夢の果てに求めしは⑤
「あなた。気分はどう?」
妻の声に目が覚めた。
いつの間にか眠っていた。
「少しはマシかな」
薬が効いたのだろう。
あまり頼りたくはないが、背に腹は変えられず服用した。
「今、何時?」
すでにトップリ日が暮れていた。
「八時を過ぎたところよ」
「マジか」
お米は研いだが炊飯器のスイッチ入れてないぞ。
「陽子。今日の夕飯、パスタでも良いか?」
付け添えもサラダとスープなら、三十分程で作れるだろう。
「パスタは明日の方が嬉しいかも」
「そっか」
仕方ない。今からご飯を炊くか。
「起きる?」
「あぁ」
差し出された妻の手で立ち上がる。貧血なのかグラリと視界が回った。
もう少し寝ていたい気もするのだが。
お腹を空かせた家族のため、夕飯をすぐに用意せねば。
そう決意するも、数秒後に全てが手遅れだと知った。
「たまにはスープカレーが食べたいなって思ったのよ。そんなに辛くないから安心して♪」
「お、おぅ」
食卓の上にはトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ。
調理場から漂うスパイスの香り。
夢うつつに良い匂いがすると思ったが、これだったのか。
「ご飯の量は、いつもと同じくらい?」
釜の蓋を開けるや昇り立つ湯気。
陶器へと盛られる炊き立ての白米。
「悪いね。作らせて」
「気にしなくて良いのよ。久し振りで楽しかったし」
その一声で幾分と気が楽になるも。
妻の手元を見て、ある事に気付いた。
「春佳の分は?」
用意されているのは二人分のみ。
「あの子は今日、友達の家に泊まるって」
「珍しいな。外泊なんて」
今年に入って初めてか?
「そうね。夜はいつも家に居る子だから」
「何か理由が………」
あったわ。
帰宅を躊躇する訳が。
今朝のやりとりを今更ながら思い出した。
人の胸を散々揉んでおいて、自分は嫌だと逃げるとは良い性格をしていらっしゃる。
この恨み晴らさでおくべきか。
仕返しをアレコレ考えつつ、黄土色の液体をスプーンですくい上げた。
「どう? 美味しい?」
もちろんとテーブル越しに妻へ頷いた。
長時間煮込み、具材から旨味を抽出したスープ。
敢えて大きめに切られた馬鈴薯や人参。骨付きの鶏肉。
個人的にはスパイスなどで、もう少し辛目にしても良いのだが。
もしかしたら、不調な俺の体を気遣ったのかも。
「あなたと二人で食べていると、新婚の頃を思い出すわ」
「そうだね」
端からは母と娘にしか見えないだろうけど。
「陽子としては、早く男に戻った方が嬉しいかい?」
ずっと気になっていた事を、思い切って口に出した。
「男手は欲しいけど、暫く今のままでも良いわよ」
「このままで?」
俺の予想とは真逆の返答だった。
「あなたの入学手続き。嫌になるくらい面倒だったのよ。だから、せめて後一年。何なら卒業まで通って欲しいくらいよ」
「そういう理由ですか」
申請した書類の数々。役所や学校との煩雑やりとり。
アレらは本当に大変だった。
「本音を言えばね。あなたがどんな姿でも構わないの。元気で、側にいて、わたしより長生きしてくれるのなら………」
奇妙な事を言う。
他人が耳にしたら、そう思うだろう。
俺には直ぐに判った。
陽子は、死別した最初の旦那の事を、未だ引きずっているらしい。
俺と再婚し、娘が成人した今でも、心の傷は癒えぬままか。
あれから二十年以上、経過しているのにな。




