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19 それぞれの奮闘~エイシャ~

 ツンとした匂いが、鼻孔をくすぐる。


(……ここ、どこだろう……?)


 もぞ、と体を動かした直後、後頭部に激痛が走った。


「……いぎゃっっっ!?」


 頭が真っ二つに割れるのでは、と思われるような痛みで飛び起きたエイシャは、逆にその痛みのおかげではっと我に返ることができた。


(ここは……どこ?)


 いくつもの簡易ベッドが並んだ、薬品臭い部屋。

 壁際に並んだ棚にはエイシャには用途の分からない瓶詰めの薬がたくさん並んでいることから、ここがどこかの医務室だろうとすぐに分かった。


(……あ、そうだ。私、入れ替わって、頭を打って――!)


 少しもやが掛かっていた記憶を急いで引っ張り出したエイシャは、とんでもないことに気づいた。


(……そうだ。荷物置き場で私に声を掛けてきたのは……オスヴァルト様だった!)


 オスヴァルトの声だ、とは分かったが抵抗できず、薬品を嗅がされた。

 そのままどこかに連れて行かれそうになったが途中でディーノと入れ替わり、ずっこけたエイシャは後頭部を打って昏倒していた。


 ……そう、つまり。


(ディーノが入っている私の体が、どこかに連れて行かれたんじゃないの!?)


 ざっと血の気が引く思いがして、エイシャはベッドから下りた。

 もし頭を打ったのがもとの自分の体だったらこうはいかなかっただろうが、ディーノの体は頭の痛みを訴えるものの、体はきちんと動いてくれた。


「……あ、ロヴネル様。お目覚めですか」


 エイシャが叫んだ声を耳にしたのか、部屋のドアが開いて白い医療用コート姿の青年が入ってきた。


(ええと……確かあの衣装は、騎士団専属医療団の制服ね。だとしたらここは、騎士団の医務室……?)


「……そこのあなた……じゃなくて、おまえ。俺は――」

「ロヴネル様は指導中に頭を打って気絶されていました。後頭部の傷はたいしたことがなかったのですが……お体の調子はいかがですか?」

「なんともない。ただ、ええと、悪いが今すぐに、俺の家にいるウルバーノという従者、それからわた――ウルバーノと一緒にいるだろう、クリスという女をここに呼んでくれ」

「はい?」

「今すぐにだ!」

「はぁ……かしこまりました」


 青年は不思議そうな顔をしつつも、すぐに部屋を出て行った。


(多分、私の体はオスヴァルト様に連れて行かれている……。ウルバーノたちに相談して、どうにかしないと!)


 だがウルバーノたちも今すぐに来るのは難しいだろう。ひとまずできることをしようと、エイシャは医務室を出た。


 やはりここは騎士団の医務室で、少し廊下を歩いた先に見覚えのある詰め所が見えてきた。


(ディーノのふりをしたことはないから、緊張するけれど……そんなことは言ってられない!)


「失礼する。……オスヴァルト・エックはいるか?」


 詰め所に足を踏み入れたエイシャがどきどきしつつ問うと、中でたむろしていた騎士たちは一斉にこちらを見た。


「……ああ、ロヴネル様! お怪我はもういいのですか?」

「ああ、少し痛むくらいで問題はない」

「そうですか。……あ、ええと、エック様……をお探しですか? 珍しいですね」

「あ、ああ、まあな。あいつに尋ねたいことがあるんだ」

「そうですか。ただ……あれ? エック様って、しばらく見ていないよな?」


 騎士が仲間たちに問うと、皆はうなずいた。


「昼頃には見かけたんですけど、それ以降は分からないですね」

「あ、そういえば昼頃に、エック様が誰かを連れて歩いているのを見ましたよ。よく見えなかったんですが、負傷者を抱えているっぽかったです」


 一人の騎士の言葉に、エイシャはどきっとした。


(負傷者を抱えている……きっとそれが、私の体ね!)


