『第51話 幸せの代価④ 補足話』
『第51話 幸せの代価④ 補足話』
2023年冬のコミックマーケットにて配布した内容です。
全文を掲載すると規定に触れるので、全年齢向けに修正しています。
第51話の最後『失意に沈むクラスメイトを、そっと両腕で引き寄せ、抱き締めた』の続きです。
https://book1.adouzi.eu.org/n0763hu/51/
お楽しみ戴けると幸いです。
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唇が触れ合う。
唾液を交えて。
舌先が絡み合う。
粘膜をまさぐるように。
薄暗い室内。
静かな空間に淫靡な水音。
求め合い。
貪り合う。
互いの黒髪を絡ませながら。
抱き合い胸の膨らみ感じながら。
なぜ。
こんな事になったのやら。
今にして思えば。
あの手を握った時に、こうなる事が確定したのだろう。
「栗田さん。明日の放課後、お時間を戴けますで、しょうか………」
クラスメイトと飲食店にて試験勉強中。
真っ赤に泣き腫らした目で。
幼児が縋るような目で。
宇垣さんが、俺に助けを求めた。
「ほんの少しでも良いので、お願い……できませんか?」
「良いよ」
その場でコクリと頷いた。
それ以外の選択肢など、多分、存在しなかった。
演劇の脚本。
それが理由に違いないのだが。
「明日で試験が終わるし。短時間なら、宇垣さんに付き合えるよ」
「ご迷惑、おかけします」
俺は席を立つと、宇垣さんの体を強く引き寄せ、正面から抱き締めた。
人目も憚らず。
そうしないと。
ひび割れた彼女の心が、歪に砕け壊れそうな気がしたから。
「出来れば、詳しい話を聞かせて貰える?」
無言のまま、頷くのを肌越しに感じ取った。
何が起きたのか状況を把握したいけど。
衆目のある、この環境では話し辛いかも。
「ごめん。私、宇垣さんと先に帰る」
自分が注文した飲食費を机の上へ置き、友人達に頭を下げた。
「気を付けて帰ってね」
「栗ちゃん、また明日♪」
「お疲れさんっ!」
「おぅ、またな」
多数のお見送り。
荷物をまとめ腕を振った。
「行くよ、宇垣さん」
「あ、はい」
特に意識はしていなかったのだが。
彼女の手を、ごく自然に握り締めていた。指がヒンヤリ冷たかった。
さて、どこで聞こうか。
帰宅の雑踏で賑わう道すがら、頭の中で付近の地図を描く。
「宇垣さんの家は、ここから西の方角だよね?」
「はい。そうです」
アッチは住宅街だから店舗の類いは何もないよなぁ。
かといって、この駅周辺は例外なく混雑中。
今から学校に戻るのも面倒だし。
俺の家に連れて行くのは論外。妻が締め切り間際で修羅場中だった筈。
「宇垣さん、どこで話す?」
数分考えるも妙案が浮かばず、お手上げ状態で意見を求めた。
「もし、よろしければ………ですが」
怖ず怖ずと、上目使いで俺の顔色をお伺い。
「わたしの自宅でも、良いでしょうか?」
「宇垣さんの?」
「この時間帯は、家に誰もいないので」
それって、つまり。
俺と部屋で二人だけという事に?
良いのか?
………………良いのか。
俺は今、女だった。
忘れていたわけじゃないが、時折、以前の固定観念が判断に混乱をもたらす。
「嫌ですか?」
俺の戸惑いを拒否と受け取ったのか、悲しげに呟いた。
「いや、宇垣さんが良ければ、私は構わないよ」
誰にも聞かれないという意味では、最も適した場所だろ。
「場所は、どの辺り?」
「ここから、五分程です」
近いな。
二十分くらい歩くかと思った。
「ご案内しますね」
攻守交代とばかりに、今度は宇垣さんが俺の手を引いた。
女の子の部屋か。
入るのは初めてだな。
そう思った数秒後、自らの考えを否定した。
娘の春佳の事を忘れていた。俺より室内の状況がアレなので、範疇から外れていた。
「ここが、わたしの家です」
駅近くだが細い路地の行き止まり。
宇垣の表札が掲げられた駐車場付きの一軒家。再開発から取り残されたような場所だった。
敷地内には立派な樹木が枝を伸ばしていた。遠方より引っ越した俺とは違い、長年この土地に住む一族なのだろう。
「どうぞ。お入り下さい」
開かれた玄関の扉。
手招きに応じ足を踏み入れた。
「お邪魔します」
良く言えばシンプルで落ち着いた屋内。悪く言えば殺風景な印象を受けた。
案内されるまま、階段を昇り二階の奥へ。
「散らかっていて、ごめんなさい」
はぁ?
