エピローグ③
人は疎ら。
車も通らず。
聞こえるは鳥の囀りと蝉の鳴き声。
何よりも快適なのは暑くない事。日の出からまだ一時間。閑散としたこの雰囲気が古村は好きだった。
この涼しい時を狙ってマラソンをする者がチラホラ。現に彼の背後から足音が急接近。そのまま追い越すと思いきや。
「古村。今から登校か?」
勢い良く肩を叩かれた。
「誰かと思ったら、お前かよ」
ランニング用ウェアを着込んだ三川が、額の汗を拭いながら隣を歩いていた。
「後ろ姿で良く俺だと判ったな?」
「判るさ。遠くからでもその身長は目立つ」
「そりゃ、お前もだろ」
学校で二人並んで歩くと、人間山脈とか好き勝手言われていた。
「古村はいつも、この時間なのか?」
「まさか」
即座に首を左右へ振った。
「今日は二学期の始業式だからな」
「はぁ? 何だそりゃ?」
訳が判らぬと三川は顔をしかめた。
「深い理由なんて、ねぇよ」
実のところ意味はあるのだが、説明が面倒で省いた。
「そういうお前こそ、朝の走り込みなんて何時から始めたんだ?」
「先週からだ。色々と未熟だからな」
「未熟? 馬鹿言うなよ。今でも充分過ぎんだろ」
中学生とは思えぬほど筋骨隆々。見た目は並の大人以上だった。
「オレが鍛えたいのは、心だよ」
そう言うなり三川は、休息完了とばかりに再び駆け出した。
「まだ栗田の事を引きずってんのか。彼奴は」
遠ざかる背中を見送りながら、古村は一人呟いた。
心が疲労骨折しても知らんぞと思いながら。
「この公式をそこで使うの」
「マジ?」
「マジ」
ノートを指差しながら、伊藤は垂れた横髪を小指で耳の裏側へと流した。
「簡単そうに見えるけど、引っかけ問題だから気を付けて」
「そういう事か。めっちゃ助かるわ」
礼を述べながら、古村は消しゴムを手に取り指摘箇所を修正した。
最初は二人しかいなかった教室。
いつの間にやら席が八割方埋まっていた。
「他には?」
「多分、大丈夫だ」
夏休みの宿題。自宅ではどれだけ悩んでも埋められなかった空白。同級生の手を借り、始業間際に何とかやり終えた。
「じゃぁ、もう行っても良い?」
周囲の視線を気にしながら、伊藤は小さく溜息をついた。
親密な男女の仲だと思われたら迷惑とばかりに。
「最後に一つだけ良いか?」
「何かしら?」
「いつも、こんな朝早くから学校に来てんの?」
そう質問しつつ古村は既視感を覚えた。同じような会話を三川と交わしたなと。
「誰もいない朝の教室が好きだから」
「そんな理由?」
「表向きはね」
眼鏡を掛け直しながら、伊藤はクスリと微笑んだ。
「実際は?」
「家庭の事情よ。あの子ほど複雑じゃないけど」
「あの子ねぇ」
それが誰を差すのか聞くまでもなかった。
「夏休み、お前ら探しに行ったんだよなぁ。漫画の本を売ってる会場まで」
「無駄骨だったわ。父親らしき人には会えたけど、栗田さんの行方は不明なまま」
伊藤は演劇の役者みたく古村に肩を竦めて見せた。
「即売会の話。古村君は誰に聞いたのかしら? 木村さん?」
「あの日からお通夜状態の奴さ」
栗田の休学を担任が告げて以来、三川の落ち込み振りは酷かった。彼女でも、恋人でも、付き合ってすらいないのに、良くここまで落胆出来るものだと呆れるくらいに。
「彼、まだ立ち直っていないの?」
「元々ストイックな奴だったが、更に磨きが掛かってるよ。修行僧みたいにな」
朝からランニングをする姿を見たら、誰もが同じ感想を抱くだろう。
「それはご愁傷様ねぇ。四十九日も過ぎたというのに」
「おいおい。まるで死んだみたいな言い方すんなよ」
冗談にしてはタチが悪かった。
「お亡くなりになったわよ? 三川君のバラ色の青春が」
「そっちか」
言い得て妙だなと古村は納得仕掛けたが。
「大人への通過儀礼としては、ちょっと残酷な話よねぇ」
憐れみの言葉を笑顔で言ってのける伊藤に、思わずドン引きした。
「たまには三川君を、カラオケにでも誘って上げたら? 今日は午前中で学校が終わるし」
「考えちゃいたよ」
気分転換にと、賑やかし役の木村も誘う気でいた。
「そっちにも、喪中みたい女子が一人いるよな。彼奴こそ大丈夫か?」
「宇垣さんの事?」
「あの日以来、コミュ症が悪化してね?」
元々目立つ性格ではなかったが、居るのを忘れるくらいに存在感が希薄になっていた。
「そう見えるわねぇ」
見える?
