表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/25

23 虚像の恋②

(私、前はこの人のことを素敵だと思っていたのよね……)


「私はもう、あなたのことが好きでもなんでもないの! それなのにあんな卑怯なやり方で誘拐までして……ほんっとうに無理なの、無理!」

「む、無理……?」

「ええ、そうよ!」


 エイシャは吐き捨てるように言うと、剣を構えた。


 ひとまず形だけ教わったのみの、ハリボテの剣術。

 だが――これがエイシャの気持ちの表れなのだと、オスヴァルトに伝えたかった。


「私は……私の好きな人は、あなたなんかじゃない!」

「何を――」

「私の好きな人はね! 顔はいいけれど口は悪くて意地が悪くて態度がでかくて不良みたいな話し方をする……でも、私の心も体も意志も守ってくれる、とっても素敵な人なの!」


 エイシャは、ディーノを見た。

 ディーノは唇を引き結んでいたが――静かに微笑み、いきなりがくん、と体を震わせた。


「何だ……」


 ディーノがよろめいたのを見て、オスヴァルトがそちらを見る。ディーノはふらつきながらも膝立ちになり――そして、言った。


「……私はもう大丈夫よ! やって、ディーノ!」

と。


 オスヴァルトの視線が、迷った。

 彼は、今の衝撃でエイシャとディーノが入れ替わったと思い込んでいる。


 ディーノの作戦に気づいたエイシャは、剣を構えて突進した。

 ハリボテの構えではあるが、今のオスヴァルトに冷静な判断力はなく――迷った末に彼は、正面から突進してくるエイシャを迎え撃つべく剣を構えた。


 そして、エイシャが構える剣がオスヴァルトの剣に触れそうになった――瞬間、視点がぐるんっと回転した。


 自分の体に戻ったエイシャがどさっとベッドに倒れ込んだ直後、ディーノが騎士剣の一撃でオスヴァルトの剣を強打して、打ち上げた。


 天井すれすれまで飛んだ剣は、やがて壁にぶつかって乾いた音を立てて転がった。

 すぐにウルバーノがそれを回収して、ディーノは武器を失ったオスヴァルトには目もくれずにベッドをひとっ跳びで越えると、エイシャの体を抱きしめた。


「……無事か、エイシャ」

「あなたこそ……」


 かすれる声で互いの安否を確認し、ディーノはエイシャの手足を縛っていた縄に剣で切れ目を入れ、引きちぎった。

 解放された手足を見ると縄の形であざができていてぎょっとしたが、それ以外で違和感はない。


(助かった……!)


「ディーノ……ありがとう」

「それは、俺の台詞だ。……ありがとう、エイシャ」


 自由になった手でディーノの上着を掴むと彼は目尻を緩めて剣を手放し、両腕でぎゅっとエイシャを抱きしめてくれた。


 この力強さが、ぬくもりが、匂いが、エイシャを安堵させてくれる。

 ディーノ、ディーノ、と何度も彼の名を呼びたくなる。


「……くっ……よくも……!」


 剣を失ったオスヴァルトがふらつきつつ立ち上がるが、彼は部屋の入り口を見てきっとまなじりをつり上げた。


「……貴様ら! よくも僕を裏切ったな! たかが使用人の分際で……!」

「……もうやめましょう、坊ちゃま」


 しわがれた声でそう言うのは、ここまでエイシャたちを案内してくれた老執事。

 彼の背後にはメイドや従僕などの様々な立場の使用人たちがずらっと控えている。彼らの表情はどれも、浮かない。


「坊ちゃまが心の支えとして、エイシャ様を欲してらっしゃる気持ちはよく分かります。ですが……もう、お気づきでしょう。このやり方では、エイシャ様のお心を手に入れることはできないのです」

「嘘だ! 僕は、僕は……間違っていない! なぜだ、人を愛することの、何がいけないんだ!? なぜ、僕はいつもディーノ・ロヴネルに勝てないんだ!」


 オスヴァルトは絶叫して、ふかふかピンクの床に拳を打ち付けた。


「エイシャ嬢さえ、彼女さえ手に入れば、それでうまくいくはずだった! ディーノ・ロヴネルの鼻を明かして、貶めて……そして僕は、エイシャ嬢の支えを得られて……」

「それが、過ちなのです。……あなたは、とても優秀な方です。誰かと比較する必要なんて、なかったのです。……そしてどんな事情があろうと、自分の欲望のために誰かを犠牲にしてはなりません。たとえ愛するものをそれで手に入れたとしても、それが本当の幸せにはつながらないのです」


 執事は、淡々と語る。

 おそらく……彼はこれまでにも同じことを、何度も言い聞かせていたのだろう。

 そのたびにオスヴァルトは反発し、「そんなわけがない」と自分に言い聞かせ……そしてついに、エイシャを誘拐するに至った。


 執事たちも、オスヴァルトを止められなかったことを悔いているのだろう。

 だからこそ彼らは突然やってきたエイシャ――ディーノを見ても驚かず、むしろ喜んで中に通してくれたのだ。


(オスヴァルト様……)


 エイシャはこくっとつばを呑んでディーノの胸を軽く叩き、腕の中から解放してもらった。そして、うなだれるオスヴァルトに近づく。


「……オスヴァルト様。あなたは、私を愛していると言いましたね?」

「ああ、愛している! あなたがほしかったんだ!」


 ぱっと顔を上げたオスヴァルトのハシバミの瞳は、どろりと濁っている。この期に及んでもまだ、自分が間違っていると思わない……認められていないのだろう。


 哀れ、という言葉がエイシャの頭の中に浮かんだがそれを口にしたりはせず、エイシャは室内に視線を向けた。


「……この部屋、とっても可愛いですね。ピンク色で、フリフリしていて……愛らしいです」

「……あ、ああ、そうだろう、そうだろう!? あなたのために、全てそろえて……」

「でもね」


 エイシャはオスヴァルトを見下ろし、寂しそうに微笑んだ。


「……私の好きな色は、オレンジ色や黄色なのです。ピンクは、そこまで好きではありません」

「……は」

「……オスヴァルト様。あなたが『愛していた』のは、実在しないエイシャ・フォーリーンだったようです。ピンク色が好きなエイシャ・フォーリーンは、存在しません。……あなたはずっと、虚像に恋をしていたのですね」


 エイシャの言葉に、オスヴァルトはくしゃりと顔をゆがめて泣き笑いのような表情になった。


 もう、彼のハシバミの瞳は濁っていなかった。














 エイシャ・フォーリーンを誘拐したことで、オスヴァルト・エックは捕縛された。


 高貴な身の上の彼がまさか男爵令嬢ごときを手に入れるために罪を犯すなんて、と多くの人たちは我が耳を疑った。だが法廷にてオスヴァルトは自分の非を認め、エック家の嫡男としての身分や騎士の階級を全て剥奪された上で、国外へ去っていった。


 法廷では、「生涯王都への出入りを禁ずる」という罰が決まったが、よりいっそう重い罪を望んだのはオスヴァルト本人だったという。


 もう、彼が王国の土を踏むことはないだろう。


 だがもしかすると、時が流れれば……彼はその心を照らしてくれる、ピンク色が好きな女性と出会えているかもしれないだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