それは狂気か、あるいは――
「ウル、フリッカを――」
その言葉を最後に、リオンは肉の津波に呑み込まれていった。直前の行動で一人だけ爆心地に近かったため、逃げる間もなく捕らえられてしまったのだ。
すぐさまリオンの救出へと向かいたいところであるが、規模があまりに巨大ゆえに後方に居た我らとて津波からは逃れられない。まずはリオンの願い通りに、リオンよりか弱いフリッカを守らねばならないだろう。
……あの誰がどう見ても怪しさ満載の男を前に何も出来なかった汚名を返上したいのであるが……歯痒いのである。
「フンッ!!」
我らに迫る肉の壁に拳を振るう。強度は然程変わっておらぬのか、前回と同じく容易く肉は弾けた。しかし再生能力もであるが、それ以上に増殖が速くて後から後から迫ってきてキリがない。更に、下手に肉を弾けさせると、分離した肉から骨の手足が生えて襲い掛かってくる始末だ。
それでも心折れることなく続けなければ、窒息死か圧死が訪れるだけである。
「フリッカ、主はとにかく火魔法を頼む!」
「……えぇ、心得ています」
幾度となく拳を打ち据え、空間を確保しながらフリッカに伝える。
フリッカに焦燥の色は見えるが思ったよりは取り乱しておらぬな。リオンの無事を信じているのか、それとも場数を踏んだことでフリッカの精神も強くなったのか。まぁ我とてこの程度でリオンが死ぬとは思えぬが、自力での脱出の目途が立たない可能性も考えて合流を急いだ方がよかろう。
「ファイアウォール!」
肉の壁に対し火の壁を作り上げる魔法をフリッカが唱える。火に弱いと言う点も同じでよく焼けてくれるが、やはりどんどんと肉が押し寄せてきてほんの数秒の時間稼ぎにしかならなかった。
むぅ……焼けたことで香ばしい匂いが濃くなったのである。腹が減った。フリッカは嫌そうに涙目で鼻を覆ったのでここも変わらずであるか。
……そう言えばあの男が、美味そうな匂いと感じるのは『化け物だから』と言っていたのであるな。その後の説明を事実とするのであればモンスター向けの物であるはずだが……モンスターそのものであるヘリオスと種族不明な我はともかく、創造神の神子であるリオンにまで影響が出ているのはどのような了見であるのか。汚染とは一体何なのだ……?
いやそもそもあの男の言葉が正しいとは限らぬが……全て妄言の類と断じるのも引っ掛かりがある。……とは言え今考えても詮無いことであるのでひとまず横に置いておき、肉に集中せねば。
「ハアッ!」
「ファイアボール!!」
我の拳とフリッカの魔法で攻撃を続けているが、状況は好転せずにただただ防戦一方となってしまっている。いくらダンジョン核を吸収したとは言え無限に再生することはないはずである。このまま継戦すればいずれ終わりは見えるであろうが……それは続けられればの話で、奴のエネルギー切れの前に我らの息が切れるやもしれぬ。何か打開策を考えねばならぬな。……我は力押しばかりで、頭脳労働はリオンに頼ってばかりいたツケが回ってきたのであろうか。
ボボボボボボボッ!!
「むっ……ヘリオスであるか!?」
我らの頭上の肉が焼けて久方振りに天井を拝むことが出来た。その隙間を縫ってヘリオスが巨体を割り込ませてくる。
「ヘリオス! リオンの位置はわからぬか!?」
「わからないから、音でわかりやすかったこちらにキタ!」
残念ながらリオンはまだ埋もれているようだ。
音で我らの位置がわかり、リオンの位置がわからないと言うことは……リオンは我らほどしっかりと抵抗出来ていない……? ……これは危険かもしれぬな。
「ヘリオス、前方の、リオンの居そうな位置にブレスを――」
「それでは最悪リオン様まで焼けてしまいます。せめて位置が判明してからでないと……!」
「……それもそうであるな」
閃いたと思ったのだが、フリッカに即駄目出しを食らってしまった。よくよく考えなくても、ヘリオスの強力すぎるブレスでは起こりうる結末だ。我とは違って物理以外の力があったとてままならぬものよのぅ、残念である。
「……地道に削るしかないか。我とフリッカの二人で相手をして膠着していたのだ。ヘリオスが加わればダメージの方が大きくなり押し返すことも出来るであろう」
「……そう、ですね……」
「元より俺はこの塵を全て焼くツモリダ」
そうして力を合わせることで、目論見通り肉の再生速度を追い越し、少しずつ削ることが出来るようになった。このまま押し切る!
