孵化する悪意
悪意と書いてモンスターと読みます。
カシム氏の背から飛び出てきたのは……どうやって潜んでいた?と疑問に思うほどに大きな黒いムカデだった。それも複雑に動き回り絡み合い、どれだけ居るのか見当も付かない数だ。
ギチギチと顎を、無数の足を鳴らし、視覚からも聴覚からも反射的に嫌悪感が湧き上がってくる。
そしてカシム氏は……もはやポーションを使用しても助からないだろう、引き裂かれた無残な肉塊となっていた。いっそ殺したいくらいに憎い思いはあったけど、こうなるとさすがに保持し続けていられない。
ヒトからモンスターが発生した。
その光景は、周囲の人々を恐慌に陥れるには十分過ぎるほどにショッキングな出来事であった。
それはカミルさんですら例外ではなく……むしろ実弟が対象であったことで、余計に大きな衝撃を受けたようだ。
「カ……カシムううううぅ!!?」
「ひっ……カシム様が……化け物に……!?」
「これは創造神の罰なのか!?」
ともすると、ヒトがモンスターに成ってしまったように見えたかもしれない。
直前まで神子と言い合い、神子を怒らせたことで、『創造神の怒りを買ったせいでは?』と考えた人も出て来てしまった。
しかし、そんなことはない。あの創造神がヒトを害するなどあり得ない。
「創造神の罰などではない! モンスターの卵が産み付けられていて孵化しただけだ!!」
モンスターの卵。名前の通りモンスターが産み出される卵だ。
全てのモンスターは何処かから勝手に湧き出るのだが、偶に卵が産み付けられて……モンスターが産むわけではないのでこれも湧き出たと言うべきか、その卵を放置しておくと孵化してモンスターが出て来てしまう。なお、モンスターには親子関係はないので卵生胎生全く関係がない。卵の見た目をしているけれども、モンスター発生装置とでも呼称した方が正しいのかもしれない。ついでに言えば卵すら素材になる。
モンスターの卵は適当に道端に落ちてることもあれば、養分にでもしているのか死体にくっ付いていることもある。……けれども、生きているヒトの体内に潜り込んでいたパターンはわたしも初めてだ。
内心の動揺を隠し、少しでも周囲を落ち着かせるためにわたしは一喝をした。多少の効果はあった……かと思えば、もっと事態は悪化することになる。
「ぐあああああああっ!!?」
「ごあっ……」
「ぎゃああああああ!!」
カシム氏だけでなく、他の村人の体からも同じようにテラーセンチピードが湧き出て来たからだ。サイズや数はカシム氏の体から出て来たものほどではないが、何の気休めにもならない。
内訳としてはカシム氏周辺の重役と思われる村人のうちの三分の二、共犯を認めて平伏していた村人のうちの半分以上、それ以外にも数名。
……もしかしなくても、村長派の連中か……!?
「ひいいっ!? 助けてくれええっ!」
「来るな、来るな!」
安全と思われた村の中に突如として発生した大量のモンスター。
テラーセンチピードは瘴気も纏っていないので少し強いだけで大したことはない、のだが、このような状況では落ち着いて対処出来るはずもなく、あっという間に一帯は混乱の坩堝と化した。
「くっ……皆で村人たちを助けて!」
これまでの行程で場数を踏んでおり、ある程度耐性を持つわたしたちは行動を開始する。
しかし混乱して暴れる村人たちを傷付けないようにモンスターだけを倒していくのは困難であった。もちろん範囲攻撃など以ての外で、ちまちまと倒すしかないのも難易度が高くなる要因の一つだ。雨が降ってなければ虫系モンスターに効果のある殺虫剤が撒けたのに……!
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リオンたちには耐性があった。
……カミルには、なかった。カシムのことの衝撃が抜けきらなかったのもあるのだろう。目の前で無残にも肉が喰い破られてしまえば尚更だ。
頭は何も考えられず、体も時が止まったかのように動けず。
それは、モンスターに囲まれた現状では、致命的すぎる隙で。
為す術もなく、大群に襲い掛かられ――
「何を呆けているのだ! カミル!!」
寸前、何時の間に駆けつけていたのか、ランガがテラーセンチピードたちを吹き飛ばした。そしてそのままカミルを庇うように立つ。
テラーセンチピードは強くはないがしぶとい。吹き飛ばされながらもウゾウゾと蠢いており、いつまた襲い掛かって来てもおかしくはないからだ。
虚ろな目をしていたカミルに、ほんの少しの光が灯る。
「……ランガ……?」
「どうしたカミル! 動け!」
ランガはどうすればこの窮地を抜けられるか考えた結果、カミルの号令が必要だと弾き出した。
先日からリオンと行動を共にし、短い期間ながらもランガはリオンのことを高く評価している。
しかしリオンは村の外から来たばかりの神子であり、求心力と言う点ではカミルには大きく劣っている。リオンがいくら頑張ったところで混迷極まる村人たちを導くことは出来ないのだ。
現状を打破するにはカミルの力が必須であるのに……カミルが腑抜けていることに、それまでのアイロ村のリザードに対する仕打ち抜きにランガは怒りを覚えた。
怒鳴り付けられたことで正気に戻り掛けたカミルであるが、だからこそ、流れこんできた感情に打ちのめされる。
「……だが……カシムは……僕の、僕のせいで狂ってしまったんだ……」
カミルはこの惨状は自分のせいだと思い込み、自責の念に捕らわれていた。
カシムが罪を犯した一番の理由は自分が神子になったからだ。兄だけが不老となり、弟だけを時の流れに呑ませたからだ。
