15 その痛みの名前
二人の体が入れ替わるようになって、早くも二ヶ月が経った頃。
「えっ、妖精が特定できた?」
「はい。後は捕獲するだけ、とのことです」
ウルバーノの連絡に、城で仕事中だったエイシャとディーノは顔を見合わせた。
「ただなんといっても妖精は自由気ままなので、捕獲するのにさらに時間は掛かるでしょうが……件の妖精がどのあたりをうろついているかの特定もできたので、あとは時間を待つだけ、といったところみたいです」
「よかった! それじゃあ、捕獲できたら戻れるのね!」
エイシャはほっと胸をなで下ろした。
何だかんだ言ってディーノとの入れ替わり生活を切り抜けているのだが、やはり風呂もトイレも満足にできない生活が続くと苦しい。
それに、未婚の令嬢が恋人でもない男の家に居候していることがばれる可能性も高くなるので、早期決着を付けてくれそうなのは非常にありがたい。
(そうしたらこうやって、エイルの姿でディーノの小姓をする必要もなくなるのね……)
何だかんだ言って、小姓としてあれこれ働く生活は嫌いではなかった。最近では「エイルに手を出したらディーノにぶっ飛ばされる」というのが騎士団でも浸透してきたようで、ちょっかいを掛けてくる者もめっきり減った。
(……ちょっとだけ、寂しいかも)
つい、そんなことを思ってしまって慌てて首を横に振った。
入れ替わり生活をする上で必要だから、エイシャはディーノと一緒にいるのだ。
ただでさえ彼の仕事や私生活に支障を来すだけなのだから、あの「祝福」が終わるのは喜ばしいことだと思わなければならない。
(……だめね、私)
ため息をつきつつ、エイシャはディーノについて部屋を出た。
今日、彼はこれから城門付近で立ち番をすることになっている。例の、顔がいい騎士が推薦されるという仕事だ。エイシャも彼の近くに椅子を持って行って、そこで座って待つことになっている。
「……あの。あなた、ディーノ様の小姓よね?」
「……えっ」
ふいに呼び止められたので振り返ると、騎士団区の入り口付近に数名の令嬢たちの姿があった。
(……あっ。この方々は確か、私より少し年上ね)
あまり面識はないが念のためということで、帽子を深く被り直してからエイシャは彼女らのもとに向かった。
「そうですが、僕に何かご用事でしょうか」
「……あ、あのね。ディーノ様に……その……」
進み出てきたのは、豊かな金色の巻き毛を肩に散らした愛らしい令嬢。周りの友人たちが「頑張って!」と応援している様からして、これから彼女が何を言い出すのかぴんときた。
(あ、この光景は覚えがある)
「……そ、その。ディーノ様に、お話ししたいことがあって……」
令嬢が顔を真っ赤にして言ったので、ああ、やはりそうか、とエイシャは内心苦笑した。
ディーノは、モテる。自覚するほど顔がいいし、何だかんだ言って面倒見がよくて、騎士としても優秀。
おまけに伯爵家の縁者で、騎士団長を父親に持っている。噂では、いずれ彼が騎士団長の地位を継ぐのでは、と言われているとか。
そんな彼に宛てた恋文や贈り物を、エイシャもこれまで何度かウルバーノと一緒に処理してきた。「ディーノ様、こういうのは自分でなさらないんですよね」とウルバーノはあきれ顔だったが……どうやらこの令嬢は積極的らしい。
(……え、ええと。どうしよう……)
「しかし、ディーノ様はこれからお仕事でして……ご用件のみでしたら、僕が伺いますが」
「ちょっと、あなた! 物分かりが悪いのね!」
「この子は今から、ディーノ様に告白するの!」
「いくら男の子だからって、それくらい分かるでしょう!?」
(いや、分かっていたけれど……)
周りの令嬢たちにぎゃんぎゃん責められたので、エイシャは心の中だけで反発しておく。
贈り物や手紙ならエイシャが受け取るが、ディーノ本人を呼ぶのは気が引ける。というか彼女らは、「これからお仕事」とエイシャがやんわり言った意味が分かっているのだろうか。
(……でも、本当にきれいな人だわ。ディーノに恋をしていることを、全身で語っているのが分かって……)
頬を赤く染める令嬢は、儚げで愛らしい。わりとがさつなところのあるエイシャとは雲泥の差で――ちくり、と胸の奥が小さく痛んだ。
(え、なんで今、胸が痛く……?)
