夢の果てに求めしは⑩
「マジで、この店?」
休日の夕暮れ時。
ベネットさんから指定された場所。
和牛一頭買い。
個室焼き肉。
最高級霜降り肉。
看板に並ぶ文字を見て、たじろいでしまった。
『べてぃちゃんねる』出演料の先渡しとはいえ、流石に気が引ける。
ネット放送の投げ銭で、毎回それなりの額を稼ぎ出しているのは、目の当たりにしているけど。
かといって回れ右をする選択肢はなく。
一呼吸入れ腹を据えると、正面の扉に手を掛けた。
「いらっしゃいませっ!」
入店するなり威勢の良い挨拶。
「米内で予約をしている者ですが」
「はい、承っております。ご案内します」
場違いな客で申し訳ございませんと、思わず謝りたくなる。
「米内様は一番の奥のお部屋でございます」
「突き当たりですね」
店員に頭を下げつつ、心の中では冷やせが一筋。
よりによって一番の奥座席かぁ。
格子状の木戸を横へスライド。
酷く重く感じるのは、重量的な理由だけではあるまい。
「遅いやんけ栗田さん。肉を全部、食うてまうところやったわぁ~」
「栗田はん、おいでやすぅ~」
まさかのステレオ関西弁が俺をお出迎え。
「今回、山本さんもご一緒ですか」
何も聞いていないのだが。
「ウチが居たらアカンの? いけずやわぁ~」
タイトスカートのビジネス姿。紅いルージュに大きめのイヤリング。それら全て台無しにするビールの大ジョッキ。
「栗田は~ん。なしてこないな時間になったん? えぇ男でも見付けはった?」
身体を捻りつつ上目使いでのお伺い。大人の色香が全開状態。
呂律の回り方すると、かなり聞こし召しているっぽい。
「ちょっと野暮用で…」
遅くなったと言おうとするも。
奥に座るベネットさんを見て絶句した。
「栗田はん。早う戸を閉めなアカンて。他の人に見られたら大事や♪」
「お、おぅ」
慌てて振り返り引き戸をピシャリと締めた。
小学生らしき少女とビアジョッキ。
この組み合わせは絵面的にヤバい。
「ベネットさん、それ大丈夫なの?」
「なんも心配あらへんよ。最初どないかなぁって思うたけど、イケるイケる。全く問題なかったわ♪」
そう言い終えるなり、身体に不釣り合いなほど大きなジョッキ杯を傾け、気持ち良く喉を鳴らした。
今回、個室の理由。
まさかコレ?
「そないな所で立たんと、早よ座り。せっかく焼いたお肉が焦げてまう」
「あ、はい」
場の雰囲気飲まれつつ手短な席へ。
「カルビ、牛タン、ロースどれも頃合いや♪」
灼熱の炭火。
網上で炙られる牛肉。脂身が焦げる香り。
一目見て涎が垂れそうになった。
「さぁ、熱い内にお食べ」
母親が娘へと食べさせるように、取り皿へと盛られる牛肉。
「栗田はんの分も、たんと用意したさかいに♪」
予想はしていたが。
俺の前にも大きなグラスの器がドカリと置かれた。ご丁寧に霜付きで。
容器内に満たされた黄金色の液体。表面には白い泡の層。
ご無沙汰しておりますと、頭を下げたくなるほど久方ぶりのご対面。
取っ手を掴み、一気に飲み干したい衝動に駆られるが。
「お肉、戴きますね」
箸を割り、安牌な方へ手を伸ばした。
飲むにしろ、飲まないにしろ、コチラは空きっ腹の状態。
程よく焦げ目が付いたカルビ肉にタレを付けて……。
「うまっ!」
思わず声に出た。
舌がトロけるとは、この事か。
この肉汁にビールを流し込みたいっ!
強烈な誘惑に手が伸びそうになるも。
「あの、ご飯を注文したいのですが」
「何を言うてはります? それは締めに頼むもんやろ?」
「ですよねぇ~」
お約束のようなご回答。
「先ずは冷たい物で喉を潤さな。キンキンに冷えとるさかい、今が一番飲み応えあるで♪」
「判ってます。えぇ、判ってはいますけど」
大丈夫か?
