信頼でも生温い
我自身は地神とあまり接点はない。リオンと居る時であれば会話を振られることはあるが、そうでなければ精々偶然すれ違った時に軽く挨拶をするくらいだ。
殊更に意識して無視しているわけでもなく、逆に無視されているわけでもない、と思う。時折じっと我を見ていることはあるが視線に悪意はないので、嫌われていると言うこともない、はず。ただ、特に話す内容もないので自然とそうなっただけである。
そのような間柄であったのだが、今日は珍しく地神の方から話しかけられた。しかも二人で、と言う条件も添えて。……何だと言うのだ?
「さて。ここしばらくアンタの動向を見守っていたわけだが……特に怪しい素振りは見られなかった」
地神の住まいにて。まだ住み着いてからそう時間も経っていないのに、すっかり部屋の主らしく腕と足を組み椅子に座る様は、どことなく威圧が向けられているようにも感じられる。
「だから……無駄かもしれないがあえて聞こう。アンタは一体何の目的があってリオン――神子の傍に居るんだい?」
「……むぅ?」
そして、雑談を挟むこともなく初手から切り込むように疑問をぶつけられたが……はて? 目的とな?
質問の意味が理解出来ずに首を傾げたら、地神の眉がわかりやすく顰められた。
「……何かを欲しているから此処に居るんだろう?」
「欲しい? ……リオンの作るご飯は美味いからいくらでも食べたいと思うのであるな」
正直に感想を伝えたら「そう言うことじゃあない……」と額を押さえられてしまった。
でも我は他に特に欲しいモノなどないのだがな?
「……あー、そもそもアンタはどんな理由があって神子と共に居ることになったんだ?」
「む? それはリオンが死にかけの我を拾ってくれたからだな」
「……あのお人好しならまぁあり得る展開だが……アンタが死にかけるってどんな状況なんだ……?」
疑惑の視線を向けてくるが……嘘を吐いていると思われてるのではなく、我が死ぬようなタマではないと思われているからだろう。むしろ我自身も『何故?』と言う感想しか出てこぬくらいだ。
今となっても思い出せない。
何故我が溺れて、浜辺に打ち上げられていたのかを。
溺れる前は、何処で何をしていたのかを。
――我が……何者なのかを。
「いやちょっと待ちな。記憶がない、だと?」
「そうであるな」
地神は驚いているが、知らなかったのだとしても不思議ではないな。
さしたる理由もなく、『実はウルは記憶喪失で……』などとわざわざリオンは伝えなどしないだろう。
……我もそこまで不便があるわけでもないし、だからこそ記憶がないことを普段から口にするはずもなく、リオンもすっかりそのことを忘れているかもなのだが。
「つまり……リオンが神子であるから近付こうとしたわけではない、と……?」
「神子としての技能に随分と助けられてはいるが、それが目的ではないのぅ」
リオンが神子であるからこそ共に居られるのだろうな、と言う思いはある。
……我はよくモノを壊すからの。すぐに直すことの出来る神子でなければ、とっくに怒りのあまりに追い出されていただろうよ。
いや、神子であっても普通なら怒るのではなかろうか? やっぱり神子であることは関係ないのか? ……仮定の話をしても無駄だな。
しかし、これはアレか? 神として神子を心配しておるのかの?
先ほど地神が言った通りにリオンはお人好しであるからのぅ……。善人の皮を被ってそこに付け込んで、利益を吸い取ろうとする輩が居ないとは限らないからの。我も目を光らせておかねばな。
いやリオンのことだから、たとえ利用されてるとわかっても、それが創造神のためになるのならばあえて受け入れることもありうるのでは……難しいところであるな。
リオンは目を離すと――目を離していなくても――何をしでかすか全く想像も付かないしの。やはり何処に行くにも付いて行かねば不安で仕方がない。
そのようなことを頭でこねくり回している間に、地神も思うところがあったのか俯いて何某かブツブツと呟いていた。
「嘘ではないようだな……。神子の力が目的でもない。『そう指示された』からでもない。いやしかし『記憶がない』のであれば、それこそ仕込みと言う可能性も――」
何を言っているのかよくわからないな。
これで話は終わりなのだろうか? 退出すべきか悩んだが、そのままどうするでもなく黙って待っていたら、ハっと我の存在を思い出したかのように地神が顔を上げ、コホンと咳払いをする。
そして再び……これまで以上に真剣な顔つきになり、『虚偽は許さない』とばかりに神気をまとい始める。少しばかり場の重圧が増したがこれくらいなら潰されるほどではない。未だ本調子ではないようであるし、加減をしているのだろうな。
ピリピリとした空気の中で紡がれた言葉は、少なくとも我にとっては突飛なもので、内容がすぐには浸透しなかった。
「……ウル。記憶が戻った時に、リオンに敵対しないと誓えるか?」
「……は?」
敵対? リオンに?
