22 虚像の恋①
場所は、騎士団の医務室。
「……なるほど、オスヴァルト様はエック邸に戻られたのね」
「そのようですね。ということは、エイシャ様の体――つまりはディーノ様を、ご自宅に連れて帰った可能性が高いです」
「え、怖……」
思わず本音を漏らすと、情報を持ってきたウルバーノとクリスも、「確かに……」「ここまでいくと、ちょっと……」と言葉を濁していた。
(意識のない私の体を連れて帰って、屋敷で何をするつもりなの……?)
だいたいの予想は付くがその体の中に入っているのがディーノの魂だと思うと、別の意味でも恐ろしくなる。
「すぐに行かないと……!」
「行き先がエック邸ならば、ディーノ様が同僚のオスヴァルト様に相談したいことがあって訪問した、という理由が使えますね」
「ええ。場所が廃屋とかでなくてよかったです」
確かに、王都を出たところが行き先だった捜索もその言い訳も難しくなるが、王都内にあるエック邸ならばディーノの立場で訪問するのもさほどおかしなことではないだろう。
「それじゃあすぐに、行きましょう! ディーノも……薬を嗅がされたけれど、目が覚めているかしら……」
「覚めていたら覚めていたで、あの方ならオスヴァルト様相手にも容赦なく喧嘩を売りそうですね」
「どう考えてもオスヴァルト様の目的は拉致監禁でしょうから、中身がディーノ様だと分かると手出しをやめてくれるかもしれません」
「……そうだといいけれど、それでディーノが傷つくことがあってはならないわ」
エイシャは、ディーノが優しい人であると知っている。
きっと彼は……エイシャの体が穢されたりしないようにしてくれるだろう。
たった一人で戦わなければならない彼を、早く助け出さなければならない。
すぐに準備が進められ、エイシャはウルバーノとクリスと一緒に馬車に乗り込むことになった。
「あ、そうだ。エイシャ様、念のためにこちらを」
「……剣?」
馬車に乗る前にウルバーノに渡されたのは、ずっしりと重そうな剣。いつもディーノが仕事中に腰に下げている騎士剣だ。
恐る恐る受け取るが、さすがディーノの体は重そうな剣を手にしてもびくともしない。
「……でも私、剣なんて使えないわよ」
「でも確か、いざというときのために構えだけは教わっていましたよね?」
「そうだけど……」
ウルバーノの言うように、エイシャは「仕事中に入れ替わったとしても、最低限のごまかしができるようにするため」ということで、ディーノから立ち方と剣の構え方だけは教わっていた。
ディーノだってエイシャのまねができるよう淑女の歩き方を学んだのだから、エイシャだって同じように勉強するべきだ。その一心で教わって、なんとかハリボテながらに格好だけは付くようにしていた。
迷うエイシャに、ウルバーノが微笑みかけた。
「いいんですよ、なんちゃってで。突撃するとなったとしても、ディーノ様の姿をしたあなたが剣を持ってずかずかと歩くだけで、かなり効果があるはずですから」
「そ、そうなのね。……分かった、頑張るわ」
決心したエイシャは、剣を腰に付けた。
ディーノの小姓ごっこをしているときに剣帯の扱い方も教えてもらっていたので、少し手間取りはしたがなんとか一人で剣を装備することができた。
「では、参ります!」
御者台に乗ったウルバーノが、馬に鞭をくれた。
馬が高くいななき、もう夜の色が濃くなりつつある王都に飛び出していった。
目的地であるエック邸は、王城を出発して四半刻も掛からずに到着した。
「うわ、大きな屋敷……!」
「もし隠し部屋などがあれば、ここを一から探すのはさすがに難しそうですね……」
さすが王家の血を引くエック家の屋敷だけあり、離宮の一つかと思うほど大きい。
庭も広く、門をくぐって玄関にたどり着く前の間も馬車を利用しないととんでもない時間が掛かりそうだ。
「では、エイシャ様。ここからはディーノ様として振る舞ってくださいね」
「分かったわ……いや、分かった」
クリスに言われて、エイシャはすーはーと深呼吸をする。
今からエイシャたちは、「同僚のオスヴァルトに会いに来たディーノ一行」というていで屋敷を訪問する。万が一にでもエイシャが女口調で話すことがあってはならない。
(まずは、潜入。それから必要であれば、クリスとウルバーノが屋敷の中に探りを入れる――)
彼らになるべく危険なことはしてほしくないが、「エイシャ様とディーノ様のためですから」と、二人とも決意を固めていた。
そうしてエイシャは緊張しつつドアベルを鳴らし、出てきた執事に用件を言おうとして――
「あ、あなたはまさか、ディーノ・ロヴネル様ですか!?」
「えっ? は、はあ、そうだが……」
「……ああ、やはり」
老年の執事はエイシャが何か言うより早く声を上げ、そして悲しそうに視線を床に落とした。
「……どうぞ、中にお入りください」
「……いいのか?」
「はい。むしろ……どうか、坊ちゃまをお願いいたします。我々の言葉に耳を貸してくださらなくて、もう止めようがございませんでした」
執事の悲痛な言葉に、エイシャたちは顔を見合わせた。
(……もしかしなくても、執事たちもオスヴァルト様の行動を知っている……?)
