秘密(その3)
1
ある日の昼下がり――。フィル=セロニオ郷の村はずれ。
(ほうほう……。こりゃあ、えらいことを知ってしまったのう……)
農家の老妻であるジマーは、その日、密かに森の奥へと入っていた。
カーラ・ルゥには貸さない『いい方の馬』に荷馬車を引かせ、畑で獲れたての卵を荷台に目一杯積み込んで。
目的は、密かにオークと会って、卵を魚や木の実、茸などと交換すること。
オークとの商取引は法律で禁止されていたが、実際にはお城の領主や騎士に隠れて、どの農家も内緒でやっていた。
そうでなければ卵しか獲れないこの村で、栄養失調にならずに生きていけない。
フィル=セロニオ郷の領民が貧しいことは揺るぎのない事実だが、とはいえその暮らしぶりは、シア姫やカーラ・ルゥが思っていたより少しだけましな状況であると言えた。
そんな老女ジマーは、オークと物々交換をした際に、ある秘密に気づいてしまった。
年の若いオークが、ついうっかりと漏らした――、
『――ナンダ、“まよねず”ヲ売ル2人ジャナイノカ』
という、たったの一言で。
「ほう……。そんで、その二人ちゅうのは、前はいつ森に来たんかのう? 詳しく教えてはもらえんかの?」
だれとだれのことであるのか、ジマーには薄々察しがついていた。
2
同時刻、フィル=セロニオ城。
領主であるシア姫のベッドの上では――、
「姫様、やめて! いったい、いつからこんなことを!?」
「いいから! フタバ、離してちょうだい!」
メイド姿のフタバが、姫と激しく揉み合っていた。
姫の手にしたキュウリを、フタバが取り上げようとしていたのだ。
「駄目です、姫様! いけません!」
シア姫の枕元には、小さな陶製の小鉢。
その中身は、どろりとした白い液体――、
そう、つまりはマヨネーズ!
ここにあるはずのないものだった。
「もうすぐお昼ごはんというのに、つまみ食いなんかして……。このマヨネーズ、自分で作ったんですか!?」
「ええ……。貴方たちが来た最初の日、キョーイチローが作ってたでしょう? それを真似して作ってみたの。法律で禁止されているいけないことだから、ずっと秘密で食べてたけれど……」
フタバがこの事実を知ったのは、ついさっきのことになる。
姫はフタバの目を盗んで、自分でマヨネーズを作っては食べていたのだ。
布団の中に隠れて生卵と油と酢を混ぜている姿は、あまりにも異常で鬼気迫るものだった。
そんな手製のマヨを、残りもののオムレツやゆで卵につけて。
――なにもないときは、鉢に植えてある観葉植物を食してまで。
「姫様、こんなの体に悪いです!」
「そんなことはないでしょう? だって、カーラ・ルゥもキョーイチローも、貴方だって言ってたじゃないの。『最近、顔色がよろしいですね』って。――だから、もっと口にしても平気なはずよ! 絶対、体にいいんだから! だから、“まよねず”を返して! そのキュウリも!」
「駄目です! やめてってば! こんな量のマヨネーズを食べるなんて……。なんにでも限度ってものがあるでしょ!」
「いいから!」
観葉植物は、地球ではキュウリやキャベツ、それにトマトと呼ばれているものだったのでフタバの目からすれば普通のことでさえあったのだが、問題なのはその量だ。
姫はここ数日で、生卵5個以上をマヨネーズにし、全てすっかり平らげていた。
使った油は、1リットル近い。
フタバは必死に抵抗するが、姫は体が弱いとはいえ、さすが文明化されてない世界の住民だ。
病弱の身のくせに意外な腕力を発揮して、フタバからマヨネーズのついたキュウリを奪い返す。
「あっ、姫様!」
「……んほぉおおおおおおおおッ!」
マヨつきのキュウリを齧ると同時に、シア姫は悲鳴にも似た、声にならない嬌声を上げた。フタバは思わず目を逸らす。
「フタバ……もうほうっておいて。わたくしなんて、どうなってもいいんだから……。本当は体に悪いくらい知っていてよ。こんなに油が多いんだもの。でも、わたくしなんて“まよねず”の食べすぎで死んだ方がいいの……。いない方がいいんだわ」
「そんな!」
「わたくしさえいなければ、カーラ・ルゥはもっと自由に生きれるのに……。わたくしの世話で苦労して……ううん、カーラ・ルゥだって、本当はわたくしの面倒なんて見たくないんだわ! だからキョーイチローと出てったきり、ずっと帰って来ないのよ! ああカーラ、ごめんなさい、ごめんなさい……。わたくしのこと捨てないで!」
「姫様……」
「フタバ、“まよねず”をもっとちょうだい……。これを食べてるときだけは、嫌なことを忘れていられるの……少し、ほんの少しだけだけど……」
体の弱さや、生活の苦しさ、領地の貧しさ。
そしてカーラ・ルゥがいないこと。
そんな様々な心労から、シア姫は依存症に近い状態となっていたのだ。
(どうしよう……。カーラさん、それにお兄ちゃん、早く帰ってきて! わたしだけじゃ、こんなのどうにもなんないよ!)
自分もマヨネーズを食べて問題を忘れることができるなら――。フタバは、そんなことさえ思ってしまう。
姫の体を抱きしめると、小さな背中はぷるぷると小刻みに震えていた。
カーラとキョーイチローがフィル=セロニオ郷に戻るのは、その日の真夜中のことになる。降るような星空の下、“でこぼし”号は街道を進んだ。
「キョーイチローよ、我らには幸運の星がついているのかもしれぬな」
「ああ、そうだな。ツイてる。なにもかもが上手くいっている」
二人はやがて、さまざまな辛苦と犠牲の上に、この世界に巨大な犯罪組織を創り上げ、人々からは、
“帝王”
“闇の支配者”
“白濁王”
などと怖れ、そして畏れられる存在となる。
――だが、そのときはまだ遠い。
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3
時は、遡る――。
キョーイチローたちがこの世界に来た、その日の夜。
見慣れぬ星座の空の下。
「――って、なにこれ! どうなってるわけ!?」
“少女”は苛立ち、足元の地面を蹴りつけた。
そこは、イース国の領外に広がる大荒野。
乾いた土と奇妙な形の岩の群れが、ただ視界の一面を埋め尽くす。
彼女の初めて見る景色だ。
「なんだっての……。ここ、日本じゃないの? なんで光に包まれたら、こんなところに来てんのよ!?」
長いスカートを引きずりつつ、少女は荒野を彷徨っていたが、その三日後――。
「――名前は? なにができる? 我らに役立つ特技はあるか?」
旅商人のキャラバン隊に、瀕死のところを救われた。
恩人たちの問いに、少女は答える。
「名前は、弦木タエ……。昭和二九年生まれ、大手マヨネーズ会社の工場勤務。
――特技は、マヨネーズに詳しいことよ!!」
世界は、少しずつ動き始める……。
書籍化作業のため、しばらく更新をお休みさせていただきます。
内容的にも、ここで『第一部・完』ということになるのでしょう。皆さま、お付き合いくださり、ありがとうございました。
作業が一段落したのち、第二部を開始いたします。
あと、たった今、別の作品にも書籍化の打診が! ちょうど、このあとがき書いてる最中に!