 どうやらエイシャとディーノが入れ替わったとき、意識があるかどうかは体の方に依存するようだ。

 おそらくエイシャの体は薬を嗅がされて昏倒したから、エイシャの体の中に入ったディーノも同じように入れ替わるなり眠らされているはず。


 訓練をしているディーノと違い、エイシャは薬などの抵抗も全くない。だから、ディーノが目覚めるのはかなり遅くなるだろう。


(それまでの間に、オスヴァルト様に何かされたら――!)


 手のひらが冷や汗でびしょびしょになり、エイシャはうなずいた。


「……そうか、分かった」

「……ああ、そうだ。騎士団長様が、今日の仕事はいいから休めとおっしゃっていました」

「騎士団長様が?」


 思わずそう言ってしまい――しまった、とぎくりとする。


(騎士団長様ってのはつまり、ディーノのお父様だわ!)


「あ、いや、父上が……うん、そうか。分かった」

「……ロヴネル様、やっぱりお疲れでしょう?」

「まだ医務室にいた方がいいんじゃないですか?」

「……そう、だな。そうする」


 みっともない姿ばかり見せたことに心の中でディーノに謝罪しつつ、エイシャはいそいそと医務室に戻った。


 しばらくすると、知らせを受けたウルバーノとクリスが来てくれた。


「お待たせしました! ……ええと。どちら……ですか?」

「私よ」

「エイシャ様! ……ということは、ディーノ様はどちらへ?」

「二人とも、聞いて」


 エイシャは廊下にも人がいないのを確認してから、ウルバーノとクリスに事の次第を説明した。


「……ええっ!? エイシャ様……の中に入ったディーノ様が、誘拐!?」

「犯人はオスヴァルト様って……それ、本当なのですか!?」

「薬を嗅がされて入れ替わる直前に姿を見たから、間違いないわ。……あの人、エイルの正体が私だと気づいていたみたいなの」


 彼はあのとき確かに、「エイシャ嬢」と言った。彼の狙いはエイルではなくて、エイシャだったのだ。


(どうしてオスヴァルト様が、私を誘拐しようとしたの? ……そして、ディーノはどこへ……?)


 ウルバーノはしばらくの間難しい顔をしていたが、すぐに顔を上げた。


「……ディーノ様の行方を、探しましょう。幸か不幸か、今のディーノ様はつまりエイシャ様のお体です。男爵令嬢の失踪となれば、警備隊も本腰を上げて捜索してくれるでしょう」


 確かに、裕福な商家であるフォーリーン家の娘が誘拐されたとなれば、身の代金目当てのことなどが考えられる。

 悲しいかな、捜索隊も誘拐された者の身分で勤務態度をがらりと変えるのだが――潤沢な資金のある男爵家の依頼となったら、本気になってくれるはずだ。


 青い顔をしていたクリスも、しっかりとうなずいた。


「……ではすぐに、旦那様と奥様に連絡しましょう。ただ……誘拐犯がオスヴァルト・エック様であることは公開できないと思います」

「……それもそうね」


 なぜなら、「誘拐犯がオスヴァルトである」という明確な理由付けができないからだ。


 今回は誘拐される直前のところをエイシャが見ていたから、犯人がオスヴァルトと分かったのであり……普通なら、誰が男爵令嬢をさらったのか分からない。

 ここで「オスヴァルト・エックの行方を探ってください」と名指しすると、「なぜそのようなことを言えるのか」と不審がられるし、下手すれば傍系王族であるエック家を敵に回すことになる。


「捜索隊には普通に捜査をさせて、僕たちの方でオスヴァルト様の行方を追いましょう」

「オスヴァルト様は有名な人ですし、隠密行動は難しいはず。となると、目撃者は必ずいます」

「……ええ、そうよね」


 エイシャは深呼吸し、立ち上がった。


「……すぐに動きましょう。絶対に、ディーノを助けるわ!」

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