本当に飲んでも大丈夫なのか?
「栗田さん、何も怖ないって。ウチらは成人式、二十年以上前に済ませとるさかいっ!」
「そりゃ、そうだけどさぁ~」
可憐な少女の姿で力説されても説得力など微塵もなく。
「ベネットさん。本当に身体への影響はないの?」
「あらへんて。ほろ酔い程度や。所詮ビールやしな」
以前は日本酒とか、ガンガン飲んでいたからなぁ。
実際に見た目は普段と何も変わらない気がする。
元の身体は中年男性だし、アルコール耐性があるのだろうか。
「大丈夫、大丈夫やって。栗田さんは心配し過ぎやっ!」
「そうかなぁ」
酔っ払いの大丈夫ほど、当てにならぬものはなし。
しかし………。
ちょっとだけなら。
グラスの端へ唇が吸い寄せられるも。
いや。
その一口で後々に影響が。
冷静に考えろとフルブレーキを踏み込む理性。
脳内の議論は紛糾するばかりで、一向に結論が出る気配はなく。
俺は目前にある黄金色の液体を見つめるばかり。
「しもうたっ! 米内君。ウチら大事な儀式を忘れとる」
突然、山本さんがパチンと掌を打ち鳴らした。
「アレやな、姐さん」
「………儀式って?」
一体何を?
「乾杯やっ! すまんなぁ栗田はん。スッカリ忘れとったわ~」
「ほな、しよか。栗田さんもジョッキ持ってやっ!」
「やるの?」
仕方なく取っ手を握り、持ち上げる。
手がプルプルと震えた。
ビールの大ジョッキ。こんなに重かったかなぁ。
「ほな、三人の未来に乾杯♪」
「乾杯!」
「か、乾杯」
打ち鳴らすグラス。
波立つ液体。
そのまま二人はごく自然に杯を傾け、遠慮なくゴクゴクと。
「半年振りやから、たまらへんなぁ~」
「この季節は冷やこいビールやわぁ」
…………飲もうかな。
もう。
限界点突破。
箸を拾い焼き肉を口の中へ放り込む。
噛み締め牛肉の旨味を堪能すると。
覚悟を決め、重いビアジョッキを持ち上げた。
唇から喉元へ滑り落ちる液体。
舌に広がる麦芽の苦み。
爽やかな飲み応え。
「ぷはぁあぁああああああっ!」
焼き肉にビール最高っ!
口元に付いた泡を拭いつつ、長々と息を吐き出した。
約半年の振りだから感慨も一押し。
胃から上がって来る……………。
「ぅん?」
はて?
何か足らぬような。
首を傾げながら再びグラスを持ち上げる。
舌に広がる麦汁。
少し控え目の炭酸。
味は間違いなくビールなのだが。
思考する事、数秒。
「これ、もしかして麦芽飲料?」
口に出すやいなや。
目の前の二人が同時に噴き出した。
「アカンかったかぁっ!!」
「なんや、もうバレてもうたっ!!」
腹を抱え、ケラケラと机を叩きながら笑い転げた。
念のため、もう一口。
やはりというか。
これ、アルコールが入っていない。
「よく考えつきますねぇ。こんな手の込んだ悪戯」
霜付きビアジョッキを、このためだけに用意するとは。
「面白いやん? こないなのは真面目に気合い入れんとなぁ~」
過呼吸一歩手前、息も絶え絶えの山本さん。
首謀者は考えるまでもない。
「でも、栗田さん。ビールやないけど、悪かないやろ?」
「烏龍茶よりはマシだけどさ」
ベネットさんの指摘通り、宴会している気分にはなる。
「俺も最初どうかと思うたけど。お酒飲んだみたいな良い気分になるわぁ~」
それはパブロフの犬と同じ状態なのでは?
