一つの提案
「リオン様、こちらにいらっしゃいますか?」
『居るには居るが……静かに入るとよい』
リオン様の部屋の扉をノックしてみれば、返ってきたのはウルさんの声でした。
返事が出来ない状態――モノ作りにでも集中しているのかと思いながらそっと扉を開けてみれば。
「…………お邪魔でしたでしょうか」
「邪魔? むしろよいところに来てくれたのだ……足が痺れてきたので退かすのを手伝うか代わるかしてほしいのである」
「……そう、ですか」
ウルさんがリオン様を膝枕している光景が目に入ってついそのようなことを言ってしまったものの、ウルさんは慌てるでもなく迷惑そうにするでもなくごく自然に答えてきました。
……まぁ、そうですね、この人はそういう方でしたね。だからこそ私も助かっているのですけれども。
ともかく、代わってよいのでしたら喜んで代わらせていただきます。
「ふぅ……痛みはともかく痺れにはどうにも慣れぬな……」
足をブラブラさせたり屈伸したりするウルさんを視界の端に収めつつ、枕が変わったことに気付かぬまま寝ているリオン様の顔を眺めると。
「目元が赤い……ですね」
「うむ……」
軽く癒しの魔法を掛けていると、何とも歯切れの悪いウルさんの生返事が耳に届きました。
喧嘩をした……わけではありませんよね。膝枕に繋がりませんし。そもそもここでは喧嘩と呼べるようなものはほとんど起こらず、平和なものです。精々私が目撃したのはモノ作りで変なことを仕出かしたリオン様がウルさんに怒られるか、地神様が過剰にお酒の催促をしてリオン様に……こほん。
「一体何があったのですか?」
私の質問に対しウルさんは少し口をもごもごとさせてから「詳しくはリオンが起きてから直接聞くがよい」と前置きをして。
「……故郷に二度と帰れないと、泣いておった」
リオン様の故郷。詳しく聞いたことはありませんが……リオン様と同じような人が、リオン様よりすごい人が、たくさん居るらしいですね。
私から見ればリオン様も十分にすごいと思うのですが、リオン様は「これを考えた人がすごいだけだよ」と困ったように笑うこともしばしばありました。
一体どのようなところなのでしょう。訪れてみたいと言う思いはずっとあったのですが……帰れない、ですか。
「我は……痛みでなく、悲しみであんなに泣くリオンは、初めて見た」
それは……確かに珍しいかもしれませんね。私も見たことはありません。
実際に泣いている様を見てしまえば、私の場合は戸惑うか一緒になって悲しむかのどちらかだと思うのですが……現在のウルさんのように、罪悪感を抱くのは……どういうことなのでしょうか?
「しかし我は……悲しむリオンに寄りそうでなく……浅ましくも、リオンが帰れないことに安堵したのだ」
「――」
ウルさんはそれが殊の外悪いことかのように言っていますし、実際にリオン様自身がそう聞かされては傷つく可能性が高いでしょう。
けれども私は、非常に納得してしまいました。同意してしまいました。
リオン様が、遠くへ行くことはないのだと、とても魅力的なことに思えてしまいました。
察するに、リオン様の故郷はとても、とても遠いところなのでしょう。
容易には帰れない。帰ったら……こちらには戻ってこれない。
そして恐らく……私たちは、付いて行くことの出来ない、そんな場所。
ですので、私にはウルさんを責めることは出来ません。
たとえいくらリオン様が悲しまれようと、です。
「あぁ、リオンに正直に伝えても怒られなかったぞ。……怒らないでほしいとは言ったが、いっそ怒ってくれたほうが発散になったのではないかと思うとな……」
「……リオン様、滅多なことでは怒りませんからね……」
ウルさんがどれだけモノを壊そうと、私のモノ作りの覚えが悪かろうと、フィンが間違えて装置を壊してしまおうと。進んで怒らせたいわけではないのですけれども、怒られないと逆に不安になることってありますよね。
遺憾ながら、困ったお顔ならたくさん見たことがありますが……その裏では、怒りや悲しみをたくさん抱えていたりしたのでしょうか。そうでないことを祈りたいものです。私たちが信用されていない、心の内を打ち明けるには至らない……と言うことではない、と思いたいです。
