湖畔でレノアマス釣り
「む? そんなところに魚が?」
タックルボックスを開けると、近くでの転がっていたハクが興味深そうに覗き込んできた。
ボックスの中には色とりどりのルアーが整然と並んでいる。
「これは疑似餌だよ」
「ぎじえ?」
「魚を模した偽物さ」
ルアーの一つを差し出すと、ハクはそれを食い入るようにして見つめる。
「もしかして、騙されたか?」
「そ、そんなことはない! ちょっと色が綺麗だったから気になっただけだ!」
からかうように言うと、ハクがやたらとムキになって否定した。
もっとからかってやりたいが、これ以上やると釣りの邪魔をされそうなので自重することにした。
ルアーを選ぶと慎重にリーダーラインに結び付ける。
ロッドを取り外し、リールを取り付ける。
しっかりと回る感触を確認しながらラインを通したらキャストの体勢を整えた。
ロッドを軽く振ると金属のルアーが水面を切り裂くように飛び、やがて小さな音を立てて着水した。
「思っていた以上に飛んだな」
先程、レノアマスが跳ねたところにルアーを落とすことができたな。
さっきのマスが上手いことかかってくれないかな。
ゆっくりとリールを巻きながら考えていると、不意に竿先に微かな振動が伝わった。
「え、もうきたのか!?」
次の瞬間、竿が大きくしなった。
リールからラインが惹かれる音が耳に響き、湖面にはレノアマスが跳ねる音と波紋が広がる。
手元に伝わる引きの強さはマスの力強さを物語っている。
これはかなりの大きさだ。
「トール! 逃がすでないぞ!」
「わ、わかってる!」
素早くリールを巻き上げる。ロッドのしなりを活かして暴れるマスをいなしながら巻いては走らせ、巻いては走らせを繰り返す。
だけど、中々銀色の巨体を釣り上げることができない。
それでも焦らずに竿を上下に動かして魚をコントロール。
すると、水面に銀色の体がチラリと見えた。胸の鼓動が一気に高まる。
「あと少しだ……」
呟きながらマスを徐々に岸へと引き寄せる。
「ハク、そこにある網を持ってきてくれ!」
「う、うむ」
すぐ近くに置いたはずのたも網を手にする余裕もなかったのでハクに持ってもらう。
五分ほどの格闘の末に俺はレノアマスを引き寄せると、ハクが尾を伸ばして網の中に収めてくれた。
「よっしゃぁぁああ! レノアマスをゲットだ!」
レノアマスを見事に釣り上げた俺は大声を上げて喜んだ。
サイズは正確に測ったわけではないが九十センチくらいある。
湖で棲息しているレノアマスの中でもかなりの大物の部類だ。
鱗が陽光を受けて力強い輝きを放っている。とても綺麗だ。
「ふう、何故か見ているこちらがヒヤヒヤとさせられたぞ」
「ははは、すまんな」
途中で何度糸が切れ、ロッドが折れるかと思ったことやら。
それでも激闘に末に俺はなんとかこの大物を釣り上げることができた。
圧倒的な達成感と安堵感が身を包む。
「さあ、トールよ。次の獲物だ。これ一匹ではとても足りぬぞ」
「わかってますよ」
まったくもう少し釣り上げた余韻に浸らしてくれていいというのに。
とはいえ、俺も先ほどの釣り上げた時の興奮が忘れられず、まだまだ釣り上げてみたいと思っているのは確かだ。
俺は手早くマスを締めると、言われるがままにルアーを湖に落とすのであった。
●
「もう満足か?」
「ああ、これだけ釣れれば俺は満足だよ」
クーラーボックスの中には大量のレノアマスが十匹ほど入っている。
最初のレノアマスほどの大きさの個体は続けて釣れなかったが、四十センチや六十センチのものも十分に食べ応えがあるだろう。
これだけの数が揃えば、一人ではとても食べきることはできないのだが、うちには大食らいの狼がいるためにこの程度の数ではまったく足りないらしい。
釣りを始めて既に二時間が経過している。
さすがに疲れてきたし、一人でハクの胃袋を賄うほどの釣果を上げるのは無理だ。
「あとの足りない分はハクが好きに確保してくれ」
「わかった」
キャンプとしての釣りは十分に満喫したので後はハクの好きなようにしてもらうことに。
ハクはテクテクと岸辺に歩くと、水面を凝視する。
長い尻尾がレーダーのようにくるくると回り、何かの気配を捉えたかのようにピタリと止まった。
次の瞬間、尻尾が指し示した場所の水面が持ち上がっていく。