どういう意味だ?
「気付いていないの? あの子、表情としている事が一致していないわよ? さながら仮面を被っているみたいにね」
相手の困惑を見透かすように言い放つと、伊藤は髪を乱雑に掻き上げた。
「栗田さんが休学する事。あの子だけが事前に知っていた。なぜかしら?」
「そんなの、仲が良かったからだろ?」
「それなら、栗田さんが今いる場所も、もしかしたら…………ねぇ?」
他の同級生には聞こえないよう、低い声で囁いた。
「同人誌の即売会場で、宇垣さんを見掛けた子がいるのよ。私達の誘いは断っておきながら」
「彼奴、まさか知ってんの?」
「そんな気がするから、今日確認するつもりよ。あの子が隠している事を洗いざらい」
口元の笑みとは対照的に、その目は氷のように冷ややかだった。
「マジで、やんの?」
古村はそれほど宇垣と親しくはないが、見過ごすには物騒に思えた。
「あら、イジめるわけじゃないわよ? ちょっと尋問して問い詰めるだけよ♪」
この女、実はヤバイ奴なのでは?
そう危惧する一方、栗田の情報を知りたい気持ちは古村も一緒だった。
「何か判ったら、教えてあげるわ」
またねと手を振りつつ伊藤の向かう先。登校したばかりの宇垣が、自分の席で肩から鞄を降ろしていた。
どうする?
俺も後を付いて行くべきか?
一瞬悩むも、視界に入った人物により思考が中断。
最優先すべきは何か、考えるまでもなかった。宇垣には悪いなと思いながら。
「遅刻ギリギリだな。どこまで走った?」
「城の本丸御殿だ。余裕の筈が、シャワー浴びてたら時間がヤバくなった」
それで間に合うって、どれだけ体力があるのやら。
マラソンランナーを目指しても、そこそこ良い線まで行く気がした。
「なぁ三川。放課後は暇か? たまには俺に付き合ってくれよ」
「別に構わんが、用件は?」
「カラオケでも行かね? もしくは飯」
三川は暫し視線を泳がせた後。
「カラオケは気が乗らん」
小さく首を左右へ振った。
「飯なら付き合うよ。駅前のあの店以外なら」
栗田を思い出す場所は行きたくないか。
即座に察するも、古村は敢えて何も言わなかった。
「そんじゃぁ、駅裏のラーメン屋にすっか」
「今日、定休日だろ?」
「そっか? ちょい調べるわ」
机に腰掛け、スマホの液晶をタップ。
その直後。
教室の入り口付近から歓声が上がった。それも賑やかに。
「何だ?」
古村は目をこらすも人垣で良く見えず。
だが。
チラリと見えた横顔。
特徴のある声。
まさか…………。
「おい、三川」
お前も見ろと、親友の肩を揺すった。
「やってねぇだろ? オレはあの店の常連なんだよ」
「ちげぇって、そうじゃねぇっ!」
「ラーメン屋だったら、どこでも良いぜ」
好きに決めてくれと、三川が手を振った時。
「栗田チャンだぁ~っ!! お久しぶりぃいいいいっ!!」
とある女子、角田らしき絶叫が教室内に響き渡った。
弾かれるように椅子から立ち上がる三川。
群がる人の輪。
その中心にて照れ臭そうに笑う一人の少女。
それを瞬きもせず見つめた後。
三川は緩慢に口を開いた。
「なぁ、古村。これは………夢か?」
「そう思うなら早く行けよ。もたもたしてると、夢から覚めちまうぞ♪」