心に思うも、声に出すのは思い留まった。
「ただなぁ。やっぱこの身体やと、ようけ食べられへん。すぐにお腹がパンパンになりよる」
「食べるだけならともかく、炭酸飲料だしねぇ」
年齢的に伸び盛りとはいえ、胃の大きさは子供サイズだろう。
「ほな、ちょっと失礼して来るわ」
紙のエプロンを外し、ベネットさんは席を立った。
「なんや? 米内君、ローマ人の真似事でもしはるん?」
「そないなもったい事、ようせぇへんよ」
お子様のサンダルをパタパタと響かせながらの退出。
見た目だけは、どこにでも居そうな小学生の女の子だよな。
後ろ姿を見送りながら改めてそう思った。
「栗田はん。まだ、ぎょうさんあるさかい。遠慮せず食べてな」
「あ、はい。戴いてます」
トングで網上のお肉を、まとめて皿へと移した。
今の一騒動の余波で、幾つか焦げ掛かっていた。
「今日は全部ウチの奢りや♪」
「全部?」
てっきりベネットさんの経費だと思っていた。
「米内君と掘はんから聞いたわ。色々と助けてくれたんやろ? ほんま感謝しとる。ウチは何も知らへんかったからなぁ」
「困った時はお互い様ですし」
たまたま今回は俺が最初だったに過ぎない。
逆の立場だったら、きっと二人に助けられた………と思う。
「ちなみに君ら、なんでそない姿になったん?」
「なんでと言われても」
切っ掛けと戻る方法は判明したが。
理屈に関しては未だサッパリ意味不明。
「二人に聞いても、よう判らん言うし。ウチとしてはメッチャ気になるわぁ~」
優しげな声。
口元に浮かぶ微笑み。
だが二つの目は俺の顔をジッと見据えていた。
そっか。
掘さんもベネットさんも、流石に全てを話してはいないのか。
「俺も良く判りません。朝起きたら、こんな状態でして」
お手上げとばかりに両掌を広げてみせた。
「あの二人も、そない言うてたな」
「興味、お有りで?」
「誰でもそう思うやろ。面白いやん?」
それだけの理由で、熱い視線をコチラへ向けるわけがなく。
「山本さんも変わってみたいですか? 俺達みたいに」
「せやな。明日からっていうんは困るけど、ちぃ~とばかり考えはするなぁ」
「もしも性別が変わったら、何をしたいので?」
女性の身体から少年の姿へ。
何する?
何を求める?
好奇心から、つい問い質してしまった。
「お父さんやな」
「………はい?」
今、何と申した?
「ウチ、お母さんは体験済みや。娘を二人産んで育てたやろ?」
「だから、今度は父親をやってみたいと?」
「流石は栗田はん。物分かりがえぇなぁ~」
満面の笑みを浮かべると、紅いマニュキュアの塗られた人差し指で、俺の顎を下から軽く持ち上げた。
「ウチの子供を産んでみぃへん?」
「こど、も?」
「そうや。ウチが父親で、君がお母さん。知的な子が出来そうやんか?」
待て。
ちょっと待って。
冗談だよね?
それともマジなのか?
これ、迂闊に返事したらアカンやつでは?