まるで、逆重力でもかかったかのように宙へと水が上がっていき球の形を為した。
浮遊している水球の中にはレノアマスが泳いでいた。
「うおおおおお! すげえ!」
軽く視認しただけで俺の釣果の四倍はいることがわかった。
俺が二時間かけて釣り上げたレノアマスはなんだったのだと思わなくもないが、あれはあれで十分に楽しかったので気にしないことにしよう。
「このままキャンプ地に戻るぞ」
「お、おお」
ハクが踵を返すと、湖面に浮いていた水球も後を追いかけるようにしてついてくる。
なんともいえない光景に俺は驚きながらもハクと一緒にキャンピングカーまで戻ることにした。
キャンプ地に戻ってくると俺は釣り道具一式をキャンピングカーに収納し、調理の準備へと取り掛かることにする。
「ハク、焚き火をするから薪を拾ってきてくれないか?」
本来であれば、じっくりと自分で探し集めるのであるが、今回は魚の量が量だ。
おそらく俺は下処理に集中することになるだろう。
「仕方ないな」
ハクはドックコットから降りると、軽やかな足取りで林道の方に駆けていった。
あ、ハクがいなくなったら水球はどうなるんだろう……かと思っていたら普通に水球は宙に浮かんでいた。ちょっとやそっと離れた程度で解除されるわけではないらしい。
そのことにホッとしながら俺はクーラーボックスを手にしてキャンピングカーへ。
「さて、レノアマスをさばくか……」
俺が釣り上げた分は既に絞めと血抜きを済ませてあるので車内のシンクで鱗取りだ。
水で軽く洗ってぬめりと取ると、金たわしで鱗を取ってやる。
大きい個体のものはともかく、通常サイズの鱗は小さくて薄いために力を入れ過ぎず、流水と一緒に丁寧に取る。
「車内にキッチンがあると便利だなぁ」
天板は耐熱ガラス製なので未使用時としてはカウンターとして利用でき、コンロ横には折り畳みテーブルがあるため調理スペースはかなり広い。
ちゃんと車内にキッチンを設置してよかった。過去の俺、ナイス判断だ。
鱗が取れると肛門から包丁の刃先を入れて、頭の方へと切っていきお腹を開く。
喉の付け根まで切ると、首が折れるようになるのでエラを掴んで内臓ごと取り除き、腹の中をしっかりと水で洗う。
中骨に沿った血合いも臭みの原因になるのでしっかりとだ。
爪で擦っても取れるが時間がかかる上に臭くなるので、使い捨ての歯ブラシなどで丁寧にそそぎ取ってやる。
こういうひと手間が美味しさに繋がるからな。
内臓の処理を終えると、レノアマスの肛門部分から口へ向けて串を通す。
身が崩れないように背骨に沿う形で刺すのがポイントだ。
串打ちが終わると、全体に均等に塩を振る。
エラ付近、ヒレ、尻尾などには特にだ。
中年が食ったら一発で過剰摂取になりそうだが、これはそういう意図ではない。
綺麗に形を保つための意味もあるが、主な理由としては表面の塩が溶けてより美味しく焼き上がるからである。
そのために塩はちょっと多めに振りかけるのがいい。
「薪を集めてやったぞ」
クーラーボックスにある分の処理が終わると、ハクのそんな声が響いた。
「ちゃんと乾燥しているものを拾ってきてくれたか? 湿気ていると燃えないからな?」
「何度も見ているんだ。それぐらい弁えている」
ハクが集めてくれた薪を確認すると、ちゃんと乾燥しているものだった。
燃えやすい細い枝と燃え続けやすい太い枝をちゃんと用意してくれていた。
何度も焚き火をしながら説明しているだけあって、ハクも覚えてくれていたようだ。
「川魚の塩焼きだし、今回は直火でいかせてもらうか」
せっかくの塩焼きだ。焚き火台で行うのも情緒がない。
もちろん、焚き火を行う場所は草木のない地面だ。
自然の中を使わせてもらうのだ。できるだけ環境に影響のないように配慮しないとな。
風避けになるように周囲に石を積み上げると、中心地に乾いた小枝とコンロイの実を置く。
コンロイの実にチャッカマンを当てて着火。
小枝に火がついたら焚き火床の細い薪に移して火種にする。
火が安定してきたら太い木を乗せる。
燃え広がらすのではなく、火の中心に木を寄せていくイメージで世話をするのだ。
「まだ焼かないのか?」
焚き火の世話をしていると、ハクが焦れったそうな声音で尋ねてくる。
「炭火ができるまで待ってくれ」
基本は強火の遠火。これは何もアウトドア料理に限らず、焼魚の基本だ。
