夜の焼き肉
「焼き肉をはじめる前に米の準備だな」
俺は焼き肉には米を合わせる派なのでご飯を用意する。
お米を炊くのは一合メスティン。
アルミ型の箱型の飯盒で、煮たり焼いたりと様々な調理法に使える万能クッカーだ。
メスティンがあればできないキャンプ飯はないと言われるほど。
キャンパーなら一つ、二つは当然のように持っているほどに便利だ。
今回はコイツでお米を炊き上げることにする。
蓋一杯で一合分の米を入れると、同じく蓋一杯分の水を入れる。通常の米ならばその配分でいいのだが、今回は無洗米なので少しだけ水は多めに。
卓上コンロの上で炊くと肉を焼くスペースが減ってしまうためにポケットストーブを組み立て、その中に固形燃料を入れる。
チャッカマンで固形燃料に火をつけると、その上にメスティンを載せておく。
後は十五分ほど弱火で加熱し、十分ほど蒸すだけだ。
ご飯の準備を終わる頃には、卓上コンロの網はすっかりと温まっていた。
「まずは牛タンから焼いていくか」
「牛タン?」
「牛の舌だ」
「ほう、牛の舌を食べるのは初めてだ」
空気にさらして常温へと戻された牛タンの一枚目を網に置いた瞬間、ジュワッという音が静かな空間の中に響いた。煙が立ち上り、香ばしい肉の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「いい音だな」
「それに匂いも」
続けて二枚、三枚と牛タンを網の上に並べていく。
薄く切られた牛タンを迎える度に青い炎が歓迎するかのように喝采を上げた。
表面にじわりと脂の粒が浮かび上がり、タン特有の繊細な模様が徐々に色づいていく。
焦げ目がついた頃にトングでひっくり返すと、さらに強い肉の香りが広がった。
薄切りなので裏面までしっかり火を通す必要はない。
ほどほどに熱を通すと、すぐにトングで引き上げて皿に盛りつけて塩を振った。
「できたぞ」
たった四文字の言葉を聞く暇すら惜しいとばかりにハクは牛タンを口にした。
「美味いッ! 程よい弾力があり、噛む度に肉の旨みが広がる!」
「そうだろう?」
「牛の舌を食べるのは初めてだが想像以上の味わいだ。だが、不満なのは肉があまりにも薄いことか……」
消失してしまった牛タンを悲しむように皿に視線を落とすハク。
「なら、次は厚切り牛タンにするか? 十二ミリあるからかなり食べ応えがあるぞ」
「食べる! 早く焼いてくれ!」
「わかった。薄切りよりは焼くのに時間がかかるから大人しく待っていてくれよ?」
「ああ、その間は薄切りの牛タンを楽しむことにしよう」
食い気味に答えるハクに念を押すようにして言い、俺は早くも塩、胡椒を振りかけた厚切り牛タンも焼き始めることにした。それと並行して薄切り牛タンを並べる。
薄切りの方は早く焼ける。肉の表面に脂が浮かんだらすぐにひっくり返し、裏面を二十秒ほど加熱したら焼き上がるので忙しい。
焼けた薄切り牛タンのほとんどはハクへと献上し、俺はその合間を縫うようにして少しの枚数を頬張ることに。
「美味い!」
コリッとした独特な歯応え。柔らかさもありながら程よい弾力を兼ね備えており、噛む度にじわりと肉汁の旨みが出てくる。脂身が少ないためにさっぱりとした後味をしているが、しっかりとコクがある。
「やっぱり外で食べると美味いな」
はじめは他人の敷地でやる焼き肉なんて美味しいのなんて疑念を抱いていたが、いざやってみると関係ない。外で食べる焼き肉はシチュエーションに関係なく美味いものであった。
「トールよ。厚切り牛タンはまだか?」
もう既に薄切りの牛タンは平らげてしまったのか、ハクが網の上に載っている厚切り牛タンを今か今かと見つめている。
「もうちょっとだ」
厚切り牛タンはじっくりと火を通した方が美味しくなるからな。
表面をしっかりと中火で焼き上げると、裏返して網の端の弱火で加熱。
じっくりと火を通したら今度は強火のところで焼き上げ、表面を香ばしく仕上げた。
「厚切り牛タンも焼けたぞ」
「ようやくか!」
本来であれば、鋏で一口サイズに切り分けるのであるが、白狼であるハクにはそんなものは無粋だ。十二ミリの牛タンを大きな口で噛み千切る。