服の下に分厚い下着を着ているのでぺたんこの胸元に手を当てたエイシャが一呼吸した、その直後――
「……ぼさっとしていて、使えない小姓ね! さっさとディーノ様をお呼びしなさい!」
「わっ……!」
しびれを切らしたらしい令嬢の一人が、どんっとエイシャの肩を突き飛ばした。
令嬢の力なんてたかがしれているが、思わず声を上げてよろめくと――
「……おまえ、俺の小姓に何をしている」
とんっと硬いものに背中がぶつかり、不機嫌そうな声が背後から聞こえてきた。
令嬢たちはさっと喜色満面になり、例の令嬢なんかは歓喜のあまり頬が真っ赤になっている。
「ディーノ様!」
「……うちの小姓が、何か不始末をしたか?」
「そうなのです! わたくしたち、ディーノ様に取り次ぐようにとその小姓に命じたのですが、仕事だの何だのと言い訳をしており……」
エイシャを突き飛ばした令嬢が鼻息荒く言いつのると、エイシャの肩を支えるディーノの手が、ぴく、と震えた。
令嬢たちはそれには気づかないようで、例の友人の背中をぐいぐいと押した。
「ささ、ディーノ様が来てくださったのだから……ほら、言いなさい!」
「は、はい! あの、ディーノ様――」
「いや、待て。……さっきこいつがちゃんと言ったようだが、俺は今から仕事がある。雑談に付き合う時間はない」
ディーノがすげなく言うと、言葉を途中で遮られた令嬢はぽかんとして、周りの令嬢たちも目を見開いて絶句した。
ディーノはふんと鼻を鳴らすと、エイシャの背中をとんとん叩いて自分の背後に隠すように押しやった。
……まるで「おまえはそこにいろ」と言わんばかりのその手つきに、不覚にもエイシャの胸がときめく。
「エイルはきちんと、仕事をしたまでだ。……それで? おまえたちはそんなエイルを突き飛ばし、俺を呼び止めてまでするのだから……よほど重大な案件でもあるのだろうな?」
「え、ええと……」
「それは……」
「違うんだな?」
「……ディ、ディーノ様! わたくし、ディーノ様のことをずっとお慕いしておりました!」
他の令嬢たちが尻込みする中、金髪巻き毛の令嬢は勇気を振り絞った様子で進み出て、かなり大きな声で告白した。
それは遠くまで聞こえたようで、訓練中の騎士たちが何なんだとこちらを見てくるくらい。
――ちくちく、と胸の奥が痛む。
喉の奥が、かりかりする。
思わずディーノの上着を後ろからぎゅっと掴むと、彼は大きなため息をついた。
「……何のことかと思ったら。言いたいのがそれだけなら、俺はもう行く」
「えっ……」
「そんな……ひどいです、ディーノ様!」
令嬢たちの悲痛な声を受けたディーノが、ちらっと彼女らに視線を向けた。
「……告白をするのは勇気が要ることだろうが、俺の方の都合も考えずに一方的に自分を押しつけてくるような人間とは、これから先一緒にやっていけるとは思わない。つまりは、そういうことだ」
「そんな……!」
玉砕したと気づいたらしい令嬢が座り込んで、あああ、と泣き始めた。
周りの令嬢たちは、「なんてひどい!」と憤慨する者もいるが、「それもそうか……」と言わんばかりに視線をそらす者もいた。
とん、と背中を叩かれたのでエイシャが顔を上げると、ディーノがこちらを見ていた。
「……行くぞ、エイル」
「……はい」
帽子を深く被り直したエイシャは、ディーノの後を追った。
彼が立ち番をする門のところまでは少し距離があるので、そこまで歩くことになる。なお、エイシャ用の椅子は最初彼女が持っていたが、「俺が持つ」とディーノが奪ってしまった。エイシャだと両腕で抱えるほどの大きさだった椅子を、彼は軽々と小脇に抱えていた。
「……おまえさっき、突き飛ばされていただろう。怪我はないか」
やおら尋ねられて、エイシャは小さくうなずいた。
「たいした力ではなかったから、大丈夫よ。……時間を取らせて、ごめんなさい」
「おまえ、いつも謝ってばかりだな。……あれは時と場合を考えないあいつらが悪い。気にすんな」
「……。……ディーノはやっぱり、これまでにもああやって告白されていたの?」
つい気になったことを聞いてみると、ディーノはさっと視線をこちらに向けた。
「……なんでそう思ったんだ」
「いや、対応が慣れているから。もうちょっと照れたり困ったりしそうなものだけどあっさりしていたから、あー、普段から告白され慣れているのかなぁ、って思ったのよ」
「……まあ、この顔だからな。わりとよく言い寄られる」
「やっぱり」
「……でも、本命のやつに意識してもらえねぇんだから、慣れても意味はねぇよ」
どこか独り言のようにつぶやかれたその言葉に、エイシャは一瞬目の前が白く染まった気がした。
本命のやつ……そう言うからには、彼には本当に好きな女性がいるのだ。それも、彼のことを意識していないという女性が。
(……あ、なんだかすごく……悔しい)
がらりがらりと、胸の奥に積み上げていたものが静かに崩れていくような感覚。
彼の想う人が自分ではないという真実に傷つき……傷ついていることで逆に、自分がディーノに対して抱く感情の名前が分かってしまった。
(私、ディーノのことが……好きになっていた)
口は悪いけれど優しくて、面倒見のいい彼に。
そしてもちろん、顔立ちもエイシャの好みである彼に。
エイシャの気持ちを尊重し、その体と心を守ろうとしてくれる彼に。
エイシャは、恋をしていた。
この気持ちが、痛いくらいの感情が、恋だった。