……何故だ?
そのような質問をしてくる理由がさっぱりわからない。
わからない……が、これだけは、はっきりと言える。
「我がリオンの敵に回ることなどない」
「……リオンが敵に回った時は?」
「――っ」
我の返答に対して続けて放たれた言葉に、思わず頭が真っ白になる。
胸が苦しくなる。呼吸がおぼつかなくなる。
しかし……そうか、そのようなパターンもあり得るのか。
……我は何とも暢気に構えていたが……過去に悪さをしていなかったと、神子と敵対していなかったと、言い切れないのだ。
もしも我が、創造神すら与り知らぬ立ち回りで、創造神に仇なす酷い悪党であったとしたら……いくら心の広いリオンであろうと、見逃してはくれないかもしれない。
神子としての義務をきっちり背負うリオンであるからこそ、それを曲げるようなことはしないだろう。
「……そのようなことは考えたくもないが……リオンが我を敵と見なしたら去るのみであるな。……いっそ素直に殺されるまであるかもしれぬ」
「……随分とリオンに懐いてるんだな?」
懐いて……? それはそうであろうな。
見返りを望むでもなく、むしろ今後苦労が増えるとわかっていながらも我の命を救ってくれて。
食事を、衣服を、住む場所を与えてくれて。
無駄に壊しても怒ることなく、笑って許してくれて。
優しさを、ぬくもりを……多くのモノを、差し出してくれて。
「ここまでされて、懐かないわけが、信頼しないわけがなかろう……?」
我は上手く自分の感情を説明出来ず、つっかえながらも、拙いながらもそう締めくくれば。
地神は大きく溜息を吐き、力が抜けたのかずるずると椅子から滑り落ちるように……だらしないと言える姿勢へと変化した。神気は霧散し、見る影もない。
……何故そんな反応になるのだ。
「よーくわかったよ……」
「……そうか」
その割にはやたら疲れた顔をしているように見えるが……やはり我の説明がまずくて咀嚼するのに労を要したと言うことだろうか。
ぬ? そう言うことではない? ではどう言うことで……説明する気も起きない? そんなに疲れさせてしまったのか、すまぬ……また頭を抱えられたぞ……?
我にはどうすることも出来ずまたもしばらく待つ羽目に陥ったが、やがて地神は頭を掻きながら椅子に座り直した。
「……悪かったね。プロメーティアが容認しているとは言え、アタシがそのまま無条件に信用するわけにもいかなかったからね」
「リオンは神子だからの。神であれば心配になるのも道理であろうよ」
幸いにして今のところそこまで被害は受けておらぬが、アルネス村のエルフどものように我の種族で嫌悪する者たちも居る。
リオンからも気を付けるように言われておるし、地神から信用されぬとしても仕方のないこと、なのだろう。
「……なんだかんだでアンタも心が広いもんだね? ちょっとくらいは怒ったっていいんだよ?」
「む? ……まぁ正直な話、リオンに嫌われなければ、主に嫌われていたところでそこまで痛痒を覚えぬしな。あ、いや、主と不仲であるとリオンが困るか……?」
「…………あー、はいはい……別に嫌いでもないから仲良くしようじゃないか……はぁ」
特大の溜息を零しながら、地神が億劫そうに手を差し出して来る。……我、本当に嫌われてないのだろうな?
ともあれ神であれば嘘を吐くこともなかろう、と我はその手を握り返すのだった。
「やれやれ、何の因果なのかねぇ……」
外に出て扉を閉める間際にそのような呟きが耳に滑り込んできたが……問い質すために戻るようなことはしなかった。




