肉の海
男性の手から離れ、綺麗な弧を描くダンジョン核。キャッチしなければ、と慌てて駆け出すがこの手が届くはずもなく。
ダンジョン核が肉塊の上に落ちたと同時に、動きを止めていたはずの肉塊がうぞりと蠢いてダンジョン核を奥へと取り込んでいった。
エネルギーを補給したことにより、ビクリ、ビクリと心臓の鼓動のような蠕動を再開する。
「しまっ……死んでなかった!? 動き出す……!」
わたしの焦りも何のその、「じゃあねぇー」と軽い言葉を残して男性がどこへともなく消えていった。
……おのれ! 敵対したくないと言った直後、舌の根も乾かぬうちに危険な目に遭わせようとするなんて、やっぱり何もかも信用出来ない!
あのヒトは自称創造神様の味方で神子には(比較的)親切であっても、それ以外はどうでもいい、むしろ死んでくれとすら思ってる。決してわたしの味方にはなりえないし、そもそも鬼畜な研究内容からして味方にしたいとも思えない、味方にしたらこちらが破滅させられそうな危険人物だ。
それに、言っていたことは恐らくどれも本当のことなのだろうけれども、重要なことはたくさん隠して自分の都合の良いように話して印象操作をしようとしていた。滲み出る、むしろ隠す気があるの?ってくらい溢れる悪意から、これは絶対と言い切れる。
要するに……わたしの敵だ!!
生き残れたら、だって?
今はどう頑張っても敵わない相手であっても、いつか必ず、あの男性の、あんにゃろうの研究やら悪だくみやらは全部ぶっ潰してやる……!
……その前に、すぐ目の前の危機を乗り越えなければいけないな。
まだ新たなキマイラは生み出していなけれども、今にもそこかしこから破裂して噴出しそうな肉塊を睨みつける。
ダンジョン核を得たとしても、補給されたエネルギーが切れるまでひたすらダメージを与えるか、ダンジョン核を探し当てて取り出せば終わるはずだ。最悪、先刻の火耐性キマイラのように特性が変化している可能性もあるけれど、それは戦ってみなければわからない。
「皆、落ち着いてまずはさっきと同じように――」
やっていこう。そう言い切る前に。
ゴボボボボボボバババアッ!!
肉塊が急速に膨張し、高波となり……わたしたちの方へと覆いかぶさってきた。
「えっ――」
「リオン! そこに居ては危ない!」
「リオン様!?」
後方から悲鳴が聞こえてくるが、わたしの体は動かない。動けたとしてもこの速さでは間に合わない。規模からして、わたしだけでなく皆が巻き込まれてしまう程のものだ。
呆然とするわたしの視界の全てが、肉で埋め尽くされ――
「ウル、フリッカを――」
守って!
寸前、我に返って叫んだわたしのお願いは肉の津波に流されて届かなかっただろう。それでもきっと、ウルなら何とかしてくれる。
そんな思考は、肉の海で溺れさせられることで泡のように零れていった。
「ぐぅ……っ!」
ギリギリと、あるいはネチョネチョと。
前後左右天地から、わたしの全身を圧迫してくる。わずかに体を動かすくらいなら出来るがそれだけだ。
脱出するために肉を掻き分けようにも水のようにはいかない。武器を取り出して攻撃をしようとしても、武器ごと絡め取られて数ミリずつくらいしか動かせない。それでも肉は大変柔らかいので切れていくのだけれども、その程度なら当然再生の方が速く焼け石に水だった。
呼吸が覚束なくなってきた。大きく口を開けて空気を貪りたいが、口を開けたその隙に肉が押し寄せてきそうでとてもじゃないけど出来やしない。水中ではないので、たとえ水中呼吸アイテムを持っていたとしても使えないだろう。酸素ボンベくらいは開発しておくべきだったか。
更に、鼻先で脈動する肉が強烈な匂いを放ち、わたしの食欲をガンガン増幅させてくる。ダンジョン核を吸収したところでこのおかしな特性は失われていなかったようだ。どんどん食べて行けば外に出られるのでは?何てあまりにもアホな考えすら浮かんできてしまうので、必死にこらえる。
暴力的なまでの刺激臭に、頭がぼんやりと霞がかってきた。あるいはただの酸欠だろうか。
あわや意識を手放しそうになる手前に、ドンッ! と肉越しにわずかに音と振動が伝わってきて気付け代わりになった。ウルかヘリオスが暴れているのだろう。わたしの方まで来て助けてくれるとありがたいのだけれど、音の大きさからしてまだ先は長そうだ。
くそう、わたしにもそれくらいの力があれば、無理矢理にでもこの腕をブン回して窮地を……あっ。
ヘリオスで思い出した。この身にはまだヘリオスの守護が残っている。
であれば、多少の火攻撃を行ったところで、ダメージは入らないもしくは軽減されるはずだ……!