これで散らかっている?
ご冗談を。
俺の部屋なんか、足の踏み場がようやく存在する惨状。
定期的に掃除機を掛けているのか、暖色系絨毯の上には埃一つ落ちていなかった。
本棚には整理整頓された漫画の単行本。ぬいぐるみが室内を見守るように鎮座していた。
「今、何かお飲み物を…」
「良いよ。気を遣わなくても」
これ見よがしに途中の自販機で買ったペットボトルを取り出した。
「それより、どこに座れば良い?」
椅子は机とセットで一脚のみ。床で良いのかな?
「そこに座って下さい」
「へ? そこ?」
指差された先を見て、今一度確認。
「はい、どうぞ。お構いなく」
見本とばかりに、宇垣さんは壁際に設置されたベッドへ腰掛けた。
「失礼します」
良いのかなと思いながら隣へと腰を下ろした。
「すみません。わざわざ、こんな事のために来て戴いて」
「聞きたいと頼んだのは私だから」
いちいち恐縮されると話が進まない。
「それより学校で何があったの?」
明るい口調で問い掛けたのだが。
彼女の体が、ビクリと強張った。
表情からして、トラウマのレベルで拗れたっぽい。
「もしかして、クラス演劇の脚本?」
コクリと縦に振られる首。
口元を固くしながら。
「そんなに言われたの?」
まぁ、判っていたけど。予想はしていたけど。
バットエンドだし。話が長かったし。
昼休みに一読して俺が危惧した部分を、全て指摘されたのだろう。
「きっと。わたしの事が嫌いなんです」
ボソリと。
吐き出された呟き。
「判っているんです。みんなが、わたしの事をどう思っているのか」
俯き。
握り締められた拳が、小刻みに震えていた。
「わたしが愚かでした。何を書いても。どんな提案をしても。馬鹿にされるだけなのに。つい期待してしまって………」
紡がれる呪詛の言葉。
涙の雫が、ポツリポツリと頬から流れ落ちた。
「あの、宇垣さん。それは飛躍し過ぎだと…」
「違いませんっ!!」
悲痛な叫びが、俺の言葉を遮った。
「だって、あんなに酷い事を言われて、全面否定されて………。みんな、みんな、わたしの事が嫌いなんです。そうに決まっていますっ!!」
それは違うと言い掛けるも、俺は言葉を押し留めた。
あの脚本に問題がある。
そう口にしたら、本人の才能と努力を否定してしまう。事実であったとしても、軽々しく告げられない。
作品の駄目出しは貴重な意見だと俺は思うが、それを正面から受け止めるには、それ相応の痛みが伴う。ましてあの脚本が本人の自信作だとしたら、尚更だろう。
「あまり思い詰めない方が良い」
咽び泣く彼女の肩を、そっと抱き寄せた。
「私もさ。自分の作品を批判されるのは怖いよ。でも、誰にも見せずに書き続けるのは、つまらないから」
幼女へと語り掛けるように、耳元へ優しく囁いた。
「本当に面白くない内容なら、読んで貰えないと思う。それだけ宇垣さんの作品が…」
「馬鹿にするためですよ。作品を読んだのは。内容の良し悪しなんて関係ありません」
フォローしたつもりが宇垣さん頭からの拒絶。
あかん。
これは相当な深みに嵌まっている。
