積もる毒
治療したエルフは三十人程だった。
……この程度の数で薬が足りないとはどういうこと? ひょっとして……病人か薬が隠されていたりする……?
まぁ、証拠もないのに問い質した所で何も答えてはくれないだろう。心のメモ帳に記しておくに留めておく。
晩御飯の時に、長老一人が苦々しくわたしのことを見ていたり、長老二人がより一層擦り寄ろうと媚びを売ってきたのもとりあえず置いておく。
長老たちの中で唯一温和お爺ちゃんは素直に感謝してくれて……ザギも一言だけどお礼を言ってきた。ちょっと意外であったがこれもさておき。
今はそれよりももっと気になることがある。
「……さて。何かわたしに言いたいことがあるんじゃない?」
寝室に戻り、今日もフリッカを指名してのお話しタイムである。
フリッカは今日一日、正確にはわたしが最初の一人を治療した後から明らかに様子がおかしかった。
深入りせずに放っておくか立ち入るかで天秤が揺れたけれども、最終的に後者に傾き、今こうして質問をしている。
ウルには事情を軽く話して先に寝てもらった。一度寝てしまえばなかなか起きない子だし、もし目が覚めたとしても空気を読んで寝たフリをしてくれることだろう。
部屋に呼ばないと言うのも考えたけど……いつ体調が悪くなるとも限らないからね。
「……」
じーっと見つめるも、フリッカは俯いたままでわたしと視線を合わせようともしてくれなかった。
それでも、逃げないのであれば全く話したくないわけでもないのだろう、と思うことにして手持無沙汰でウルの頭を撫でながら根気よく待つ。
その甲斐はあったのか、やっと、絞り出すように口を開いてくれた。
「聖水……」
「ん?」
「聖水で、あの病は……治ったのですか?」
ふむ? 気になるのはそこ? と言うことは……。
「……自分の作った聖水で治せなかったことを悔やんでいる?」
「……っ」
図星だったようだ。なかなか表情が変わらない彼女にしては珍しく顔を大きく歪めて、今にも泣きそうな顔をしている。
聖水で草木の衰弱状態が多少とは言え解消されたのだ。藁にもすがる思いで病人に掛けたこともあるのかもしれない。でも……効果は芳しくなかったのだろう。
「質問の答えは、おそらくNO。神子が聖水を使うことによって効果が高くなっているからね」
わたしが作った聖水と言うだけではダメで、わたし自らが使用しなければならない。ライザさんの時がまさにそうだった。
……そう言えば、他人が作った聖水をわたしが使うとどうなるかはまだ検証してなかったな。またの機会にやっておこう……いやそれはともかく。
フリッカのスキルレベルがとんでもなく高ければ治ったかもしれないけれど……わたしの聖水による聖域化エフェクトに驚かれていたのだ、そこまでではないだろう。
あくまでゲーム時代と比較してだけれども、そもそもたかが聖水で瘴気ダメージが治るのがおかしいのだ。他の上位の聖属性回復アイテムがない以上、治せないのは仕方ない、とも言える。
「仕方ない……ですか……」
フォローのつもりで言ったのだけど……余計な一言だっただろうか。声が、湿り気を帯びてきた。
フリッカは小さくしゃくり上げ、それでも涙を零さないように深く呼吸をして、失敗して。
ポタリと、一滴落ちた。
「私の母は、二か月前に、同じ症状で亡くなりました」
「――」
それは、確かに……『仕方ない』で済ませられない、かな。
「自分の力の無さを恥じるべきとは思いますが……それと同時に……神子様が、もう少しだけ早く来てくだされば……そう、思ってしまいます」
二か月前、か。
まだ一人で拠点を作っていた頃かな。
どうしようもなかったとも言えるし……運によってはどうにか出来たとも、言える。
仮定したところで無意味と知りつつも、わたしは聞いてしまった。
「……わたしを恨んでいる……?」
フリッカは目を瞠り、しばらくわたしの方を見てから……俯きながら首を振った。
「……いいえ……神子様を恨むことは、創造神様への冒涜となってしまいます」
そんな彼女の回答に、わたしは頭が白くなってしまった。
……創造神の神子だからだなんて。
『たかがそれだけのこと』で口を噤ませてしまうだなんて。
それは、あまりにも――
傷付いている人に追い打ちをかけるように。
ただただわたしが楽になりたいがために。
わたしは、知らず知らずのうちに溜まっていた毒を、ぶちまけた。
「恨んでいい」
「……えっ?」
フリッカは声をあげると共に、わたしへとまた視線を向ける。その瞳は困惑に彩られて。
……レグルスやリーゼは何も言わなかったけれども、ひょっとしたら内心で同じような思いを抱いていたかもしれない。
『もっと早く』
『どうにか出来なかったのか』
彼らはわたしよりよっぽど善良だからそんなことは全く思ってない可能性の方が高いけれど、それでも時折そう思ってしまう。
わたしが『神子だから』、苦情を言わなかったのかもしれない、と。
「疑ったっていい。嫌ったっていい。何を思ったっていい」
神子だから正しいのか?