よし、ブラストボール……は威力が強すぎてさすがにゼロ距離では怖すぎるので。
「いっけぇ……ファイアボール……!」
ゴウッ!!
わたしの胸の前に出現させたファイアボールは肉塊を焼きつくしていった。どうやら火にめちゃくちゃ弱いところも失われていなかったようだ。これは大きい。
しかし、ゼロ距離で炸裂したそれはわたしにも降りかかる。熱さは感じないが、衝撃までは軽減してくれなかったのだ。
わたしの体は背後の肉壁に押し付けられ、カハッとわずかに肺に残っていた呼気を全て吐き出してしまう。
無意識に、無防備に、無謀に、口を開いてしまう。
「がばっ――!?」
最悪の予想は、見事に的中してしまった。
眼前の肉は焼けてもまたすぐに再生を行い、その手(?)を伸ばし――わたしの口内へと侵入を果たしたのだ。
「ぐ、ぎっ」
反射的に歯を噛み締めるが、噛み千切った肉は口内に残ったまま自動的に吐き出されたりはしない。
あれだけ美味しそうな匂いを発していた割りに肉に味はなく、無味のスライムでも食べさせられたような食感だった。スライムなど食べたことはないが。
その名状しがたい感触と、口に入っているものの正体と、ヘリオスの警告がなくとも何重もの気持ち悪さで吐こうとする前に、肉は本体と分断されたところで動きは止めず、奥へ奥へと入ってくる。
舌と喉が焼かれた。食道が焼かれていく。熱いモノを飲み込んでしまった時のように、肉が今どこを通っているのか如実にわかってしまう。
すぐさま胃へと到達した。胃壁を焼き溶かす勢いになった。火の塊が中で燃え盛っているのではと錯覚を引き起こす。
めちゃくちゃしんどいけれど、これで胃液に溶かされてくれる……なんて大人しいブツであればモンスターとて狂いはしなかっただろう。むしろ溶かされて吸収された方がマズい事態になるはずだ。
「あ、ああああ……っ」
痛みに耐えきれず、腹を抑えながら膝をつく。上半身が倒れ額を地面にぶつけるが、その痛みが気にならないくらいに腹が、体が熱い。わたしの全身は外気の暑さとは異なる理由で溢れた汗でびっしょりと濡れていた。
気持ち悪くてたまらない。吐きたくて吐きたくて仕方がない。それなのに、吐けない。でも火であれば今なら吐けるかもしれない。
痛い。苦しい。今すぐ喉に手を突っ込んではらわたごと引きずりだしたい。いっそこの腹を掻っ捌く方が手っ取り早いだろうか。しかしそれらを実行する気力は沸かず、腹を抑える手に力を籠めるだけに留まる。気持ち悪さが増した。
苦痛に喘いでいる間にも肉は少しずつ、少しずつ、わたしの胃壁に染み込むように、体内へと吸収されていく。
肉が、侵されていく。
骨が、砕けていく。
血が、濁っていく。
理性が、千々に裂かれていく。
『――――』
黒い何かが、わたしに、囁き。
魂が、破壊され――
「ああああああああああっ!!」
バヂィッ!!!
音が弾け。
白光が、わたしの視界を塗りつぶした。
『――――……テ…………クレ―――――』