「判っていますっ! 判っているんですっ!! 誰も、わたしの事なんか誰も………。昔からそうです。小さな時から馬鹿にされて。距離を置かれて。きっと、この先も…」
「過去はそうだとしても、今後も同じとは限らないでしょうがっ!」
つい、俺も声を荒げてしまった。
苛ついたせいでもあるが。
「嫌な記憶に固執しても、良い事なんて何一つないよ」
恐怖の目で現在を見て、未来に怯える。
その行為は危険極まりない。
「世の中なんて嫌な事は幾らでもある。でも、楽しい事だって必ずあるよ。前を向いて歩いて行けば、きっと見つかる」
「無理です。無理ですよぉ」
涙を拭いながら、イヤイヤと首を真横へ振った。
「良い事も、楽しい事も、わたしを素通りするだけ。幸せなんて…………来ない」
窓の外から差し込む夕日。
それを見つめながら、宇垣さん深く溜息を吐いた。
「判っているんですよ。わたしなんて、誰も………愛してくれない事を」
「愛して、欲しいの?」
言葉尻を捕まえるように、疑問を投げた。
「宇垣さんは、愛されたいの?」
涙で濡れた頬に触れ、自分の方へと強引に顔を向かせた。
「良いよ。あなたが望むなら、私が愛して上げる」
そう宣言するなり、彼女を抱き締めると。
押し倒すようにベッドの上へ、二人で身を横たえた。
「それとも、私では不満?」
嫌と言われたら、それまでだが。
宇垣さんは唇を閉じたまま、暫し俺の顔を見つめた後。
ゆっくり首を左右へ振った。
多少、困惑気味に。
「じゃぁ、覚悟して」
意思は確認した。
後は行動するだけ。
彼女の顎に指を添え、顔を動かないよう固定すると。
俺は身を乗り出し、彼女にキスをした。
先ずは唇を重ね。
次に口を吸い。
更に舌を差し込んだ。
彼女の体に体重を乗せながら。
互いの唾液を啜り合った。
「なぜ、です?」
少し休憩と唇を離した時。
彼女は小さな声で俺に問い掛けた。
「こんなわたしを、なぜ愛してくれるのですか?」
真意が判らないと、首を捻りながら。
「私が、そうしたいから。理由なんて必要?」
「だって………。栗田さんには、恋人がいますよね?」
「それが何? 私は今、あなたを見ている。幸せにしたいと本気で思っている」
その証拠にと、再び彼女の口を塞いだ。
淫らな水音が室内に響くほど、強く、深く、執拗に唇を吸い上げた。
「本当に………。栗田さんは本当にわたしを愛して、くれるのですか?」
「今だけね」
「今、だけ?」
「永遠の愛なんて私は信じない。今は、あなただけが、たまらなく愛しい」
最初は薄々。
途中から何となく。
そして今は、はっきりと判る。
宇垣さんは、昔の俺に良く似ていた。
他人と馴染めず、藻掻く様が。
彼女が涙を流す度、昔の自分が泣いているようで。
どうして放っておけようか。
「栗田さんが本当に愛してくれるのなら。一つ、お願いをしても良いですか?」
もちろんと即答するに俺は頷いた。
「以前。栗田さんと木村さんがしていた事。わたしにもして下さい」
良いよと………答えるつもりでいたが。
何だ?
何の事だ?
木村さんと二人で?