「これは美味い! トールよ、我はこの厚切り牛タンが気に入った!」
「これもドンドンと追加で焼いていくからな」
一気に三枚ほど焼いたが、ハクの食欲から予測すると瞬時に無くなることは確かだ。
俺は感想を言われるよりも前に追加の厚切り牛タンを網に並べる。
ハクが二枚目の厚切り牛タンを味わっている間に、俺は自分の皿に切り分けたものをレモン汁につけていただく。
「この分厚さが贅沢だな」
厚切りならではの弾力とジューシーさ。薄切りのものとは比較にならないレベルだ。
表面は香ばしく、適度に乗った脂がほんのりとした甘さを感じさせた。
すっきりとしたレモン汁のお陰でいくらでも食べられるな。
「ああ、早くご飯と一緒に食べたい!」
腕時計を確認すると、ちょうど十五分が経過したのでメスティンを火から上げる。そのままタオルに包んで十分ほど蒸らせば、ふっくらつやつやの白米ができる。
くっ、この十分が苦行だ。今すぐに牛タンと共にかき込んでしまいたいが、やはり蒸らした方が断然に美味しいので気力を総動員して我慢。
豚バラ、スペアリブ、鶏モモ肉といった別の種類の肉も焼いていく。
「いつになく献身的ではないか?」
「肉を食べているとお米が食べたくなるから作業に没頭して気を逸らしているんだ」
「ほお、お米か……」
肉を食べているハクの視線がメスティンに向かった。
「ほら、追加の肉が焼けたぞ。豚バラと鶏モモ肉だ」
「おお、どちらも美味いな! 豚と鶏は食べたことがあるが、今までに食べたものよりも段違いだ」
「そりゃ、こっちは食用として育てられた肉だからね」
ハクの興味を逸らすために俺は焼き上がった豚バラと鶏モモ肉を献上した。
異世界の豚肉と鶏肉にハクはすっかりと夢中だ。
その間に十分が経過したのでタオルを解いて、蒸し上げたメスティンの蓋を開ける。
「あちち……おお、美味そうだ」
箸で切るように軽くかき混ぜてみたが、焦げなどの部分は一切ない。
見事に炊き上がっている。
「豚バラ肉にタレをつけて、白米の上に乗せれば豚バラ丼の完成だ! では、これを――」
「美味そうなものを食べているな?」
食べようとしたところでハクが顔を近づけてくる。
くそ、違う肉で誤魔化そうとしていたが無理だったようだ。
「ハクは肉さえあればいいだろう? 肉を食えって」
「お前がそこまでして食べたがるのだ。肉と一緒に食うと美味いのだろう?」
しっしと追い払うように手を払うが、ハクは重圧を増して接近してくる。
どれだけ食べ物に目がないんだ。
「……俺も食べるから半分で勘弁してくれ」
「しょうがないな」
さすがにこのタイミングで炊きたての米をすべて奪われるのは辛すぎる。
必死に懇願すると、ハクは不承不承といった形で頷いてくれた。
ハクの皿にご飯を半分盛り付け、その上に焼き肉のたれをつけた豚バラ肉を載せてやった。
ハクと俺は同時に豚バラとご飯を口に入れた。
「むむ! もっちりとした白い粒に微かな甘みがある! 単体としての味はそれほどであるが、肉と一緒に食べるとより美味く感じるぞ!」
「くっ、お前も白米の美味しさがわかってしまうのか!」
「当たり前だ。我を誰だと思っている」
白米の美味しさがわかるのに人間も白狼も関係ないと思うのだが、今はそんなことはどうでもいいや。豚バラ肉と白米をかき込むことだけに集中する。
「トールさん、よかったらうちの野菜スープを……」
夢中になって豚バラ丼を食べていると、食事を持ってきたアイナの足が止まった。
その視線は俺たちの食べている豚バラ丼に向かい、流れるようにして卓上コンロで焼かれている豚バラ肉やスペアリブへと向かった。
「…………」
無言だが、その顔には『美味しそう』という言葉が雄弁に書かれているようだった。
「よ、よかったら食べる?」
「食べる!」
焼き上がった豚バラ肉を差し出すと、アイナはにっこりと笑みを浮かべた。
箸は扱い慣れていない様子なのでフォークを差し出すと、アイナは立ったまま豚バラ肉を口に頬張った。
「どうだ?」
「美味しい! こんなお肉は初めて!」
小さな口をもぐもぐと動かして嚥下すると、アイナは感動したように言った。
