14 それはちょっと無理③
エイシャはしばらくの間ディーノの背中にしがみついていたが、彼がくるっと後ろを向いたため手が離れてしまう。
「あ……」
「エイシャ……悪い」
手持ち無沙汰になったエイシャがとっさに彼の上着の前側を掴むと、ディーノは唇を噛んで唸った。
「おまえの友人がいたから、会わせようと思ったのに……あいつが来やがった」
「う、ううん、大丈夫。ディーノだって、こうなるとは思っていなかったんだから……あ、はは。私、知らなかった。オスヴァルト様……なんだか結構、怖かった……」
「エイシャ……」
ディーノは目を伏せてから、そっとエイシャの腕を引っ張った。
「……部屋に戻ろう。歩けるか?」
「うん、大丈夫」
「無茶するなよ」
そう言いながらもディーノはエイシャの手を取り、部屋に行くまで歩調をそろえてくれた。
昔は、「もっとさっさと歩けよ!」と言ってきた彼が長い脚をゆっくり動かしているのを見ると、なんだか笑えてきた。
先ほどまでエイシャが資料整理をしていた部屋に戻り、すぐにクリスが帰りの馬車の手配を、ウルバーノがディーノの仕事の調整依頼をするために、部屋を出て行った。
エイシャがソファに腰を下ろすと、ディーノもその隣に座った。
「……体、大丈夫か?」
「うん、平気。まだちょっと……肌がぞわぞわするけれど」
「……それは、俺のせいかもしれない。実は俺も前半はあいつに言い寄られていて……むちゃくちゃ気持ち悪かった」
「……ごめん」
「だから謝るなっての」
ぽんぽんと肩を叩かれ、エイシャはドレスをぎゅっと掴んだ。
「……私、ね。オスヴァルト様にお茶に誘われて……舞い上がっていたの」
「みたいだな」
「私、あんまり自分に自信がないから。でも、私でもあんなに素敵な人に声を掛けてもらえたんだ、って思うと嬉しくて……身の程知らずかもしれないけれど、お付き合いできたら、って思っていて……」
「まあ、浮かれるのも仕方ないな」
「……でも。さっき、あの方のことが……怖かった」
急に入れ替わったことでぐらついたエイシャを抱きしめたときのオスヴァルトの瞳は、どろりと濁っていた。
おねだりを何でも叶えるとか、邪魔する者は消すとか、そういうことを言っていたが……冗談ではなくて、あの人は本気でやる、と本能的に気づいて、ぞくっとした。
「あ、ははは……馬鹿よね、私。勝手にときめいておきながら、幻滅するなんて」
「いや、それも仕方ないだろう。俺はその、あいつにそういう気があることを知っていたけれど、おまえは知らなかった。で、おまえはあいつのそういう性癖を受け止められるタイプじゃなかったと、今分かったんだろ」
「……うん」
「だったら、どうしようもない話だ。ちょっといいなと思っていたけれどやっぱり無理でした、って終わらせればいいんだ。馬鹿とか阿呆とかいう話じゃない」
「……そうかな」
「そうだよ」
ディーノがビシッと断言したので、エイシャはつい笑ってしまった。
「……そっか。ありがとう、ディーノ」
「おう。……俺の方こそ、おまえに不快な思いをさせてしまったな」
「ううん、そんなことないわ。ディーノは私のために頑張ってくれたのだし……そ、それに、ね」
「何だ」
ドレスを握りしめていた手をほどき、両手で指をいじりながらエイシャはちらっとディーノの手を見た。
がっしりとした太ももの上に載せられている、ディーノの大きな手。オスヴァルトに抱きしめられたときは怖かったのに、同じ男性でもディーノに抱き寄せられたときはそんなことはなかった。
それどころか――
「さっきディーノに抱きしめてもらえて、すごく安心できたわ。あ、来てくれた、ってほっとできて、この人は私を怖がらせたりしない、って思えたら胸の奥が温かくなって……」
「……」
「それに私の体を貸すというのも、ディーノなら大丈夫、って思えるの。たとえばオスヴァルト様だったら、その、何をされるか分からないけれど……ディーノだったら私の嫌がることは絶対にしないって、信じているから――」
「っはぁーあ……」
「え、何よそのため息」
「いや、何でもない」
ディーノはうつむいて長いため息を吐き出してから、ぽりぽりと頭を掻いた。
「……おまえさぁ、俺のことを信頼してくれるのは嬉しいけど……もうちょい男を疑えよ」
「……ま、まさかディーノ、私に内緒で体を触ったり……」
「してねぇよ! してねぇが……されてもおかしくないってことくらいは、心の奥底に書き留めておけ」
「う、うん、分かった……」
なんだかディーノの顔が見ていられなくて、エイシャはふいっと視線をそらした。頬が熱いので、きっと今の自分はみっともないくらい赤面しているはず。
そっと髪をなでつけて、隣に座っているディーノに気づかれないように頬を隠した。
「……」
「……」
しばし、部屋にはなんとも言えない沈黙が流れる。
(……ディーノ、呆れているのかな……?)
そう思ったエイシャが恐る恐る顔を横に向けると――なぜか彼と視線がぶつかってしまい、二人同時にそっぽを向いた。
「わ、悪い」
「う、ううん、気にしないで」
「……」
「……」
「……今日はもう、帰ろうな」
「……うん」
言葉は少ないが、二人の間に流れる空気はどことなく甘やかだった。




