9 まさかの状況でプロポーズ?
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お祈りなど、この修道院に来てから一度もしていない。なんなら、私は小さい頃から祈ったことはない。
両親が死んでから神様なんて信じていなかったから。そのことに今気がついた。
なんで、二人ともいなくなって神様は何もしてくれないのに祈らなきゃいけないの。祈るだけ無駄じゃない?
首にナイフを突きつけられて感じたことがそれだった。
でも、院長がこの状況でわざわざ言うのだから意味があるのだろう。
ホーンラビットはガサガサとこちらに近づいてくる。
私は横目でそれを見ながら、祈りのポーズを取ろうとしてフライパンを持っていたことに気づく。
私を羽交い絞めにしている男は、アリアと院長を前にして警戒しているのと、私のことを舐めていたのだろう。
それに、このフライパンは小さいから振り回したところで武器にならないし……。
私はそうっと自分の足の位置を移動させた。
そして、手から力を抜く。
小さなフライパンは一直線に男の足に落ちていった。
フライパンが足に当たったタイミングで、男の体がびくりと跳ねてナイフが首から少し離れる。
その瞬間を狙って私は男の脛を蹴って逃れようとする。しかし、男のナイフを持っていない方の腕が私の腕をきつく掴んだ。
「このっ、女!」
ホーンラビットが男の大声に驚き、こちらに突進してくるのが見える。
私は男に腕を掴まれてこけてしまい、向かってくるホーンラビットの動きがとても遅く見えた。
あの角、解体を手伝ったから知ってるけど中は空洞なのよね。でも、尖ってるから勢いがついてたら痛いだろうな。
私とホーンラビットの間に院長が割って入り、銃で撃つのではなく、ホーンラビットの腹を下から銃で殴っている。
ホーンラビットはボールのように吹っ飛んだ。
ほっとしたが、男に踏みつけられて痛みと圧で息が止まりかける。
顔だけ動かすと、薄暗い森に振り上げたナイフが光った。
思わず目を瞑る。
老人に縋りつかれた時もだが、案外こういう時に反撃というのはできないものだ。
燃えるような痛みを覚悟したが、なかなかやってこない。
恐る恐る目を開けると、男は離れたところに倒れていた。
男の上にはノアが乗っかっている。
「セーフ! あー、やっぱりメガネ先輩じゃなかったか」
ははっと笑うノアは手慣れた様子で暴れる男を制圧して拘束する。
ベールを元通りにしたアリアに手を差し出されて起き上がった。
「はぁ、良かった良かった。アタシはノアが間に合うって信じてたよ」
「ギリギリで間に合いました」
ノアの後ろからは騎士団の制服を纏った人々もやって来る。
「危なかったよ。弾は全部撃っちまってたからね」
あぁ、だから院長はホーンラビットにも男にもすぐ発砲しなかったのか。
勇ましく助けに来てくれた院長の引っさげた猟銃がまさか空で撃てないなんて思っていなかった。
「ごめんね、クレアちゃん。こいつ、手荒な方法でここを割り出したみたいで。騎士団が後手に回っちゃって。でも、なんとか間に合って良かったよ。無事?」
アリアに支えられて震えながら、私は微かに何度も頷く。
怖かった。でも、院長とアリアがしっかり守ってくれた。
アリアの腕をぎゅっと握ると、彼女も握り返してくれる。
「アリアちゃんの腕輪はまた制限かかるからね」
「あんまり使いたくないから。かかってた方が助かる」
「三十パーセント解除で男たちほとんど一網打尽だよ? 凄いね」
「そいつには効かなかったから、特異体質がいたら私はダメ」
アリアには特別な能力があるらしい。
彼女の声を聞いて私も頭がクラクラしたり、不思議と恐怖がなくなったりした。
じっとアリアを見つめていると、彼女は私の視線に気づいて一瞬こちらを見たが、すぐに悲しそうに視線を逸らす。
「気持ち悪いでしょ、ごめんね」
その一言にアリアの性格と悩みのすべてが凝縮されている気がした。
彼女は自分の能力を嫌っていて、誰も傷つけないためにこの修道院にいるのだろうとも思った。
「あ、いえ。アリアさんのおかげです。大丈夫って言ってもらって、ナイフ突き付けられてもなんとか平気でした。ほら」
今更ながら、体のどこから生まれているのか小刻みの震えがどんどん襲ってくる。
こんなに震えていたら、男の足にフライパンなんて落とせないところだった。
「大丈夫」
アリアが私の手を掴み、ベールを少し下げながら告げる。頭の中にすっとその言葉は入ってきて、不思議と震えが止まった。魅了使いなんて言われていたが、凄い。
「クレア!」
思わずほぅと息を吐いたところで、懐かしい声が向こうで上がる。
アリアの能力で倒れていた柄の悪い男たちが騎士団に回収されていっている中で、ロランを連れた騎士が困った様子でこちらに歩いて来た。
「ノアさん。この男性、自分は被害者だって言うんですが……オオカミの入れ墨もどこにもないですし。でも、取り調べはあいつらと同じでいいですか?」
「クレア! 無事だったんだな!」
私に寄ってこようとするロランを騎士が困った顔で引き止めてくれる。
無意識に私は一歩下がっており、気を利かせてくれたアリアがロランから私を遮るように立つ。