「栗田はん。子供産むなんて大した事あらへんよ。つわりと分娩が少し大変なだけや」
それ絶対に『少し』じゃないと思う。
「あの、山本さん。嬉しいお言葉ではありますが。今は中学へ通う身分なので」
「せやった、せやった。ほな、四年くらい待とうか?」
それなら年齢的には……って、そういう問題じゃない。
「そもそも俺には、愛する妻と娘がおりまして」
「それは男の時の話やろ? 今は栗田由喜という可愛い娘やんか。後ろめたい事は何もあらへんって♪」
二人で食事をするような、軽い口調で言われても困る。
そういやベネットさんが以前ボヤいてたな。
姐さんの冗談はいつもタチが悪いと。
「山本さん。お酒ちと飲み過ぎでは?」
「そないな事ないよ。まだ三杯くらいしか飲んでへんし」
確かに頬がホンノリと赤い程度。
むしろ今までの会話。素面の方が問題あるかも。
「お待たせ。帰ったでぇ~」
密室を開放するように滑る扉。
ベネットさんの姿に、真底ホッと胸を撫で下ろした。
「なんや、えらい早かったな。米内君マジで吐いたん?」
「便秘を解消して来たんや。スッキリしたから、まだまだ食えるでっ!」
上機嫌で再び紙のエプロンへと指を伸ばした。
「そや米内君。君の鞄から何ぞ鳴ってたで?」
「ほんま?」
バッグを引き寄せ取り出したのは、少女には不釣り合いなほど大きなスマホ。
実際、ベネットさんの操作中、手からはみ出していた。
「最後のお客さん来よった。もう数分で到着や」
「ほな、スペシャルなドリンク用意しとこか♪」
いそいそと山本さんは部屋から退出。
「栗田さん。すまへんけど、もうちょい奥に詰めてくれへんか?」
「別に良いけど」
俺は荷物を持ってベネットさんの真横へ移動。
「さらの、もうて来たで♪」
山本さんの手には二個の霜付きジョッキ。
一つは新しい席へゴトリと置かれた。
「米内君の、新しいのに替えとき」
「気ぃ使わせて、すまへんなぁ」
新しい取り皿。
おしぼり。
箸と箸置き。
目の前で着々と進行する宴席準備。
子供が悪巧みを仕掛けるがごとく、二人とも溢れんばかりの笑顔。
俺は半ば呆れながら麦芽飲料をチビチビと啜った。
「栗田はんも、あんじょうよろしゅうな♪」
「へ? 俺も?」
「酔ってる振りだけでも頼むわぁ」
いつの間にやら共犯者。
手配が完了したところで、頃合い良く近付く足音。横に滑る格子戸。
「お待たせぇ~……って!?」
やはり最後の一人は掘さんか。
俺と同じく、室内の状況をみるなり硬直状態。
「掘はん。早う中に入って戸を閉めてくれへんか? 他人に見られたら面倒やさかい」
「いや、言われなくても判るって!」
珍しい。
あの掘さんが明らかに取り乱していた。
「米内さん、それマジでヤバくね?」
「どないかなぁ~って最初は思うたけど、イケるで。何も心配あらへん」
涼しい顔でベネットさんは、ゴクリとジョッキの中身を飲んで見せた。
「マジでっ!?」
まぁ、普通は驚くわなぁ。
「栗田さんも飲んでるの?」
「うん。何か普通に飲めた。元の身体が中年の男だから、アルコールに耐性が有るっぽい」
真顔で言い放ちながら、俺も一緒に杯を傾けた。
「役者も揃ったさかいに、皆で乾杯しよか? 掘はんもジョッキを持ちなはれ」
「本当に飲むの? マジで飲むの? ねぇ、これ本当に大丈夫なんっ?!」
「問題あらへんてっ! 俺が平気やさかい掘さんも絶対イケるっ!」
ベネットさんに同意とばかりに、俺は首を縦に振った。
下手に喋るとボロが出そうので。
「準備はえぇか? ほな、皆の幸せを祈願し乾杯っ!」
「乾杯っ!」
「乾杯」
「ホントに飲むのっ?!」
一人を残し、ジョッキ杯を上げる三人。
その後、ほぼ同時に炭酸混じりの息を吐き出した。
「なんや。君、飲まへんの?」
ポツリと呟く山本さん。
掘さんはグラスの表面を暫し眺めると。
覚悟を決めたのか、一気ビアジョッキを呷った。
喉を鳴らす音。
見守る周囲の視線。
数秒後、ジョッキ杯を下ろすと口元の泡を拭った。
「これ、ノンアルじゃねぇかっ! 騙しやがったなっ!? お前ら全員、地獄へ落ちろっ!!」
憤慨の声に、三人同時に爆笑した。
久し振りに、腹の底から笑った気がした。