焚き火で魚の串焼きをやると、燃え盛っている炎の周りに串を近づけて刺してしまい、表面はコゲコゲ、中は半生、なんてことになってしまう、
そうならない為にまずはしっかりした熾き火、真っ赤な炭火を作っておくことが大切だ。
遠赤外線の効果で少し離した距離でじっくり時間をかけて焼き上げれば美味しくなる。
「その方が美味しく焼けるんだな?」
丁寧に説明してみたが、ハクは調理することに興味がないからか一言で済まされてしまった。
ちょっとだけ悲しい。
炭火ができると地面に立てるようにして刺す。熱が当たり過ぎないように火の周囲に放射状に設置し、均等に火が通るようにだ。
さすがに特大サイズのレノアマスはそのまま串焼きにすることができないので三枚おろしにし、一口大の大きさにカットしてから串打ちした。
これはこれでありだろう。
「よし、後はじっくりと焼き上げていくだけだ」
「おい、残りのマスはどうするのだ?」
「焼いている間に追加していく。というわけで、焚き火を見ていてくれ」
「なぬ? 我がか? わ、わかった」
ハクが戸惑いの声を上げて必死に焚き火を見守る中、俺は水球に手を突っ込んで新しいレノアマスを手にする。
こちらはまだとても元気だ。
まな板の上にしっかりと固定すると、ピックで脳天を突き刺す。
脳天絞めをしたらすぐにエラを切り裂いて、水の入ったバケツに入れて血抜きだ。
ひたすらにレノアマスを絞めては鱗を取り、内臓を取り除いていく。
処理の終わったものから串打ちをして焚き火の周りを囲うように設置。
背中から加熱していき二十分ほど経過すると、串を回してお腹側に火を通していく。
レノアマスの体から脂やら水分が滴り落ちて、ジュウウッという音が響いた。
周囲にはレノアマスの香ばしい匂いが漂っている。
「……トール、まだか?」
「もうちょっとだ」
至近距離からレノアマスをジーッと見つめるハク。
口の端からは大量の唾液が漏れ出しており、白狼としての威厳は微塵もなかった。
火加減の様子を見ながら串の配置を変えて、じっくりと炙ることしばらく。
最初に焼き上げたレノアマスから水分が落ちなくなった。
無駄な水分が抜けて、しっかりと焼き上がった証拠だ。
「できたぞ、ハク!」
焼き上がった串を刺し出すと、ハクは豪快にレノアマスにかぶりついた。
「ぬおおお! 美味い! 皮のパリッとした食感とふっくらとした身が堪らないっ!」
お皿の上に焼き上がったものを乗せていくと、次々とハクの胃袋に収められていく。
すごいペースだ。
「俺も食べるとするか」
食欲旺盛な従魔を横目に俺も焼き上がったレノアマスの背中にかぶりついた。
「うおおお! 美味しい! なんて濃厚な脂なんだ!」
火を通すことで香ばしくなった皮はパリッとしており、ふりかかった塩との相性が抜群だ。
身はしっとりと柔らかく、レノアマスの脂の旨さがじんわりと染み出てくる。
泥臭さはほとんどなく、とても新鮮な味わいだ。
川魚なので骨は柔らかく、そのまま食べることができる。
頭から尻尾までそのまま美味しくいただいた。
「次は釣り上げた特大のレノアマスを食べてみるか」
「我も食うぞ」
あまりに巨大だったために串に刺して焼くことができなかったレノアマス。
三枚おろしに一口大にカットしても、その身の大きさは健在だ。
表面の皮には焦げ目がついており、炙られた赤身は狐色っぽい色へと変化していた。
こちらもしっかりと食べごろだ。
少し息を吹きかけて冷ますと、大きく口を開けてかぶりつく。
「おお!? 特大サイズの方が美味しいな!」
「噛む度に甘い脂が口いっぱいに広がるぞ!」
あまりにも大きいサイズの魚は大味なものが多いが、レノアマスはまったく別だった。
むしろ、特大サイズの方が脂の甘みが強かった。
噛む度に甘い脂が口内を満たす。ほのかな塩味が甘みをより際立たせているようだ。
脂の甘さに疲れを感じたらレモンを絞ったり、大根おろしと一緒に合わせると、口の中がリセットされていくらでも食べられる。
自分で釣り上げ、捌いた料理だと思うと、美味しさもまた格別だな。
雄大なレノア湖を眺めながら俺はレノアマスを食べ続けるのだった。
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