リオン観察記その四
「……早く元気になってください」
その小さな囁きは、不思議と闇を彷徨っているはずの私の意識にまで届いた。
xxxxx
「よう。気付いたか、ネフティー」
「…………れー………ちゃん……?」
鉛のように重い瞼を開け、霞む視界の大半を占めたのは姉妹神である地神レーアの安堵に満ちた顔だった。私が呼び掛けた途端にそれが嘘だったかのように霧散して仏頂面になってしまったけれども。相変わらずちゃん付けされるのが嫌なようで、封印から何年経ったのかわからないけれども、変わらずに居てくれたことに私の方も安堵に頬が緩んだ。
怠くて仕方がない身をよじらせると、ちゃぷりと音がした。……これは生暖かい水……湯の中? それに何故目の前に天人の子まで浸かっているのかしら?
「……レーちゃん、どう言う状況?」
「聞かれずとも説明してやる。アンタはまだ治療中なんだから大人しくしてな」
湯の中に視線を落としてみれば、湯着から伸びる自分の手足が瘴気で酷く汚染されているのが見えた。なるほど、治療中。
今気付いたけれども、浸かっているこのお湯は聖属性値が高い。その上ちょろちょろと聖水が絶えず注がれることで汚れた湯を入れ替え、属性値を保っている。治療には最適だと感心すると同時に、用意された物資量の多さに目を見張る。聖水だけではなく浮かべられた聖花の数もそうだ。ここまで大量の聖花を見たのは一体どれだけぶりだろう。
ゆるりと周囲を見回すと、傍らに設置されたテーブルの上にいくつもの瓶が置いてあるのが目に入った。顔に見合わず(と言うと本神は鼻で笑うのだけれども)目敏く面倒見の良いレーちゃんはすかさず勧めてくる。
「飲むか? リオン……アンタを封印から解放してくれた神子の作ったジュースだ。味は保証するよ」
「ならいただくわ」
飲み物――特にお酒――の味にうるさいレーちゃんが保証するなら本当に大丈夫な代物なのだろう。私は躊躇うことなく飲むことを選択した。
グラスに注がれ手渡される。……このグラスの質も良いわね。それに漂う匂いも芳醇で否が応でも期待が高まり、そっと口を付ける。
「……美味しい」
「だろう?」
味を褒めたはずなのに何故かレーちゃんが嬉しそうである。そのリオンという神子を随分と気に入っているようね? 祭事の度に気乗りしなさそうに対応していたレーちゃんにしてはとても珍しいことだ。
疑問は説明を聞くうちに判明するだろう。私はチビチビとジュースを飲みつつ、レーちゃんの言葉に耳を傾けることにする。……それにしても本当に美味しいわね、これ。体が浄化を求めているのだとしてもビックリの質だわ。
そうして、私が解放された時の状況と、レーちゃん自身のこれまでの状況、神子リオンと周辺の子たちのことなど色々と教えてくれるのだった。
「異なる世界の魂……ねぇ……。創造神プロメーティアも大胆と言うか……罪深いと言うか……」
「まぁ……そうだな」
何杯目かのジュースを飲みながら私は深々と溜息を吐く。
いつものように地に住まう民から神子を選出するのではなく、まさかメーちゃん自身が体を用意して、その上で異世界から魂を呼び寄せるとか、一体何を考えているのだろう?
メーちゃんのことだからそれが必要だと頭で理解して――あるいは本能で察して――行ったのだろうけれども、たまに主神にあるまじきうっかりをするのがちょっと怖いところなのよね。レーちゃんが懸念点として挙げた部分にも気付いてなかったみたいだし……私としては増えても構わないのだけれども、それは神子の子にとって歓迎すべきことなのかしらね……?
