風が凪ぐ時
「さ、っせるかよぉ!」
致命的になりうる一撃は、視界外からすっ飛んで来たレグルスが構えたアイアンシールドによってガードされた。
「あだだっ!?」
「おわっ!?」
ただそれは相当無茶な姿勢であったせいか防ぎきれず、レグルスと一緒に転がされることになる。でも直撃するよりはよっぽどマシだ。
ウルが安堵の息を吐き、わたしたちに近寄る……よりもゼピュロスの魔法を防ぐことに専念したようだ。周囲に目を光らせては矢やら大きな石やらを投げ、決して当てさせないと言う決意を感じる。
わたしはそれを目の端に収めながら、救い主であるレグルスの上に乗ってしまっていたので慌てて退き、ポーションを撒きながら声を掛ける。
「レ、レグルス、大丈夫?」
しかしレグルスは起き上がらない。ひょっとして打ちどころが悪かった?と、一瞬息を呑んだけれども、そうではなかったようだ。その目にはちゃんと意志の光が宿っていた。
ホッと安心したのも束の間、レグルスがその目に涙を浮かべ「そんなに痛かった!?」と慌てふためき追加のポーションを取り出そうとしたけれども、ポツリと呟かれた言葉に固まることになる。
「リオン、しっかりしてくれよぅ……」
「……ご、ごめん」
戦闘中に放心してしまったのはわたしの大きな落ち度だ。レグルスもそれを目撃していた――だからこそフォロー出来た――のだろう、その叱責は決して大声ではなかったが、だからこそ逆に刺さることになる。
けれども彼の意図は叱責とは異なっていたようで、すぐに「……すまん、違うんだ」と訂正が入る。
「大したコトの出来ねぇオレが言うのは筋違いだってわかってる。オレより細っこい子に頼って背負わせるのは間違ってる気がしてならねぇ。けれど、けれども……オレたちには、リオンしか居ねぇんだ」
レグルスは自分の両腕を顔の前に持ってくる。ポーションのおかげか傷はないけれども服があちこち汚れ破れている。わたしと別行動した後も結構な数のモンスターを倒してくれたのだと容易に推しはかることが出来る。
そして、その手はわずかにだけど震えていた。
「あんなモンスターみたいになるなんて、瘴気だらけの世界になるなんて、絶対に嫌だ……」
腐りゆく体。汚泥の地。澱み、息すら出来なくなりそうになる粘ついた空気。それらを思い返して、レグルスは震えている。
……体の傷は見当たらなくても、精神が酷く摩耗している。……それも仕方ないか。
あそこまで瘴気に侵されたモンスターなど、それも大群となると早々見ることはないだろう。この一帯も随分と汚染されてしまっている。人によっては見るだけで心が蝕まれてしまう惨状だ。
これが、こんなものが世界中に広がったとしたら……それこそ『地獄』に等しいのかもしれない。そんな、絶望でしかない世界を想像してしまったのだろう。
「だから……諦めないでくれよ……オレたちに、未来を作ってくれ――」
「――」
未来を作る。
言われて、わたしの中にあった一本の線が繋がったような気がした。
だから、わたしの口から、自然と言葉が滑り落ちた。
「――任せて」
アイテムがない?
……ないなら作ればいいのだ。
レシピを知らない?
……それが何だと言うのだ。
わたしは手料理の際にいちいちレシピを思い浮かべたか? そんなことはない。
ウルの木彫り人形なんてレシピがあったか? あるわけがない。
何故こんな簡単なことに気付かなかったのだ。
――レシピがない物だろうと、作ろうと思えば何でも作れるのだ……!
