辛い。
ディーノの方はあまり気にしていないようだが、エイシャの方はトイレのドアの向こうにディーノがいると思うと恥ずかしいので、ウルバーノが持ってきていた耳栓をしてもらった。
ディーノは「出すもんを出すだけじゃねぇか」と言っていたので彼の脇腹をつねり、イェスペルの待つ診察室に戻った。
「おかえり。……今の検査で分かったことだけれど、二人の体が入れ替わるのは半径十メートルくらいだね」
「えっ」
「うん?」
「……俺たちも今朝、入れ替わったのだが……そのときはもう少し離れたところまで大丈夫だったはずだ」
思わず声を上げたエイシャの代わりにディーノが言ってくれたので、エイシャもこくこくうなずいた。
今イェスペルは「半径十メートルくらい」と言ったが、今朝階段を下りていたときのディーノと部屋で眠っていたエイシャは、もっと距離があったはずだ。
それを聞いたイェスペルは、「なるほどね……」と何かをカルテに書き込んだ。
「もしかすると、そのときの状況やそれぞれの精神状態に応じて範囲が変わるのかもしれないね」
「えっ……それじゃあ、こう、ぴったりとくっついていないとだめって場合もあるのですか?」
そう言いながらエイシャがディーノの肩にくっつくと、イェスペルは首をひねった。
「絶対にない、とは言い切れないね。……ただ状況を鑑みるに、それぞれが落ち着いた状態だったり意識がぼんやりしている状態だったりすると許容範囲が広くなり、緊張しているときだと狭くなる気がする。なるべく落ち着いた生活を送るように心がけていたら、ある程度離れても大丈夫なのかもしれない」
「なるほど……」
「それで、次の話だけど……その前に、エイシャさん。ディーノ君が困っているから、少し離れてあげたら?」
「えっ?」
「おい……」
不機嫌そうな声がする方を見れば、じろりとこちらを睨むディーノが。
(……あ、そうだ! 肩、くっつけたままだった!)
「ごめんね、ディーノ。狭かった?」
「……そういうわけじゃねぇ」
「そう?」
「……えーっと。じゃ、話を戻すね」
イェスペルは咳払いをして、カルテを膝に置いた。
「おそらく君たちは、半径十メートルから二十メートルほど離れると、体が入れ替わってしまうようだ。この問題を解決するには、ディーノ君にこの『祝福』を施した妖精を捕まえるしかない」
「捕まえられるもんなのか……? あいつ、自己満足して飛んでいったぞ」
「最近では妖精の研究も進んでいて、ディーノ君に掛けられた『祝福』から術者の魔力を検出し、それをもとに妖精を探すことができる。そしてどうやら妖精はディーノ君の言うことは聞くみたいだから、君が妖精にその『祝福』を解除するように頼めばなんとかなるはずだ」
「……あの。検出するとき、ディーノが苦しい思いをしたりはしませんか?」
おずおずとエイシャが問うと、ディーノは「おい……」と苦々しげに言った。
だがイェスペルは微笑んで、エイシャを見てきた。
「少しくらっとするかもしれないけれど、それくらいだ。後は妖精が捕まるまで、君たちには慎重に過ごしてもらいたいけれど……ディーノ君は、騎士団員だったかな」
「ああ。今日は休んでいるが、さすがに妖精が見つかるまで何日も休むのは難しい」
「そうだよね。……このことに関しては悪いけれど、君たちで解決してほしい。我々は妖精を追いかけることに専念したいのでね」
「分かっている。……頼んだ」
「もちろん。……ちなみに、このことは誰に伝えている?」
イェスペルに問われたので、エイシャはええと、と指を折った。
「私の方は、両親とお付きの侍女一人だけです。それからロヴネル家の方は……」
「今のところは従者のウルバーノと、世話をしてくれる使用人四人だけだ。あとは仕事の都合を付けるためにも、父上には言うべきかと思っている」
「うん、それくらいで収めておくべきだね。……二人とも貴族だし、ある程度離れると体が入れ替わるなんてことを不特定多数の者に知られたらよくないだろう」
イェスペルに神妙な口調で言われて、エイシャはごくっとつばを呑んでうなずいた。
(……そうだわ。私の方はともかく、ディーノが失職する可能性だって十分あるわ……)
だとしたらやはり、このことはできる限り内密にしなければならない。
ただでさえディーノはこのことを自分のせいだと思っているのだから、問題が発生すればますます彼は自分を責めてしまうだろう。
その後ディーノが検査室に行き、「なんかベッドに寝た後、変なものを被せられた」ということで妖精の魔力を検出されたようだ。
後のことはイェスペルたちに任せ、エイシャとディーノはロヴネル邸に戻った。
「……さて、どうすっかな」
リビングのソファに伸びたディーノが疲れた声で言うので、ウルバーノから受け取ったホットココア入りのマグを手に向かいの席に座ったエイシャは、おずおずと口を開いた。
「その……まずは、明日からのことを決めないといけないわね」
「そうだな。……父上に相談すれば、なるべく外回りの仕事は減らせるはずだ。あと、ずっと無視していた城内の立ち番をやってもいいかもしれない」
「立ち番って、こう、廊下とかに立っているお仕事?」
騎士の仕事にもいろいろあり、エイシャも城に行った際に廊下で警備をしている騎士たちをよく見かける。
「そう、それだ。俺は顔がいいから、実はあの仕事にもたびたび推薦されていたんだ……おい、変な顔をすんな」
「……顔がいい自覚はあるのね」
「この顔で不細工とか言ったら卑下どころじゃなくてむしろ嫌みだろう」
「それはそうだけど……」
確かに、ディーノは格好いい。甘くて優しいとろけるような美貌とはほど遠いが、きりっとした顔立ちはなかなかワイルドで、クールな感じがして格好いい。
何を隠そう、彼と長い間不仲だったエイシャでさえ、ディーノのこの顔は格好いいと思っているし正直かなり好きな部類だった。
「……それで。立ち番になるとあまり動かなくていいから、都合がいいと?」
「ああ。あれには、顔がよくて身長が高い者が推薦される。ただ一日中突っ立っていることになって疲れるから、進んでやりたがる者はいない。……立ち番なら定位置にいればいいから、俺の背後に隠れるようにおまえが座っていればいい。万が一うっかり入れ替わっても、立っているだけならよろめくこともないだろう」
「確かに……」
「ただ、さすがに何日も立ち番というわけにはいかない。どうしても後輩の指導や警備、鍛錬はしないといけない」
「そのときに入れ替わっても、私は何もできないわ……ごめんなさい」
「馬鹿、おまえが謝るな。そうならないようにする方法を考えればいいんだ」
そう言ってディーノは、考え込んだ。少しうつむいているので硬質な金髪が額に垂れていて、どことなく色っぽい。
(……って、見とれている場合じゃないわ! 私も方法を、考えないと……!)
「……ああ、そうだ」
「何?」
「おまえ、男になってみないか?」
「……はい?」