「……分かった。では、失礼する」
エイシャたちは豪華な玄関に通されたが、その後も執事は「こちらへ」とずんずんと歩いていった。
(罠……の可能性もあるわ。でも……)
ちらとあたりを見ると、すれ違った使用人たちもまた、悲しそうな顔でエイシャに向かってお辞儀をしていた。エイシャたちを嵌めるための罠……にしては、彼らの表情があまりにも深刻だった。
エイシャたちを連れた執事は、三階まで上がった。そして廊下の行き当たりにあるドアの前に立ち、深々と頭を下げた。
「……本来であれば、我々が坊ちゃまをお止めするべきで……実際、何度も進言いたしました。そのようなやり方では、想う人の心は手に入れられませぬ、と」
「……」
「ですが、坊ちゃまは耳を貸さないどころかお一人で作戦を決行し……。……鍵は、開いております。どうか、お嬢様をお助けください」
「分かっている」
エイシャは深呼吸して、ドアに手を掛け――
「……ディーノ!」
ドアを勢いよく押し開けた。
ドアの向こうの部屋は、やたらフリフリしたピンク色で染まっていた。
(わぁ……ちょっと私の趣味じゃないけれど、可愛い部屋……)
そんなフリフリの世界の奥、ピンク色のベッドを挟んでオスヴァルトと、手足を縛られた状態の自分の体――ディーノがいた。
「ディーノ、大丈夫!?」
「……使用人どもが裏切ったか。止まれ、エイシャ嬢!」
振り返ったオスヴァルトが叫んだため、ほぼ反射でエイシャは足を止めた。
オスヴァルトの手には、細身の剣がある。彼はその刃をエイシャの体の方に向け、どこかおかしくなったかのように笑った。
「……どうやら僕の姫君が、やってきてくれたようだ。エイシャ嬢、取り引きをしようか。……あなたがこのままおとなしく自分の体に戻るのならば、ディーノのこともあなたたちの魂が入れ替わっていることも、全て内密にしてあげよう」
「聞く必要はねぇぞ、エイシャ。そんなことをすれば病みに病んだこいつが、おまえにとんでもないことをする」
「貴様は黙っていろ、ディーノ・ロヴネル。それに、とんでもないことはない。愛した女性をこの腕に抱くだけだ」
「そのやり方がおかしいんだっての」
エイシャの姿のディーノはうんざりとした様子で言って、こちらを見てきた。
いつもは鏡越しに見ている灰色の目が、エイシャをじっと見つめる。
「……来てくれてありがとう、エイシャ」
「……これまではいつも、あなたが私を守ってくれた。今回は、私があなたを守る番よ」
エイシャはそう言って大きく息をつき、ウルバーノから渡されていた剣を鞘から抜いた。それを見て、オスヴァルトがケタケタと笑う。
「なんだ、一丁前に剣を抜くのか、エイシャ嬢? ……だが、あなたは戦い方を知らない。いくらディーノの体を持っていようと、あなたでは僕を斬るどころか、ここまでたどり着くことさえできないだろう」
「……よ」
「なんだい?」
「……さっきからうっさいのよ!」
エイシャが腹の底から怒鳴ると、オスヴァルトのみならずディーノも驚いたように目を丸くした。




