エピローグ②
「いただきます」
家族揃って食事に手を合わせる。
子供の頃は普通だと三川は思っていた。実はそうでもないと知ったのは、つい最近の事。
彼は、これが苦手だった。
正確には苦手になってしまった。
あの日を思い出してしまうから。
二ヶ月ほど前の夕方。
三川が日課である武術の鍛錬を終え、飲み物を求め台所へ踏み入れた時。
「お兄ちゃん、夕飯もうすぐ出来るよ。お父さん呼んでくれる?」
来年中学生になる妹が、母親と一緒に料理を盛りつけていた。
「親父なら道場を片付けてる。そのうち来るだろ」
そう答えながら三川はハタと足を止めた。
アレを食べねばと。
「悪いが、コイツを温めてくれないか?」
冷蔵庫を開け、中に放り込んでいたプラスチック容器を妹へと手渡した。
「何これ?」
「豚の角煮だ」
「どうしたの? 調理の実習?」
「同級生から貰った。熱い方が旨いらしい」
きっかけは些細な事だった。
同じクラスの栗田と食品売り場の精肉コーナーに立ち寄った時。
彼女が豚バラ肉の塊を手にしながら、いかにそれが美味しいのか懇切丁寧に解説。
それを聞いて思わず口にした。
俺にも作ってくれと。
全く期待はしていなかった。
事実、出来上がった物を学校の玄関で手渡されるまで、すっかり忘れていた。
「いただきます」
四人家族揃っての食事。
テーブルの上に並ぶ料理の数々。
母親の手料理に文句はないが、真っ先に箸を伸ばしたのは、あの角煮だった。
「うまっ!」
咀嚼した瞬間、つい言葉が漏れた。
醤油と甘味と脂身が舌の上で絶妙に蕩ける。しかも、炊き立ての白米に合う。気が付くと山盛りになっていた飯茶碗が空になっていた。
「母さん。うまいな。これは」
普段は黙々と食べる父親が、頷きながら褒めた。
「それ、お母さんじゃないよ。お兄ちゃんが同級生から貰った物」
妹がポツリと口を挟んだ。
「私も本当に美味しいと思う。お友達が作ったの?」
サラリと探りを入れる母親。
詳細を求め、三人の視線が三川へと向けられた。
「あ、あぁ。オレが頼んだ」
「お兄ちゃんから?」
妹は箸を止め、瞬きした。
「まぁな。アイツが豚肉の料理で一番好きとか言ってたから」
「もしかして、女子?」
信じられないという表情で問い質した。
「そう、だが……」
静まり返る夕食の団欒。
長男の一言に様々な表情が浮かんだ。
「なんだよ。そんなに珍しいかよっ!」
そう言いながら、三川の頬も火照っていた。
「お兄ちゃん。これ結構な量があるんだけど。なんと言ってお願いしたの?」
「それはだなぁ」
説明しようとするも言葉が途切れた。
記憶を探り、状況を脳裏で再現して、ようやく全てを把握。
「アイツが料理の自慢をした時に、オレの分も頼むと言ったんだ。オマエの作った角煮が食べたいって」
「マジで言ったのっ!?」
妹が呆れるように言い放った。
「なんか、悪いんか?」
憮然とする父親。
吹き出さんばかりに笑う母親。
家族の反応に困惑する長男。
「あのさぁ。お兄ちゃんがお願いした時、相手の女の子はどんな顔してた?」
「どんなって………。そういや、アイツすげぇ慌ててたなぁ。泡くったみたいに」
「だよねぇ~」
全てを察したとばかりに、妹は深々と溜息を吐いた。
「お兄ちゃん、馬鹿じゃないの?」
「バカってなんだよっ!」
「料理を作れって言うのは、結婚してくれと同じ意味だよ?」
「え? は? マジ………で?」
三川を除く家族三人が一斉に首を縦に振った。
「それで、こんなにも作ってくれたという事は、承諾という意味なのかしら? お母さんとしては助かるわぁ。料理が得意そうだから」
「一度会ってみないとな。今度その子を家に連れて来なさい」
三川が唖然とする間に着々と進む婚姻話。
「いや、まだ、そういう関係じゃねぇからっ!!」
「でも、あなたのために角煮を作ったんでしょ? 変なところで親子そっくりなのねぇ。お父さんもその昔、同じ事を私に言ったわ。ねぇ、あなた?」
「そうだったかな」
否定すればするほど、強固となる既成事実。
三川としては、そうなって欲しいと思いはすれど、現実にはその素振りすらなく。
「ねぇ、お兄ちゃん。その子の画像とかないの?」
「…………あるには、ある」
テレビアニメ美少女ヒロインのコスプレ姿なら。それもドヤ顔の。
「あるなら見せてよ♪」
「恥ずかしいヤツしかない」
「え? 裸なの?」
「ちげぇ~よっ!!」
妹相手に本気で怒鳴り声を上げてしまった。
「マジで付き合うまで行ってねぇから。喧嘩したの、アイツいまだ根に持ってるし」
「喧嘩?」
「あぁ、ついカッとなって……」
しまったと三川は気付くも時既に遅し。
「女の子相手に、カッとなって何をしたの?」
母親が正面から息子の顔を見据えていた。
その隣に座る父親からは殺気めいた眼光。
もしもこの場で。
殴られたから、拳で殴り返した。
などと事実を口にしようものなら、道場へ連行、情け無用の鉄拳制裁が確定。
「いや、大きな声出したら、その、泣かせただけだ」
しどろもどろになりながら、その場を言いつくろった。
「本当に? お兄ちゃん、頭に血が上ったら見境ないじゃん」
余計な事を言うなと、妹を咎めたく思うも。
「いや、マジで、何ともないから。何もやってねぇから」
三方から包囲され、ひたすら白旗を振り続けた。
「いずれにせよ何か御礼をしなきゃねぇ。喧嘩のお詫びも兼ねて」
どうしようかしらと母親は頬に手を当てた。
「でも、アイツ、礼とかは要らないって……」
「家族からという事なら、話は変わるでしょ?」
「それも、そうか」
とはいえ何を返礼したら良いのやら。色恋沙汰にはとんと疎く。
「やっぱ、お菓子か?」
同性で栗田に年齢が一番近い妹へ意見を求めた。
「好き嫌いがあるよ。本人に聞いた方が良くない?」
「どうやって?」
「それくらい自分で考えなさいよ」
兄と妹というより、姉と弟のような会話だった。
「待てよ?」
食品売り場で確か………。
「アイツ、板チョコが好きだと言ってたな」
楽しい記憶作りという名目で、栗田にせがまれ一枚買い与えていた。
「チョコレートねぇ。それなら話が早いじゃん」
「板チョコ、十枚くらい渡すか」
「お兄ちゃんて、本当にヴァカだよねぇっ!!」
「…………ダメか?」
紛糾する家族会議の結果、念のため本人の意向を確認する結論に至った。
どこで話す?
どのように話し掛ける?
まずは御礼の言葉だよな。
考えはすれど一向にまとまらず。
まぁ、焦る事もないか。どうせ同じクラス。機会なら幾らでもあるだろう。毎日顔を合わせているのだから。
三川は楽天的に考えていた。
翌日。担任の教師から、あの言葉を告げられるまでは。
「栗田さんは、ご家庭の事情で休学する事となりました」




