死海の傲慢なる災禍
――現世に渡るのは、この俺だ!!
確かにそう聞こえた。
……まさか、このダンジョンのガーディアンでもあるドラゴンゾンビ?は、トランスポーターが再稼働する日を虎視眈々と待っていたと言うことなのか……!?
稼働寸前であるトランスポーターの前に立ちはだかられて無視して通り抜けることも出来やしないし、出来たとしてもこいつを放置して現世に行った暁には必ず追ってこられて、繋がっている場所によっては大惨事になることだろう。くそっ、こんなことならアイティの言う通りに場所を変更しておけば良かった……!
『アァ! アァ! ドレダケ待チワビタコトカ! 私ハ必ズ現世二帰ルノダ! 世界ガ俺ヲ待ッテイルノダ!』
声質は凶悪だけれども、それでもなお明白に歓喜に打ち震えている。震えているのは声帯が損傷しているからかもしれないが。
冥界の赤い空を大きく仰ぎ、生身であればきっと涙を流していただろうがすでにその機能は存在せず、その代わりとばかりに血が溢れている。地面に滴るそれは地を焼き随分と物騒だ。
『私ヲコノヨウナ場所二落トシタ奴ヲ! 俺ヲコノヨウナ見スボラシイ姿二サセタ奴ヲ! 決シテ許スモノカ!! 奴ノ全テヲ蹂躙スルマデ、世界ノ全テヲ俺ノモノニスルマデ!!』
ドラゴンゾンビの独白によると、どうやらこいつは誰かの手で現世から冥界に落とされたらしい。元は立派だったのだろう姿は醜いアンデッドと成り果て、一体どのモンスターだったのかわたしには見当もつかない。
わたしといいアイティといい、落っこちてきた・落とされたヒト・モンスターはどれだけ居ることなのやら。過程だけを聞けば同情をしそうになったけれども……『世界の全てを俺のものにする』なんて言った時点でそんな気持ちは吹っ飛んだ。……行ったところでアンデッドでは日の光に焼かれてすぐに死んでしまいそうだけども……執念で生き続けそうな予感もするのだ。それくらいの確固たる意志が感じられる。
『矮小ナル者ドモヨ。ヨクゾ転送門ヲ完成サセタ。褒美二命ハ見逃シテ――』
一応わたしたちのことは認識していたのだろう。(おそらく)笑みを浮かべ――剥き出しの肉と骨が怖すぎてちびっこでなくとも泣き叫びそうな様相だ――一方的な褒美とやらを与えようとして……ピタリと止まった。スイッチが切れたのかと思うくらいの唐突さだ。
そして……見間違いでなければ……わたしを、見ている。
虚ろな眼窩でわたしを見詰めること数秒。熾火が一気に燃え上がり、大きな炎へと成った。
怒気が、憤怒が、怨嗟が、憎悪が、叩きつけられる。
『貴様ァ……! 奴ノ下僕カ! 俺カラ何モカモ奪ッタ奴ノモノヲ、奪ワズニオラレルモノカ!!』
「……っ!?」
こいつ、創造神の手でここに追いやられたのか……!? そりゃ世界征服?を企んでいそうなヤツだしありえそうなことか!
構えた瞬間、目の前が暗くなり――
ガギンッ! と固い物が打ち合う音が、すぐ側で轟いた。
「リオン! 離れろ!」
「――っ」
アイティの声に半ば反射的に後ろへ飛ぶ。そうすることで、わたしの頭があった位置のほんの少し前でドラゴンゾンビの爪とアイティの剣が交差しているのが見えた。
あと僅かでもアイティが遅ければわたしの頭が砕けていたことに、遅ればせながら寒気が走る。モーションが全然見えてなかった……!
『逃ガスモノカ! 貴様ノ無残ナ死肉ヲ、奴ノ眼前ニ叩キ付ケナケレバナラヌ!!』
「追わせるものか……っ!?」
ドラゴンゾンビの動きを留めていたアイティだったが、ドラゴンゾンビの怒りに呼応するかのように周辺からモンスターがわらわらと沸き出し焦りを見せる。ダンジョン核の力を使ったか!