その矢先に。
『ああああああああああっ!!』
バヂィッ!!!
くぐもってはいたが確かにリオンのものである絶叫と、異音が響くのだった。
肉が震え、衝撃がこちらにまで伝わってくる。リオンが何か効果の強いアイテムでも使ったのであろうか?
「リオン様!?」
攻撃の掛け声だとしても異様な色を帯びていたそれにフリッカが焦りの声を上げた。
しかしリオンの応えはない。聞こえてないのか、応じることが出来ない状況なのか――
「ヘリオス! 位置の特定を急ぐぞ!」
「……いや、その必要はなさそうダ」
「……なぬ?」
修復されてしまった頭上の穴がいつの間にかまた空いていた。そこから首を出しながらヘリオスが告げてくる。
肉の坂を駆けのぼり同じように見回してみれば、もう一つ、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
チリ――と、何かの力の残滓を感じる。
……はて、どこか知っているような気配…………あぁ、アイロ村の時のものか……?
あの時もリオンは普段は魔法が使えなくて困っているのに、雷の魔法を使ったのだった。土壇場で力を発揮するタイプなのであろう。
と言うことは、先ほどのは雷の発生音であったか。いくら肉が熱に弱いからと言って、ヘリオスのブレス並みの大穴を空けるとは強力であるな。
「ウルさん、どうなっているのですか!?」
「……おっと」
呑気に観察している場合ではない。リオンの攻撃の影響か再生が止まっているので、この好機に早くあそこに行かねば。
我はフリッカを引き上げ、抱え上げて、その場まで一息にジャンプで移動をする。
随分久しぶりに見た気がするリオンは……腹を抱えて蹲っていた。
「リオン様! 大丈夫ですか!?」
「――」
駆け寄るフリッカにやっとリオンは反応を見せ、のろのろと顔を上げる。
その顔は……血と涙と鼻水と涎で汚れていた。……明らかに尋常ではない。
フリッカが頭からポーションを振りかけて血を止め、どこかから手ぬぐいを取り出して汚れを拭い取っていく。その間、リオンはされるがままで一言も話さなかった。
ずっと、荒い呼吸で……腹を抑えていた。
「まさか……喰ったノカ!? あの肉ヲ!!」
「なっ――」
ヘリオスの叫びに我も目を剥いた。
リオンはフリッカにポーションを使用され、外傷が塞がったにも関わらず蹲ったままだ。ザッと観察したところ回復が足りないわけでもないであろう。
であれば……ただの傷ではなく状態異常が発生しているということであるか……!
しかし、念の為、と予め持たされていた万能薬を使用してもリオンが治った様子は見受けられなかった。
くそっ……効能が足りていないか、特殊な状態異常であるか!
「ヘリオス! 治す方法は知らぬか!?」
「……知らナイ。食べたヤツは、全員体が肉になるか、狂うかのどちらかダッタ」
「……そん……な……リオン様……っ」
リオンの作ったアイテムですら効果がないのであれば、我らがどう足掻いたところで何も解決出来やしない。フリッカの顔が絶望に彩られ、我も無力感に苛まされる。
更に追い込んでくるように、肉が活動を再開しようとしていた。貴様の相手をしている場合ではないと言うのに……!
ともあれ、まずはリオンの身を守らねば始まらない。この怒りをどうぶつけてくれようか、と拳を握りしめたその時。
「……あぁ、そう、だね……」
「リオン様! ご無事……で……?」
リオンが、フラリと立ち上がる。
奇声を発するでもなく、正常そうな呟きにフリッカが喜びを見せたのも束の間、怪訝なものへと変化していく。
リオンはフリッカを見ていなかった。我も、ヘリオスも見ていなかった。
茫とした目で、肉に向けて右手を翳し――
「……塵は、破壊しないと……」
「……なぬ……?」
その言い回しに違和感を覚えたが、原因を探る間は与えられず。
バチィ!とリオンの右腕から小さな紫電が迸り。
肉が爆ぜ、ポッカリと、威力に見合わぬ穴が開くのだった。
……ず、随分と強力であるな……?