カラオケ。勉強。登下校。漫画の貸し借り。アニメの批評。体育授業のサボり。
どれもこれも違う気がする。
戸惑う俺の態度に業を煮やしたのか。
宇垣さんは俺の手を掴むなり、自らの乳房へ押し当てた。
「良いの?」
思わず問い質してしまった。
「わたしとは嫌ですか?」
「の、望むのであれば、幾らでもするけど」
木村さんの時は、どう感じるのか興味本位だったが。
面と向かって頼まれると、流石に困惑する。
セーラー服の上からという状況なので、背徳感が割増し状態。
俺が男だと知ったら………正直あまり考えたくはない。
「木村さんより、小さいですか?」
俺の表情を読み取ったのか、あからさまに不満げな声。
大きさは二人とも変わらない。などと口を滑らそうものなら、更に憤慨しそうだった。
「栗田さん。少し離れて下さい」
そう言うや、やんわりと俺の体を押しのけた。
もう飽きたかなと思いきや。
彼女は制服の上着を脱ぎ始めた。
スカーフを取り、襟を外し、脇のチャックを降ろし、コチラが呆気に取られている間に下着まで手を掛けた。
「これで、良いですか?」
ダメだろ。
マジでそう言いそうになった。
それほど豊かではないが、成長途上の膨らみが目の前に。
木村さんの時でも、直接触れてはいない。
しかも、この状況という事は………。
「宇垣さんも、私の胸を触りたい?」
予想通りというか、迷いなく首を縦に振られた。
仕方なく、自分も制服の上着に指を掛けた。
静かな室内に、一際大きく聞こえる衣擦れの音。
俺は。
キスで充分だと思っていた。
抱き締めたら、落ち着きを取り戻してくれるだろうと。
だが。
暗い部屋に、上半身、裸の女子中学生が二人。
どうして、こうなった?
長い沈黙の後。
先に動いたのは宇垣さんだった。
両腕で抱き締めようとして……………なぜか動きを止めた。
視線の先が、俺から窓の方へ。
「どうしたの?」
声を掛けると同時に、外から聞こえる自動車の排気。後退する時の警告音。
「お母さんだ」
ポツリと彼女は呟いた。
それって、つまり。
家族が…………って、マズいじゃんっ!?
どう見ても室内は、不純異性……いや、不純同性行為の現場。
俺は慌てて脱ぎ散らしたブラを、制服を、スカーフを慌てて身に纏った。
「いつもなら、帰りはもっと遅いのにぃ~」
宇垣さんも半泣き状態でお着替え。
辺りを見回して、忘れ物がない事を今一度確認。
「それじゃ、また明日っ!」
鞄を引っ掴み、部屋から飛び出した。
階段を駆け下り玄関へ。
靴に足を入れると同時に、ガチャリと扉が開いた。
「あら?」
眼鏡を掛けた中年の女性が、どちら様と首を傾げた。雰囲気が宇垣さんと似通っていた。
「お、お邪魔しました」
「あの子のお友達?」
「はい。クラスメイトです」
愛想を振りまきながら、シューズの紐を結び直す。
「宇垣さん、またねっ!」
ようやく階段から下りて来た友人に声を掛けながら、そそくさと家の外へ。
数十メートル走った後、ホッと一息付いた。
いやぁ。
心臓に悪かった。
急いで部屋を出なくても良かった気がするが、つい逃げ出してしまった。
途中から歯止めが掛からず、どこまでも行くのか予想がつかなくて。
ふと。
唇に指を当てた。
キスなんて、今まで何度もした筈なのに。
妻とは何か違う気がした。
「ただいま~」
自宅の玄関の鍵を閉め、ようやく一息。
娘の靴は見当たらず。
そういや今日は遅番だった。
すると、家に居るのは妻だけか。
「陽子?」
部屋の中を覗く。
「あら、お帰りなさい」
返事はすれど俺の方には目を向けず、忙しそうにキーボードを叩き続けた。
「あのさ。一つ頼みがあるんだけど、良いかな?」
「あら。何かしら」
俺は妻の背後に立つと、甘えるように体を擦り寄せた。
「たまにはさ。夫婦の営み的な事………してみないか?」
「その体で?」
冗談のつもりと、素っ気ない声。
「マズいかな?」
「興味はあるけど、今週は無理ね。仕事が詰まっているから」
「そうか」
陽子から、そっと離れた。
「今夜、何が食べたい?」
「適当で良いわよ」
「判った」
無視されたわけでなく、理由もごく当たり前な内容なのだが。
今までしていた事を見透かされているようで。
正面から見つめられたら、目を逸らしてしまう気がした。




