11 ディーノ、淑女になる
ある日、エイシャとディーノは難しい顔で向かい合って座っていた。
「……さすがにこれは、行かないといけないわ」
「そうだな。でも、間違いなく入れ替わってしまうよな」
「そうなのよね……」
ため息をつく二人の中央のテーブルには、一通の手紙が。それはこの国の王女から送られてきたもので、「年頃の令嬢たちを集めた庭園散策の会を催すので、エイシャ・フォーリーン男爵令嬢にもお越しいただきたい」と書かれていた。
今回の手紙の送り主は、例の護衛騎士と結婚して王都を震撼させた王女の妹だ。年齢はエイシャと同じ十八歳で、いずれ隣国の王子のもとに嫁ぐことになっている。
「王女様のお誘いなのだから、ちょっとでも顔をお見せした方が今後のためにもなるのよ」
「だよな……」
エイシャは「病気療養のため」ということで、友人たちとも距離を置いている。
彼女らは「ゆっくり休んでね」といたわってくれるが、あまりにも長い間こもっているよりは、「今日はちょっと頑張って出てきました」とアピールした方が皆を過度に心配させずに済むだろう。
……だが問題は、この庭園散策会は男子禁制で、どうあがいてもディーノが近くに付くことができないという点だ。
(途中で入れ替わるという段階ではなくて、これじゃあ最初から私の体をディーノが使うしかなくなるわ……)
「……あの、ディーノ。提案、なのだけど……」
「一応聞くだけ聞く」
「最初から私たちが入れ替わっておいて、庭園散策会にディーノが参加する、というのはどうかしら……?」
いっそ、最初からディーノがエイシャの体で庭園散策会に参加して、終わり次第エイシャと合流して元の体に戻る……という方が、事故は起きにくいのではないか。
そう思ってエイシャは提案したのだが、それを聞いたディーノは目を見開いて小さく唸った。
「おまえ……もっと自分の体は大切にしろ」
「えっ、そんな雑に扱っているつもりはないわよ」
「自分の体を簡単に明け渡す提案をしている時点で、おまえは分かっていない。……うっかりならともかく、自分から自分の体を差し出すのはどうなんだ」
「ど、どうって……でも、途中で入れ替わるよりは安全じゃない」
エイシャが説明するがまだディーノは難しい顔をしているので、ずいっと詰め寄った。
「それとも……何? あなたは私の体でいやらしいことでもするつもりなの?」
「ば、馬鹿なことを言うな!」
「だって、いやに渋っているし」
「……あのな。俺の体は丈夫だからおまえが多少転ぼうと倒れようとびくともしないからいいけれど、おまえの体は柔らかくて脆い。俺はそんな脆い体を傷つけないようにしたいんだから……神経を尖らせる必要がある。それを分かってくれよ」
ディーノが呆れたように言うので、エイシャはその言葉の意味をしばし考え――ぽっ、と頬が熱くなった。
(えっ。それじゃあディーノは、私の体のことを案じてくれていたの……?)
「……私だってそんなに華奢じゃないんだから、そこまで気にしなくても大丈夫よ」
「おまえはよくても、俺は気にするんだ。……おまえの体を借りただけでなく万が一その身に傷でも付けたら、俺はおまえにもおまえの両親にも顔向けできなくなる」
ディーノが苦虫をかみつぶしたような顔で言うので、ようやく彼の気持ちが分かったエイシャは唇を引き結び、うなだれた。
「……ごめんなさい、ディーノ。私、そんなところまで考えていなくて……むしろディーノのことを疑っていて……」
「馬鹿、謝んな。……だがどうしようもないというのなら、俺は恥ずかしかろうと神経を尖らせようと、おまえの体を丁重に扱った上で完璧な令嬢のふりをする」
そっと肩に重みが加わったので顔を上げると、いつの間にか隣に移動していたディーノがエイシャの肩に手を乗せていた。
思いがけず近いところに青色の眼差しがあり、不覚にもエイシャの胸が高鳴ってしまう。
「庭園散策なら、庭をぶらぶら歩けばいいんだろう? 刺繍しろと歌を歌えとか言われたら困るが、それくらいならなんとか乗り切る」
「でも……」
「いつも、俺がおまえに無茶をさせている。だから今くらいは、俺に任せてくれ」
青色の目はいつも通り目つきは悪いが、真剣な色を乗せてエイシャを見つめている。
その視線に見つめられると好みの顔の色男に見つめられているという緊張感以外に、胸の奥からじわじわと安堵も湧いてきた。
「……ありがとう、ディーノ。お願いしてもいい?」