聖火の矢と雷網の矢を取り出し、魔石部分を握りしめ。
起動する。
「作成――【聖雷網の矢】」
わたしの手からいつものように見慣れた、それでいていつもよりやや強い光が溢れた。
レグルスが目を見開いて驚きの声を上げていたけど、わたしはそれに気付かないほどに集中をしていた。
何でも作れるなどと嘯いてみたものの、さすがに雷属性と聖属性を同時に扱うのは難易度が非常に高かったのだろう。ダバダバと大穴の空いたバケツのようにMPが減っていくのが明白にわかる。
でも魔法の時とは違いスキルはきっちりと発動している。つまり、これが完成するか否かはわたしの腕にかかっている。
MPを注ぐ、注ぐ。足りなくなりそうだったのでMPポーションを頭からかぶる。
完成型を想像する。聖なる雷を。瘴気を物ともせず絡めとる、強靭な網を。
そうして、二本だった矢は一本の矢へと変化した。
「ウル!」
「うむ」
わたしの呼びかけに、ウルは先ほどのことに気付いていたのか、知らずとも察してくれたのか、あっさりとした返事をした。
更に、何も説明せずとも矢の投擲を開始してくれて、わたしは風防の隙を窺う。
ただの焼き直しのようでいて、決定的に違う一点。
「喰らえ……っ!」
――バッチイイイイイイイイィッ
ゴゥアアアアアアアアアアッ!!?
聖属性のスパークフィールド――安直ではあるけれどもセイクリッドスパークフィールドとでも呼称しようか。長いか。
聖属性を帯びた雷の網は再びゼピュロスに纏わり付き、しかし初回とは違い確実に浄化の力で焼いていってる。
あわよくば痺れが入らないかと期待したけど……そもそも状態異常耐性でも付いているのだろうか。ゼピュロスは落ちてこなかった。
けれども今回は慌てることはない。落ち着いてまだ残っていた聖火の矢を放ち、首を狙ったそれは暴れていたため翼の方へと当たってしまった。
アアアアアアアッ!
それはそれで翼を大きく抉ることになり、さしものゼピュロスとて飛行を維持できず墜落することになる。結果オーライ!
「リオン、まだ生きているぞ!」
「わかってる!」
落下したゼピュロスに向けてウルが駆け、わたしの弓の射線上にある瓦礫を蹴散らして行く。
そして、ゼピュロスへの道が拓けた時……もう一本、聖火の矢を放った。
今度こそ狙い違わずに首――一番瘴気が濃く残っていた部分を撃ち抜き、胴から分断する結果となり……その切断面から、巨大な闇色の魔石――ダンジョン核が飛び出した。
……まだ終わらない、あれを浄化しなければ!
「……っ?」
一瞬、チクリとしたものを感じ目線をずらせば……飛んで行く頭と視線が合った、気がした。
もしかしてそんな状態でもまだ動けるのか? と思ったのだけれどもそれは杞憂だったのかやがて目から光を失い、それ以降は頭にも体にも動く気配はない。
ともあれ細かいことは後だ。もし何かあってもウルが何とかしてくれるだろう。
核の落下地点へと急ぐと、それはまだまだ瘴気を溢れさせていた。触れてからほんの一時だと言うのに大地があっという間に濁り、猛烈な勢いで汚染されていく。
あまりに強烈すぎてわたしですら押し返されそうになった。歯を食いしばり、ゼピュロスは死んだはずなのに凄まじい風圧のような力を受けながら一歩一歩進む。
間近で見たそれは、廃棄大陸を彷彿とさせるほどの濃密なモノであった。ただそこにあるだけで、全てを飲み込むようだった。
こんなもの、わたしに浄化できるのだろうか……? いや、悩んでる暇はない、やるしかないのだ。
わたしは急ぎ、周囲に聖石――普段使ってないだけで在庫自体はそこそこあるのだ――を撒いてこの場を聖域化する。
その上で核に聖水を振り撒くが、まさに焼け石に水。あっという間に蒸発してしまった。ホーリーミストを使ってみるけれど、同じく効果は見られなかった。
……これは出し惜しみをしている場合じゃない。わたしは残りの聖火の矢を全て投入した。ゴゥ!と激しい火柱を噴き上げる。
聖なる光が収まった後には……かなり削れたものの、依然として瘴気を宿したままの核が残っていた。
「くっ……!」
これがわたしの手持ちの中で一番聖属性が強いアイテムだったのに、これでも足りないなんて……!