……そんなこと、あってたまるか。
「ただ一つ、『神子だから』と妄信だけはしないで欲しい」
ボーアの時みたいに効果を捏造されて疑いを掛けられるようなのは困るけれども。
誰も彼も持ち上げようとしてくるのは……もっと困る。
嫁だの婿だの、愛情の有る無しも重要だけど、根本的に受け入れられなさそうなのはこの点なのだろう。
わたしにただただ追従するのはダメで。わたしを良いように操って能力を私的に使わせようとするのももちろんダメで。
「だって、わたしは……能力を与えられているだけの、ただの人間に過ぎないのだから」
創造神ですら完璧ではない。
あの神が完璧なのだとしたら、そもそも神子に頼る必要すらない。
神様ですらそうなのに、尚更人間であるわたしが完璧であるはずがない。
何でも出来るだなんて自惚れだ。
自信なんてない。間違っているかもしれない。余計事態が悪化することもあるかもしれない。不安一杯でいっそ涙が出そうだ。
「わたしのやっていることが間違っているなら諫めていい。怒りに触れることなら怒っていい。受け入れられないなら拒絶していい」
スキルがあっても不足しているものだらけなわたしを誰も正してくれないだなんて、恐ろしくてしょうがない。
わたしが暴走して世界を壊し始めたら一体どうするのだ。
まぁその時はさすがに創造神かウルが止めてくれるだろう。
……あぁ、わたしがウルを好きな理由に、これもあるのかもしれない。
彼女は強いから。頼れるから。寄りかかれるから。
わたしが弱いから。住人たちに寄りかかられるのが、期待が、重いから。
神子として扱われることに……少し疲れているのかもしれない。
それでもわたしは、神子なのだ。
捨てることも逃げることも出来ない。進むしかない。
そのように後ろ向きではあっても、わたしに出来ることなら、したいと思う。
だから。
「そんな、欠点だらけの未熟な神子だけど……助けられるものなら……助けたかったよ。……間に合わなくて、ごめん」
「――っ」
身勝手なわたしの一方的な独白をフリッカは黙って聞いていたのだけれども。
最後の一言で、怒りに火をくべてしまったようだ。ぎゅっと手を握りしめ。
「っ……謝らないで、ください……っ!」
ドンッとわたしの胸を叩いてくる。その強さよりも、泣きそうな声に痛みが走った。
再度拳を振り上げるので、衝撃に耐えるよう目をぎゅっと瞑ったら……その手は、そっと降ろされた。
「知っていて見過ごしたのならともかく、知らずに過ぎ去ったものはどうしようもないのです。
自分なら出来たかもなんて有りもしない未来を謳うのは、それこそ酷い自惚れです……!」
フリッカが抱いた怒りは、わたしの想像したものとはちょっと違ったようで。
どうやら……わたしが、わたしを責めたことに、怒ってくれている……らしい。
「だからどうか……背負わなくていいものまで、背負わないでください。貴女の責でもない傷を付ける必要は、何処にも無いのです」
そして最後に「……責めようとしてしまった私が言えることではありませんが」と自嘲する。
どう答えたものか詰まってしまい、わたしはぽりぽりと頭を掻く。
「えーっと……結局、恨まないの?」
「何故ですか? 貴女一人で全世界の住人一人残らず救えるとでも? もう一度言いましょうか? 自惚れ屋ですね」
わーお、言われてみれば超絶無理ゲー!
とは言え、それで納得出来る人ばかりと言うわけでもないんだろうなぁ。
「……私が貴女に言うことがあるのだとすれば」
わたしの内心を読んだかのように付け足してくる。
添えたままだった手を離し、少しだけ後ろに下がってから。
「アルネス村の病人を救っていただき、ありがとうございました」
そう、深く頭を下げてきた。
「うん……どういたしまして」
「神子様……いえ、リオン様」
「……うん?」
「今後私は、貴女が神子だからではなく、貴女であるからこそ、この手をお貸しします」
神子ではなく名前で呼んだ。
それはつまり、『わたし』を認識してくれたということで。
その行為に……救われた気がした。
「……そっか……改めてよろしくね、フリッカ」
どうせなら『様』も止めてほしい所だけれども、言っても止めてくれなさそうな予感がしたので言わないでおいた。神子呼びでなくなるだけでも気楽になるし。
……大分後になっても様付けされるので理由を聞いてみたら、こっ恥ずかしいことを真顔で言われたとだけ記しておく。