「そのせいもあって、リオンは神子としての知識は豊富だが……この世界の常識は通じないと言っていい。だからその……おかしな言動をしてもあまり怒ってやるなよ?」
「はぁい。……でもメーちゃんともレーちゃんとも仲良くやってるのだから、そんなに心配していないけれどもね?」
説明の節々から滲み出ていたし、レーちゃんがこうして庇うことからも、リオンは思考の基準がズレているだけで良い子なのだろう。そもそもメーちゃんが一時期より神子の選出基準を厳しくしてからは早々に悪い神子など出てこなくなったのだけれどもね。
……それでも今現在、もう一人の神子のことについては苦慮しているみたいだけれども、これは私にはどうしようもない。リオンの存在がどう影響を齎すのか、それこそ二人が遭ってみなければわからない……とは思いつつ、私には嫌な予感しかしないわ。甘いはずのジュースが苦くなったような錯覚がした。
「ところで、私は何時その子と会えるのかしら?」
「あー……」
レーちゃんが困窮していることが丸わかりの表情で視線を逸らす。でも会わないわけにもいかないので根気よく理由を尋ねたら……目を剥くような追加説明がされるのだった。
体の調子が少し上向きになり、出歩けるようになったところでレーちゃんに付き添いをお願いすると「まぁ……そろそろいいか」と許可が出た。本当、マメに見てること。
封印から解放されての初めての外。私は興味深くあちこちを見ながらゆっくりと、リオンが居ると思わしき家屋からあえて離れて遠回りをし、主要……ほぼ全ての施設を見て回る。
祭壇から始まり、花壇や果樹園、広々とした畑に牧場。その割にはほとんどヒトが存在していない。村ではないと聞いていたけれども、これだけ人手がなくてよくもここまで維持出来るものね。
広場には、時折レーちゃんに代わり私の様子を見てくれていたエルフの子と、私と一緒に治療されていた天人の子。……そしてドラゴンの子。事前に聞かされていたけれども、実際に目にすると軽く眩暈を覚えてしまうのはきっと体調不良のせいだけではないはず。
しかし私ですらこの感想なのだから……これがメーちゃんの目指すものの一部なのだとしたら、確かにアステリアで生まれた神子には不可能かもしれない。その事実は、メーちゃんにとってどれだけ悲しいことなのだろう。
「ほら、アレだ」
「ん」
少し思考が逸れている間に目的地は目の前になったらしい。家屋の縁に張り出している板の部分に黒、金、緑と、三人の子が並んで座っていた。とても仲睦まじく、いつかの私たちを思い出して思わず顔が綻んでしまいそうになる。
手前の……あの子がウルかしら。黒い子がいち早く私たちに気付いて顔を向けてきたので、口元に人差し指を立てる。何度か目を瞬いたけれども意図を察してくれて、傍から見てもそうとわからないよう小さく頷いてから元の向きに戻った。想像よりずっと素直な子ね。
足音を極力立てないよう、そろりそろりと近付き――
「初めまして、かしら。新しい神子さん」
「――えっ」
初めて聞くはずなのに、初めて聞いた気がしない声音。
不意打ちに、金の子――リオンが、素の態度でわたしを見詰めた。
金髪碧眼。太陽と空を示す、創造神の色。メーちゃんがそうしたわけではない、彼女自身の選択した色。
それでいて元の体は黒髪で夜を示す色。ただの偶然らしいけれども、ここまでくると作為的なものを感じてしまう。
リオンが呆然として動かないのをよいことに私はザッと観察していく。……なるほど。
確かに、三柱の神の加護がある。
いくらメーちゃんお手製の体とは言え破綻しないで済んでいるのは元々の素養かしら……選んだのはそれを見込んでのこと? 卵が先か鶏が先か、判断が付かないわね。
ん? リオンが慌てて位置を変えて……あぁ、あれが破壊の跡ね。気を遣ってもらえたのかしら。レーちゃんの手振りで安心したかと思えば今度は跪き出して、忙しない子ねぇ。
レーちゃん曰く常識は通じないとのことだけど、案外普通……と言うほどでもないわね。地神とのやり取りが非常に軽いのだから。これは神子と言う、より神に近しい存在であればこそ尚更に驚くことである。本来なら。
それが何となく羨ましくて、私もそうしてほしくて気楽にしてね、と声を掛けると今度は何やらアイコンタクトを始める。……随分と仲が良いのね?
そして、私の印象を深く決定付けたのはこの一言。
「……あの、水神様、寒いのでしょうか……? 温かい飲み物を用意しましょうか?」
神に触れられたことに畏れるでもなく、歓喜するでもなく。さりとてこの身を蝕む汚染を忌避するでもなく。
真っ先に私を思いやるその姿勢。そのくせ、提案が『温かい飲み物』と言う、人相手のような――事実、神ではなくヒトとして扱っているスタンス。
これが他の者であればたとえ神子であっても無礼と感じてしまうかもしれないのに、不思議と許せてしまうのは労りに溢れているからだろう。
……うん、レーちゃんが言うだけある。そして、気に入るわけである。光神辺りは眉間に皺が寄るかもしれないけれども……そこは私たちでフォローしてあげよう。
そう、私もこの子が気に入ってしまったのである。だから、ついこう言ってしまった。
「水神様、だなんて余所余所しいわね。貴女は私たちの一番下の妹のようなものなのだから、是非『お姉ちゃん』と呼んでほしいわ」
「………………はい?」
レーちゃんが飛ばしすぎと注意してきたけれども、何も問題はないわよね?
だってリオン……リッちゃんの身は紛れもなく創造神の子であり、それはすなわち――
「ところで、私はリッちゃんより先にメーちゃんに挨拶しておくべきだったかしら?」
「その体の状態で会うと泣かれて面倒だから向こうが気付くまで放置しておけ」
「それもそうね」
……リッちゃんのお祈りで姿を現わしてしまったので、すぐにバレることになったのだけれども。
多忙につき来週の更新が出来るかどうかわかりません…。