「そうか。よかった。お肉はいっぱいあるからいくらでも食べてもいいぞ」
「ほんと!? じゃあ、もっと食べたい!」
「我も肉をお代わりだ。次は骨付き肉を食べたい」
「スペアリブな」
アイナだけでなく、豚バラ丼を食べ終わったハクも空いた皿を差し出してくる。
俺は二枚の皿に焼き上がった豚バラ肉とスペアリブを乗せてやった。
「むむ! 美味い! 他の肉よりも脂が乗っていてジューシーだ!」
「甘辛いソースが美味しい!」
「骨付き肉を食べていると肉を食らっている感じがするよな」
「わかるぞ。この骨から身を引き剥がす感じが堪らんのだ」
いや、そこまでリアルな感触を言われても少し困る。
「アイナ、そこにいたのか」
「あ、お父さん!」
腹ペコ狼と腹ペコ少女のために追加の肉を網に並べていると、今度は家からルーグが出てきた。
食事を届けに出た娘がいつまでも戻ってこなければ、心配になるのも無理はない。
ホッとした表情を浮かべてこちらに近づいてくるルーグであるが、その視線はすぐに卓上コンロで焼かれている肉へと向かった。
「…………」
美味しいものを見つけたら固まってしまうところが親子そっくりだ。
「よかったらルーグさんも焼き肉いかがですか?」
「え? いいんですか?」
「お肉はいっぱいありますので」
「ありがとうございます」
お皿とフォークを差し出すと、ルーグはアイナと同じく愛嬌のある笑みを浮かべた。
「むむ! なんという肉の柔らかさ! それに臭みもない! こんなにも食べやすくて味が濃厚な肉は初めてです!」
スペアリブを口にしたルーグが目を見開き、唸るような声を上げた。
ショップで購入したお肉は異世界人の子供だけでなく、大人の口にも合うらしい。
「……こんなに美味しいお肉ならお母さんにも食べさせてあげたいな」
焼き肉を喜んでいたアイナであるが、顔を俯かせてしゅんとしてしまう。
美味しいものを自分が食べるだけでなく、大切な人と分かち合いたいと思うなんてとても優しい子だな。
「そうだね」
ルーグも気持ちは同じなのかアイナと同じく残念そうな顔をする。
薬を飲めたとはいえ、病気のロアンナに焼き肉を食べさせるのは厳しい。
確か栄養をつければ、回復が早まるんだっけ。
思い立った俺はチェアから腰を上げて、キャンピングカーの車内へ。
キッチン上部にある収納棚を漁ると、そこにはおかゆ、ゼリー、桃缶、栄養ドリンクなどといった病人でも口にしやすいレトルト食品があった。
緊急セットと同じようにキャンプをしている際に体調を崩してしまうことがあるからな。
そういった場合の備えとして消化にいいものは保管している。
俺は車内にある電子レンジでレトルト製の七草粥を温める。
二分ほど温めると、そのまま容器からお皿へと盛り付けた。
「トールさん?」
「病人でも食べられる消化にいいものを作りました。もし、食欲があるようでしたら食べさせてあげてください」
「いい匂い! それに山菜がいっぱい入ってる!」
「トールさん! いいんですか!?」
「どうぞどうぞ」
今となってはいつでもショップで購入することができるし、もっともそれを欲しているのはロアンナだ。
「あ、ついでに栄養ドリンクもどうぞ」
「これは?」
「体力回復や疲労回復効果のあるドリンクです」
「つまり、ポーションですか!?」
「え? いや、そんな大袈裟なものじゃないですよ。俺の故郷に伝わる薬のようなものです」
「そんな貴重なものまでありがとうございますッ!」
ルーグが心底感激したように俺の手を包み込んで上下に振ってくる。
なんだか勘違いされているような気がするが、ロアンナが元気になるならそれに越したことはない。
二人は七草粥を手にすると食事を切り上げ、ロアンナの部屋へと向かった。
「トール、お代わりだ」
「…………」
家族の絆に感動していると、その空気をぶち壊すかのようにハクが呑気な声で木皿を差し出してくる。
お前はもうちょっと雰囲気というのを大事にできないのか……。
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