血の海からガベージスライムやブラッディスライムが、血の海の周辺から同じように肉や骨を素材としたアンデッドが大量に、嫌になるくらいに動き出した。作成した橋を壊してしまえば辿り着けないのではと思ったけど、きっと奴らは自身の肉で血の海を埋める勢いでこちらにやってくることだろう。わたしたちの足場が減って不利になるだけに終わりそうなので止めておくべきか。
「くっ……リオン! こいつは私が止める! リオンは周囲のモンスターを何とかしてほしい!」
『……その死に損ないは俺も相手をしよう。アルバもリオンに付いていくがよい』
「わ、わかった。アルバ、行くよ!」
「ギュ!」
この場において最も強いであろうドラゴンゾンビはアイティとウェルシュに任せるしかない。結構鍛えてきたつもりだったけれど……先ほどの一幕でわたしでは足手まといにしかならないと思い知らされてしまった。雑魚掃討も立派な仕事だと割り切ってアルバを引き連れてトランスポーター前の陸地から離れ、橋を渡る。
背後からドラゴンゾンビの叫びが聞こえてきたけど、彼女らを信じて振り向きはしない。
「出し惜しみはなしだ!」
これまでの冥界での戦いとは違い、脱出間近であればアイテムを節約する必要はない。むしろ下手に出し渋って押し切られる方がよっぽどマズい。
「行けっ、ライトシャワー!」
取り出し、頭上に投げたそれは言わばただの照明だ。しかし光属性のそれは冥界において大きな効力を発揮する。距離が近いアンデッドモンスターほど影響を受けて弱体化し、元々弱いヤツは灰になったりする。
残念ながらスライムにはダメージがないので、そいつらにはフリージングボールを投げつけ凍らせていく。普段であれば割って倒して行くところだけど、あえて放置することで血の海の底に潜んでいる他のモンスターの進出を塞ぐフタ代わりになる。
「んでもって、全部浄化しろ! セイクリッドフレイムフィールド!」
橋を渡り切ったわたしは、今回は余裕がないので鎮魂の意は籠めていない、ただの聖属性の炎を展開して広範囲にアンデッドモンスターたちを焼いていく。そもそもこんな場所に普通のヒトの犠牲者は居ない……はずだ。万が一トランスポーターから迷い込んで来ていたら申し訳ない。
「アルバ!」
「ギュア!」
詳細を指示するまでもなく意を汲んでくれて、焼け残ったアンデッドモンスターたちにトドメを刺していく。モンスターたちが弱体化しているのもあるけど、すっかり強くなったものだ。
死の気配が濃すぎて完全に地を浄化することは無理だけれども、新たなアンデッドモンスターの発生を激減させることは可能なはずだ。わたしは出来るだけ広範囲の浄化を進めながらアルバと共にひたすら雑魚たちを片付けていくことに決めた。
「ほいほいほい! っと!」
「ガアアッ!」
わたしが各種広範囲攻撃アイテムを大盤振る舞いして、アルバがわたしの前に立ちアイテムの雨を潜り抜けてくるモンスターを倒す。多くはその繰り返しだ。脳みそまで腐っているのかアンデッドモンスターたちの動きは単調で、大半がそれで倒れていく。
しかし稀に強い個体も混じっており、そのような相手には白兵戦をすることになった。……訓練しておいてよかった。冥界に来たばかりのわたしだったら絶対にやられていた。
わたしが攻撃を受け止めている間にアルバが、アルバが攪乱している間にわたしが、上手く連携を取ることで少しばかり危ないシーンもあったけれども倒していく。
――ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァッ!!
モンスターたちは業を煮やしたのか、数を排出するのをやめて、大きな大きな一体を作り上げた。七・八メートルほどの高さがあるキャリオンゴーレムだ。地を這う虫を叩き潰すように太い腕を振り降ろしてくる。
けど、巨体になったことで鈍くなった。どれだけ攻撃力があろうと、当たらなければどうと言うことはない!
わたしはあえて前に突っ込み、キャリオンゴーレムの腕を潜り抜け、すれ違いざまに足を聖水を振りかけた剣で斬り付ける。……骨が多すぎて断ち切ることは出来なかったが、聖属性で傷を付けられたことでグズグズと溶け出していく。
そして巨体ゆえに重く、さらにはめちゃくちゃに体を作ったことであっという間にキャリオンゴーレムはバランスを崩し、転んだところを滅多切りにしていった。
よし! と心の中で快哉を叫んだが、直後にゾクリと悪寒がしてアルバに声をかけつつ大きく距離を取ると。
キャリオンゴーレムの肉体に黒い穴が開き。
穴は広がり、うぞうぞと吸い込まれるように大量の肉が消え。
静かになったかと思えば、穴が布のように変化して大きく盛り上がり。
布の端から闇が溢れ……骨の手が、大きな鎌が形作られ。
最後に、フードと、髑髏が、姿を現す。
――クカカカカカカカカカッ!!
暗い哄笑が、響き渡った。