「ああ、任せろ。むしろ本人よりもしとやかなくらい張り切ってやるさ」
「余計な一言っ」
ぺしっと彼の胸を叩くと、ディーノは楽しそうに笑ったのだった。
数日後、王城にて。
「……それじゃあ、クリス。ディーノのこと、よろしく頼むわね」
「かしこまりました、エイシャ様」
「……ウルバーノは、エイシャをよく見ていてくれ。もし来客が来ても、全ておまえに対応を任せる」
「了解しました。お任せください、ディーノ様」
騎士の宿舎棟にあるディーノ用の部屋にいったん四人で集合して、そこから別れる。
庭園散策用のドレス姿のエイシャは騎士団制服姿のディーノと視線を交わしてから、クリスを伴って部屋を出た。そうしてしばらく歩くと――ふわっと視界が揺れて部屋に逆戻りし、目の前にはウルバーノが立っていた。
「……あ、ウルバーノ」
「エイシャ様ですね? それでは今から約半刻後にディーノ様が戻ってくるまで、作業をお願いします」
「……分かったわ」
エイシャは普段よりぐっと背が高くなったためだいぶ見える景色が変わっている室内を見渡してから、ソファに腰を下ろした。
本日ディーノは、部屋で書類仕事をすることにしている。書類仕事というがその実は資料の整理なので、ウルバーノの助言があればエイシャでもできる。
なお本日に勤務についてディーノは、「補佐として従者のウルバーノと小姓のエイルを連れている」と皆には説明している。サポート役が二人もいれば十分なので、他の者がやってくる可能性は低いだろう。
(ディーノ、大丈夫かな……)
ここ数日で、エイシャはディーノの淑女教育をしてきた。放っておけば彼は大股でずかずか歩いてしまうので、なるべくしとやかに見えるよう歩き方や立ち方から指導した。
最初は「女性はこんなちまちま歩くのか」「尻が痛い」とぶつくさ言っていたディーノだが、元々天才肌だからかエイシャやクリスの指導をするすると飲み込み、今ではそれこそエイシャよりよっぽど上品に歩けるようになっていた。ちょっと悔しい。
「……そういえば、ここだけの話ですが。騎士団では結構、エイシャ様のことが人気らしいですよ」
エイシャに資料を渡しながらウルバーノが言ったので、ページをめくっていたエイシャは顔を上げた。
「……人気? ええと、それはエイルの方?」
「はい。ほら、ディーノ様って顔はいいけれどむすっとしているし、言葉遣いも荒いでしょう? それは騎士団でも同じことで、ディーノ様に憧れているけれどちょっと近寄りがたい、と思っていた人も多いそうなのです」
顔がいいのと口が悪いというのは、従者のウルバーノも認めるところだったらしい。
「でもそんなディーノ様は最近、小姓のエイルを連れ回している。エイルに対するディーノ様はとてもお優しくて、リラックスした表情をなさっている。おかげでディーノ様に話しかける騎士も増えたし、エイルにちょっかいをかけたくなる者も出てきたとか」
「ちょっかい……あ、そういえば最近たまに、騎士に声を掛けられるわ」
「それですね。……実はディーノ様はエイシャ様のために、あなたに近づこうとする騎士たちを牽制しているのですよ」
「えっ、そうなの?」
確かに、お調子者の騎士に絡まれたり腕を捕まれたり帽子を取られたりしそうになったときには必ずディーノが飛んできて、その騎士に鉄拳制裁を加えている。
だが、もしかするとエイシャが気づいていないだけでもっとディーノはエイシャの周りに警戒してくれていたのかもしれない。
「……知らなかったわ。でも確かに、私が女だとばれたらまずいものね」
「それもそうですが、僕としてはディーノ様はばれるばれない以前に、騎士たちがあなたに触れないようにさせたいのだと思います」
「……なんで?」
「おっと、それ以上は僕の口からは。ああ、後この話をしたことも、ディーノ様には内緒にしてくださいね。僕、まだ従僕をクビになりたくはないので」
「はぁ……」
クビになりたくないのならば最初から言わなければよかったのに、とは思いつつ。
(……やっぱりディーノは、面倒見がいいのね)
ぶちぶち文句は言うし態度も悪いが、何だかんだ言ってエイシャの体と心を守ろうと尽くしてくれる。その優しさには気づいているし……。
(……なんだろう。ちょっとだけ、嬉しい)
油断すると彼の大きな手のひらが肩や頭に乗る感覚がよみがえってきそうで、エイシャは雑念を払うように頭を振ってから、資料整理に戻ったのだった。