自分が神子でなく他の誰かであったなら、カシムもここまで歪まなかったかもしれない。それこそカシムが神子であれば、村はもっと良くなっていたかもしれない。
信頼していた唯一の肉親が許されざる罪を犯したことは言うまでもないが、それよりも、激しい憎悪を向けられたことで、カミルの心はズタズタになっていたのだ。挙句の果てには話し合う機会すら与えられずに死んでしまうと言う結末。
『自分が動いては、より悪化するのでは?』
そんな思いがカミルの思考を支配して、ランガの叱責を受けても行動出来ずにいた。
だが、ランガはそんな懺悔は聞き入れない。無意味なものだと迫るテラーセンチピードたちと共に吹き飛ばす。
「だから何だ! 後悔したところで過去が覆るとでも思っているのか!」
「思ってはいないが……これ以上、間違いを重ねるわけには……!」
「この場で何もしないことこそが間違いだと言うのがわからないのか!! そこまでお前の目は曇ったのか!?」
『周りを見ろ!』とランガは手にした双剣で指し示す。
「混乱して碌に戦えもしない村人共に向かって、そのまま死ねと言うのか!!」
村人たちは隣人からモンスターが産まれたと言う前代未聞の凶事から未だに立ち直れず、逃げ惑うことしか出来ないでいる。リオンたちが必死に戦いモンスターを減らしているが、数が多くて全員を助けることは不可能だ。村人が傷付き倒れることでより一層の混乱を生み、完全な悪循環に陥っていた。
群がるテラーセンチピードを斬り裂きながら、ついでにすぐ近くに居た他の村人も守りながら、ランガはカミルを復活させるために吠える。
「弟以外の奴はどうでもいいのか!? 守る価値はないとでも言うのか!? お前は……何のために神子になったのだ!!」
「……っ」
何のために神子になったのか。
カミルにとって、神子に選ばれたのはただの偶然だ。少しばかり他の人よりモノ作りが好きだったのと創造神への敬意を持っていただけで、狙って神子になったわけではない。
それでも力を与えられてから数十年経ち、今の今まで力を返上せずに揮って来た理由は……モノ作りが楽しかったのもあるが、村人たちの笑顔のためだった。
実った作物を嬉しそうに収穫することが、作った道具を誇らしげに見せてくることが、美味しい料理を食べながら楽しく語り合うことが。全てが、好ましかったからだ。
そのような、共に生きて来た人たちが……危機に瀕している。これも自分が招いてしまったことだが……これ以上は、手を尽くせば防ぐことが出来る。
不甲斐なさにカミルは歯を食いしばり、なけなしの意地を振り絞って、申し訳なさを力づくで封じ込め、立ち上がる。
「皆、落ち着け!」
その声は、村人たちの耳に不思議と届いた。
「今までの訓練を思い出せ! そのモンスターは決して強くない。落ち着いて対処すれば皆なら倒せる!」
決して孤立するな、複数人で行動しろ。死角に居るモンスターは別の者が対応してやれ。敵が多すぎて迷うなら目の前から倒していけ。しかし暴れるな、周囲の者を頼れ。子どもは最優先で守れ。怪我人にはポーションを。
矢継ぎ早な指示であったが、伊達に訓練用のダンジョンを保持しているわけではない。ほぼ全ての村人にモンスターとの戦闘経験が幾度となくあり、混乱さえ収まれば十分に戦える力は持っている。
落ち着きを見せた村人たちの動きは打って変わり、少しずつであるが着実にモンスターの数は減って行くのだった。
ランガもフッと笑みを零し(リザード顔なので非常にわかりにくいが)、このままカミルと肩を並べて戦おうとする。
しかし、事態は一筋縄では行かなかった。更なる異変が巻き起こる。
カシムの体から飛び出してきたテラーセンチピードたちが一塊の、一体のモンスターのような動きを見せ暴れ始めたのだ。
極太の鞭のようにしなり、周囲の村人たちをなぎ倒していく。位置が近くカミルも巻き込まれたが、ランガが直前で割って入ったためダメージは浅く済んだ。
「ラ、ランガ……無事か」
「……問題ない」
ランガの声はしっかりしていたが血を流していたので、カミルはポーションを使用してやる。回復したランガは槍を杖にして身を起こし、テラーセンチピードを睨み付ける。
敵は強大となった。だが退くことは出来ない。槍を構え直し、決死の気合を入れたところで。
「くたばるがよい!!」
視界の外からウルが飛んできてその拳で殴りつけ、巨大テラーセンチピードは爆散した。
……かに思われたが、テラーセンチピードは分散しただけであった。
少し数は減ったものの平然としてまた纏まり、力を撒き散らそうとする。
「ぐぬ……であれば、一匹残らず叩き潰すのみ……――っ」
ウルは叫び拳を再び振り上げるが、強烈な悪寒が背筋を駆け抜け、大きく後ろへと飛ぶ。
ドガアアアアアアアアアンッ!!
直後、激しい落雷がテラーセンチピードを打ち据えた。
強烈な光を腕で遮りながら、唐突な自然の猛威にウルもランガも目を丸くする。
(直撃……焼け焦げて終わりであるか……)
拍子抜けの幕切れにウルは息を吐く。危うく自分も大怪我をするところだったし、雷には本当に嫌な印象しかない、と顔をしかめた。
気を落ち着かせ、直撃せずとも余波で吹き飛ばされたテラーセンチピードを倒して回ろうと向きを変えようとして。
「ウル!」
「!?」
リオンの警告が走り、同時に再度の悪寒が駆け巡る。
その理由は。
ギギ……ギギギギギギ……ギ……ッ
「……なん、だと……?」
雷と言う超高威力の現象に打ち滅ぼされたはずのテラーセンチピードが……まだ蠢いていたからだ。