リオン様にとっては怒ることではないのだとしても、我慢させてしまっていることは多々あるでしょう。
では、一体どうすれば素直に感情を発露してくださるようになるでしょうか、と考えたところで……結局のところ、今以上の信頼を得られるようにならなければ、と言うことになります。
「ウルさん、嘆いたところでどうしようもありません。先のことを考えましょう」
「……先、か?」
リオン様の頬をなぞってみても起きる気配は見せません。……唇に触れてみたかったのですが、そこはさすがに自重しました。
目にかかった前髪を払い、神子ではあてにならないけど子どもそのものに見えるその寝顔を見詰めながら、ウルさんに提案をします。
「えぇ。リオン様が故郷に帰れないことで泣くのであれば、『帰らなくても良かった』と思っていただけるようにすればよいのです」
それは……私一人では、きっと無理ですので。
「ウルさんが後ろめたく考えてしまうのは、利益……あえて利益と言わせていただきますが、利益を享受しているのが自分だけだと思っているからではないでしょうか? リオン様が居ることで私たちは利益を享受しています。であれば、私たちが居ることでリオン様が利益を享受できれば何も問題はないと思いません?」
「……なる、ほど?」
「ですので、リオン様が幸せになる……幸せにしてさしあげましょうと言う話です。この地で、私たちの手で」
私は自分の手をゆるゆると見、ぎゅっと握りしめます。
ウルさんは私の話に目を瞬かせていますが、そんなに意外な話だったでしょうか。
「私はリオン様が好きです。愛しています。ウルさんはそうではないのですか?」
「……いや、我は未だにその愛とやらがよくわからぬのだが……」
眉根を寄せて口をヘの字にさせています。種族的な感性の違いでもあるのでしょうかね。同じ種族であっても差異はあるので、一概には言えないのですけれども……いえ、アルネス村でのことは頭から追い出しましょう。
でも、ウルさんからリオン様への好意や信頼があるのは確実なのです。
「深く考える必要はないですよ。リオン様が喜んでいると、自分も喜ばしい気持ちになることはありませんか?」
「ふむ、それはあるな」
「では、その喜びの原因が自分の行動の結果であれば、もっと嬉しいとは思いませんか?」
……リオン様を戸惑わせることの多い私が言っても説得力はないのかもしれませんが。押し付けにならないように精進が必要です。
「あくまで私の意見ですけれども、自分よりその人のことを第一に考えてしまって、その人のために何かしたい、と言うのが一つの愛情の形だと思っています」
「……」
一般的には、いわゆる恋敵を増やさないように行動すべきなのでしょうけれども。
リオン様には、ウルさんが必要ですから。
……その上で、私も必要だと、思っていただければよいのですが。
「などと言ってきましたが、愛情のあるなしにこだわる必要もないと思いますよ。貴女は貴女の思うままに、きっとそれが一番リオン様のためになります」
難しい顔をしたままのウルさんに対し、苦笑を零しながら言います。
この方もこの方で、大人のようで子どものようで、アンバランスな部分がありますから、長い目で見るべきなのでしょう。
「……我からも、一つ、主に言わせてもらおう」
「何でしょうか?」
そうして、難しい顔を解いて、何気ない風に述べられた言葉は。
「主はそうやって自分から何かをあげるばかりではなく、たまには逆に求めてもよいと思うぞ」
「――」
リオン様がおっしゃった「たまには我儘を言ってもいいんだよ」の言葉に被るようで、ドキリとしました。
それにしても……私がリオン様を取って独り占めしてしまうとは思わないのでしょうかね? ……思わないのでしょうね。
未だ自覚が薄いと言うのもあるのでしょうけれども、私に対して嫉妬の欠片も見せたことがありません。
おそらく……私が居ることそのものを認めてくださっているからでしょう。
……これだから、敵わないのです。
「……えぇ、覚えておきます」