いやでも諦めない! 諦めてはいけない! 考えろ、考えろ……!
アイテムボックスの中に何かしら聖属性を帯びた物がないかと探っていたら……ある物が目に入り。
ふと、閃いた。
わたしは神のナイフを取り出しフゥと一つ深呼吸してから。
自らの手のひらを、ザクリと斬った。
「リオン、何をしているのだ!?」
「リオン……!?」
何も出来ることはない、と大人しく見守っていたウルとレグルスが叫ぶが、構っていられない。
わたしは血に塗れた手で、核を鷲掴みした。
「ぐあああぁっ……!」
痛い。覚悟してたけどめちゃくちゃ痛い。
さすがにこの濃度の瘴気ではホーリーミストなど役に立たない。瘴気がわたしを侵食するべく蠢き、傷口から内側に潜り込もうとしてくる。
けれどもわたしとて自傷のためにこんなことをしているわけではない。濁流を、わたしの血によって押し戻していく。
――この中で一番聖属性値が高いのは何だ?
……わたしなのだ。
この体は、創造神が手ずから作り上げた神造人間だ。
つまり……わたしの血肉には、聖属性が宿っているのでは? だから聖水を始め聖属性のアイテム使用にボーナスがあるのでは?
モンスターの血が素材になるのなら、わたしの血も素材になるのでは?
そう連想して核に触ってみればビンゴだった。瘴気を浄化する感覚が文字通り手に取るようにわかった。
あと、直接触ったことでもう一つわかったことがある。
やはりこれは、魔石なのだと。
であれば。
予定を急遽変更、手に喰い付いて離そうとしない核を何とか引き剥がし、再度斬りつけて腐食しかけてる手から血を滴らせる。
そして、血を以ってわたしを中心とする模様を地面へと描いた。
内容は……魔導台に描かれた魔法陣と同じだ。設置時間の問題で使えるかはわからないけど、ないよりは効果が上がると信じて。
魔法陣と、わたしの血と、核。
加えて、詠唱。
「作成開始。聖雷よ――」
普通に触媒に従って聖属性にしようと思ったけど、パチリと主張するかのごとく雷の感触がしたので両方にしておいた。……やっぱりわたしに雷適性が生えてるのかな?
つまり、わたしの全く知らない魔法となる。詠唱なんて知るわけがない。
瘴気に意志があるかのように抵抗を始めるが、わたしは痛みを噛み殺しながらねじ伏せるようにMPを叩きつける。
詠唱開始と共に魔法陣から光が溢れていた。どうやらこちらも認識してくれたようだ。MPポーションをまたぞろかぶりながら、ぐっと握る手に更なる力(MP)を篭める。
そこに普段魔法を宿らせる時と同じような繊細さはまるでない。力で屈服させるかの如く、ひたすらに押し込む。
「温もり与える清浄なる光よ、地をあまねく照らし包む光よ。望むは邪なる力から身を守る聖なる盾。併せて、邪なる力を打ち砕く猛々しき雷の如き鉄槌」
知るわけがないけれども……心の赴くままに、願う。形作る。想像する。
創造する。
「宿れ。清浄なる雷霆」
――ドンッ!!
刹那、雷雲もないのに天より一筋の蒼雷が走り、この手にある核を穿った。衝撃波が生まれ、周辺の重苦しい風を全て浚っていく。
わたしの手を貫通していったように見えたのに痛みは全くない。目を灼くはずの雷光も不思議と柔らかく感じたような気がする。
さしたる間もなく光が止み、数呼吸してからそろそろと握りしめていた核を覗き込んで見ると。
核には瘴気の欠片もなく、白い輝きで満たされていた。
聖属性の魔法を篭めることにより核を浄化するという荒業は、無事に成功となったのだ。
気付けば風は凪ぎ、辺り一帯の瘴気は全て消え去っていた。




