馬小屋
1
「姫様――忠実なる騎士カーラ・ルゥ、ただ今戻りました!」
俺とカーラはまた一日半かけてフィル=セロニオ郷へと帰り着く。城の門をくぐったのは、夕方になってからのことだ。
カーラが片膝を着いて、シア姫に帰城の挨拶をすると――、
「ああ、カーラ・ルゥ、おかえりなさい! なかなか戻って来ないから心配したわ!」
姫は熱烈な歓迎ぶりを見せた。
車椅子から立ち上がらんばかりの勢いだ。四日ほどしか留守にしていなかったが、どうやら寂しがらせてしまったらしい。
対比的に、うちの妹などはあっさりしたものだった。
「お兄ちゃん、カーラさんと仲良くやってた?」
「……? 妙な訊き方をするんだな? まあ、仲良くやってたけどな」
「ふうん、そう? それじゃあ、その……『仲良くしすぎ』てはないでしょうね?」
「仲良くしすぎ? なにを言ってる?」
「べつに……。違うならどうでもいいけど」
妙なことを言う妹だ。
その後、俺たちは風呂――といってもタライに湯を張っただけのもの――で旅の垢を流し、服も着替え、ひさしぶりに皆で夕食を食べる。
土産で買ってきた、余所の村の野菜をたっぷり使った料理だ。
このフィル=セロニオ郷ではなによりも贅沢なメニューだった。
気がつけば、すっかり夜も更けていた。
ここ数日、ずっと馬車に揺られていたため、地面に立っていても、まだ世界がガタガタ揺れているように感じる。
体は小指の先まで疲れきっており、さっさとベッドで眠ってしまいたかったが――、
(その前に、やることが一つ残ってる……)
稼いだ金を隠さなければ。夜中、俺とカーラは密かに部屋を抜け出した。
「どうだ、キョーイチロー?」
「ああ、問題ない」
城の馬小屋は、もう何ヶ月も使われていない。
以前はこの城でも馬を飼っていたが、餌代や馬番の給金が払えなくなったため、出入りの商人を通じて売り払ってしまったのだとか。
おかげで馬が必要なときは、近所の農家から農耕馬を借りる羽目になっていた。
俺たちは、だれも近寄ることすらない馬小屋に入り、隅のところに穴を掘ると、皮製の袋を九つそこに埋めた。
銀貨10枚ずつ入った袋を九つ。計九〇枚。
「これでよし、と……」
上に藁くずを積んでおけば掘り返した跡も見つかるまい。
多少無用心ではあったが、城の中には隠したくない。万一の際、姫やふたばに法の手が及ばぬように――。
ただの気休めではあったのだが、俺たちが金の次に欲しかったのはこの『気休め』というやつだった。
「隠し場所も大事だが、そのうち『使える金にする方法』も考えないといけないな」
「どういうことだ、キョーイチローよ? この銀貨は使えぬのか?」
「貧乏なはずの姫様が、急に大金を持ってたら怪しまれるだろ。まあ、急いで思いつく必要はないと思うが……。これは食事のときに頭に浮かんだ方法なんだが――なにか、ダミーの商売をするんだ。行商かなにか。で、帳簿をいじって経理をやりくりして帳尻を合わせる。いわゆる『裏帳簿』ってやつだ」
「ウラチョーボ? 意味がよくわからぬが……それは、どうやって作るものなのだ?」
「それはだな、ええと……」
言わなければよかった。家計簿くらいしかつけたことのない俺には、帳簿の作り方なんてわからない。まして巧妙な裏帳簿など、想像さえもつかなかった。
(こんなことなら、簿記の資格でも取っておけばよかったな。そういえば、あいつは工業高校の商業科で、簿記の試験がどうだとか言ってたような――)
もちろん、だからといって会いたくもないし会えるはずもなかったが。
次から次へと足りないものばかりが見つかる。
さらにもう一つ『足りないもの』があったと知るのは、三日後の朝のことだった。
2
三日後――。
「油が足りない!?」
カーラから衝撃の報せを聞き、俺は思わず声を上げた。
そろそろ新たなマヨネーズを作ろうかと、仕度を始めた矢先のことだ。
「シッ。キョーイチロー、声を上げるな」
「ああ、すまない……。けど、どういうことだ? 油は安いんじゃなかったのか?」
そもそも『この地方では油は安価で、簡単に手に入る』という話をカーラから聞いていたからこそのマヨ密売であったというのに。
「安くとも、いくらでも量があるというわけではないのだ。まさか前回、あれほどの量を使うとは……。私もこんなに減っているとは気づかなかった」
たしかにマヨネーズは油を大量に使う。マヨの原料は八割が油だ。
10キロ分のマヨネーズによって、城の備蓄はほとんど使ってしまったらしい。
「じゃあ、残りはもう全くないのか?」
「いいや、そうではない。料理や灯りに使う分は一ヶ月分ほど残っている。それを根こそぎ使えば、次の取り引きの半分ほどは賄えよう」
それでも、せいぜい半分程度か。
「だが、使い切ってしまえば、当然、城で使う分がなくなって、姫様やフタバにも怪しまれるであろう。どうして急に減ったのか、と」
たしかに、それは困るな……。
「カーラ、普通に買うんじゃ駄目なのか? どこで買える? いつもは、どこで手に入れてるんだ?」
「普段なら買ったりなどせぬ。年に一度、領民たちが川辺で水オリーブの実を取って油にする。それを皆で分け合うのだ。――どうしても足りなくなったら、他の者たちから分けてもらう。なので使う量が増えれば、すぐに知られてしまうだろう」
失敗した。俺もカーラもなんたる迂闊。材料のことを忘れるなんて。
(城の油をかき集めて、半分だけでも取り引きするか……? いや――)
そうもいくまい。第六天使の前であれだけ大口を叩いたんだ。『商品を用意できなかった』では通るまい。
「参ったな……。どこか近くで買えないのか?」
「近場の村は、どこも似たような状況だ。ミ・メウス市まで行けば手に入るだろうが」
「そうか……。前回、油も買っておけばよかったんだな」
だが、ミ・メウス市までは片道で約二日。
その後にマヨネーズを作って再び運ぶのでは、取り引きの日に間に合わない。
(いや――卵を持ってミ・メウスに行き、向こうでマヨネーズを作ればいいのか……。それどころか、卵も金を出して買うという手もあるが――)
しかし、できれば、こっちで余裕をもって製品を作りたい。
それに、材料を知られたくなかった。『俺たちを用済みにできる』と想われたくない。
「ちなみにキョーイチローよ、塩もそれほど残りがあるわけではない。ぎりぎりの量だ。専売制ゆえに高価であるため、さほど余分には買い溜めていないのだ」
また問題が増えた。頭が痛い。
「カーラ、とにかくまずは油だ。本当に油が買える場所はないのか? それも、できれば大量に――今回の分だけでなく、今後の分までだ。そんな商売の相手はいないか?」
「難しい条件だな……」
カーラはしばらくの間、難しい顔をして考え込んでいたが、不意に――、
「あ……っ」
と、いかにも『なにか思いついた』というような声を漏らした。
「どうした、カーラ? なにかアイデアが浮かんだのか?」
「いや――やはり無理であろう。お伽噺ではあるまいし……。この地方でも、かつてはやっていたと聞いてるが、とはいえ――」
「いいから言ってくれ」
「うむ……。笑うなよ?」
そう前置きしてから、カーラはこう言葉を続ける。
「暗き森のオークどもと取り引きするのだ。――お伽噺の“オーク油”を手に入れる」