「クレアの部屋の前まで行ったらあいつらに捕まったんだ! クレアの居場所を吐けって言われて……知らないって言ったらここまで連れてこられてさ。どのピンク髪かって散々聞かれて……」
「えっと、何か私に用があったの? 部屋の前まで来たって。特にロランの家に何も置いてなかったでしょ」
私の忘れ物を届けに来てくれて誘拐・監禁されたなら私も申し訳ないとは思うが、あんな別れの言葉を吐いておいてなぜ会いに来たのだろうか。
「いや、その、仕事で疲れててクレアに酷いこと言ったなって……」
アリアという細い壁でロランは中途半端にしか見えないので、少し安心して会話ができた。
「でも、ロランは浮気してたでしょ。黄色のピアスがあったじゃない。あの彼女には振られたの?」
「なっ! 知って……」
「うわぁ……」
ロランの反応にアリアから呆れが漏れている。
院長とノアのことが気になって振り返ると、ノアと院長は拘束した男の上に二人して座り込んで「気にせず続けて、続けて?」とばかりにこちらを眺めながらプハァと一服していた。
「まさか……その彼女に振られたから、私に適当に謝ってまた夜食でも作らせようとしたの?」
「振られてない! ただ、金を持ち逃げされて! 急に連絡が取れなくなったんだよ! 家に行ってもいないし! 計算も接客も得意で書類仕事だってやってくれるって話だったのに!」
「うわぁ……」
アリアと同じ、呆れの声が漏れてしまう。
「ねぇ、その女性の容姿ってどんな感じ~?」
呆れていると、ノアがのんびりとロランに声をかける。
「栗色のウェーブした髪で、名前はカタリナ。美人だ」
相手が騎士だと状況で分かっているせいか、ロランは素直に答える。アリアは腐った生ゴミでも見る目でロランを見ている。
「めっちゃ抽象的だけどさ、もしかしてバーで会ったんじゃない? あと、ウサギの入れ墨なかった? 二の腕あたりに」
「……あった! その通りだ! え、なんで騎士の方が知って……まさか……常習犯?」
「ふふふ」
ノアは意味深長に笑っているだけだが、その女性は詐欺の常習犯なのだろう。
ロランはがっくり膝をつきかけたが、ハッとして私を縋るように見てくる。
「だ、だからさ、クレア。俺が間違ってた。やり直そう! 食堂に行っても急に辞めたって言われたし、こんな廃れた修道院に匿われて! 王都に戻ってやり直そう。今度こそ二人で立派な商会を作ろう!」
「お、盛り上がってきたねぇ」
院長が茶々を入れるが、盛り上がっているのはロランだけだ。
「え、嫌です」
「へ?」
アリアが空気を読んだのかそっと退いてくれたので、私はロランと相対する。困っている騎士もロランを離さないようにしながら少し下がってくれた。
ロランは先ほどの私の言葉が聞こえなかったのか、私の姿を見てパッと笑顔を見せる。以前まではこの笑顔が見たくて仕事帰りに会いに行っていた。
「私はマナーも喋り方も書類仕事も計算もできないバカなピンク髪なんでしょ? そう言って別れたじゃない。立派な商会を作ってトップになるなら、一度した発言には責任持たないと」
「うわぁ……」
今度はノアと院長からそんな声が漏れた。
「どうせ、ロランのことだから私の貯金目当てなんでしょ。お金持って逃げられたって言ってたし。私たち、一度貯金の額を教え合ったもんね。それを思い出して、一から新しい女性を探すのが面倒で私を訪ねただけでしょ。誰かに借金か融資でも頼んでみたら? それに今の私はクレアじゃなくて、シスター・シンクレアだから」
院長が立ち上がって近づいてきて、猟銃を差し出す。
「使うかい? 女はね、舐められたらいけない時があるんだ。それが今だよ」
頷いて猟銃を受け取ると、弾が入っていないと分かっているのでロランに見様見真似で向ける。
「ということで、ロランはさっさと帰って。私はここで生きていくから。もしまだ私に復縁を迫る様なら、この猟銃がロランのどこに当たるかでも神様に聞いてみる?」
ロランを掴んでいるせいで一緒に猟銃を向けられる騎士は可哀想だが、弾はもうないので勘弁してもらうとしよう。
「ク、クレア……浮ついたのは悪かったけど……」
「十、九」
「あの女は犯罪者だったんだし」
「八、七」
私はカウントダウンをしながら、焦りつつも喋るロランに少しずつ近づく。
「クレアって俺と結婚したがってただろ?」
「六、五」
「わ、分かったよ。結婚しよう! ほら、クレアは家族が欲しいって散々」
「四、三」
「意地張るなって! 俺が忙しくてなかなかプロポーズしないから怒ってたんだろ?」
「二、一」
私はロランのすぐ側まで近づいて構えていた猟銃を下ろす。
ずっと前にその求婚の言葉を言って欲しかった。ロランが忙しくなる前、仕事を辞める前くらいに。もう、遅いのだ。私が家族が欲しいと分かっていたのだから。
ロランは許されたとでも思ったのか、あからさまにホッとした顔をした。
「私はシスター・シンクレアだって言ってるでしょ。人の話をちゃんと聞いてね」
私は下ろした猟銃をすっと振って、ロランの、というか、男性の弱点に当てた。
ロランを掴んでいた騎士は慌てて飛びのいて、自身の股間を隠していた。




