夢の果てに求めしは④
「栗田さんだけ?」
教室へ入るなり、ぶしつけな声が飛んで来た。
「角田はどうしたの?」
机に腰掛けていた淵田さんから、尋問のような質問。
「さぁ。体育館の方へ向かったのは見たけど」
「あのバカ」
舌打ちをするなり、淵田さんは鞄を手に取り教室の外へ。
擦れ違いざまに小さく、ありがとうと俺の耳元に囁いた。
もう皆、帰った後か。
室内に残る生徒は数人。
部活。帰宅。それぞれの理由で退室済み。
俺も居残る理由は何もなく、自分の席から荷物をピックアップ。
校舎裏へ向かう時、最初から持って行くべきだった。
階段を往復しなくて済んだものを。
「栗田さん、ちぃ~す」
背後から特徴のある声。
振り向くと、人間山脈の片割れが立っていた。
「あれ? 君の相方は?」
古村君だけ?
もう一人の姿が見当たらない。
「三川なら先に帰ったぜ。俺、日直だからさ」
「ご苦労様」
返事をしながら、ふと気付いた。
圧迫感が消失している事に。
入学した当初は、背の高い男子が近付く度、ストレスを覚えたのだが。馴れというより鈍感になっただけかも。
「栗田さん、今から帰んの?」
俺は返事の代わりに、コクリと頷いた。
「そんじゃ、俺とデートしない?」
「はぁ?」
コイツは何を言っていやがる?
「たまには俺とも付き合ってくれよ。三川みたいにさ♪」
「私は誰とも付き合っていない」
ここまでダイレクトに切り込んで来た男子は、コイツが初めてだな。
「私、君の事は嫌いじゃないけどさ」
表裏が無いし。
サバサバしてるから一緒にいても気楽だし。
「じゃぁ、付き合ってくれんの?」
「三川君の耳に入ったら、面倒な事になるから嫌」
キッパリとお断り。
へこむ顔を見ながら踵を返した。
俺は知っている。
この男が、それなりに人気がある事を。
一緒に歩くだけで、後で何を言われるのやら。
古村君には多少すまなく思うも、クラスの女子から恨まれるのは御免被りたかった。
放課後の廊下。
活気のある雑踏。
遠くから聞こえる運動部の掛け声。
ひび割れたトランペットの音色。
夢かな。
現実感が湧かない。
これは何十年も前に通り過ぎた筈の景色。
長い長い夢を見ているような。
そんな事を思ってしまうのは、一人だからだろう。
最近、帰りはいつも四人。
不思議と誰も部活動をしていない。
宇垣さんはコミュ障。伊藤さんは厭世家っぽいので判るのだが。
木村さんだけ理由が思いつかない。一人よりも輪の中心にいるような人材。文化系で副部長をしていそうだと、いつも思う。
玄関。
上履きを靴箱へ。代わりにシューズを取り出す。
進学したらローファーの革靴を履くのだろうか。現状を維持するのなら………だが。
校舎の脇。
桜の樹。
青々と葉が生い茂っていた。夏の匂いが微かにした。
長袖が半袖へ替わるのは、もうすぐだろう。
「栗田さん。今お帰りですか?」
校門へと続く街路樹。
俺を呼び止める声がした。
木陰のベンチで文庫本を広げる女子が一人。
「宇垣さん、こんな所で読書?」
今時スマホではなく書籍か。
黒縁眼鏡。物静かな雰囲気。お約束を絵に描いたような文学少女だった。
「ここに居たら、栗田さんに会えるかなと思いまして」
「私に?」
「はい」
頷きながら本をパタンと両手で閉じた。
「外履きが靴箱の中に残っていたので、本を読みながら、お待ちしていました」
「もしかして、待たせちゃった?」
何か約束してたっけ?
携帯端末を慌てて取り出すも通知は特になく。
「わたしが勝手に待っていただけです。行きましょうか」
宇垣さんは鞄を背負うと、私の隣に並んだ。まるでそこが定位置のように。
「今日は風が心地良いですね」
「そうだね」
二人での下校。久し振り………いや、あまり記憶にないな。
賑やかし役の木村さんが不在なせいか、会話が続かない。
別に不都合はないのだが。
時折お隣から向けられる熱い眼差し。
そっか。
彼女がベンチに座っていたのは、そういう理由か。
「もしかして、私に何か相談?」
「あ、いえ。特に急ぎでは、ないのですが」
お約束のような前口上。
早く用件を話せと思いながら、視線で続きを促した。
「夏のお盆に開催される同人誌即売会。サークル参加されるのですか?」
「当選通知は来たよ」
見送りも考えたが、今回も惰性で申し込んだ。
「可能であればですが。売り子。また、してみたいです」
「前回、面白かった?」
「はい。勉強になりました」
笑顔での回答。嘘は言っていないと思う。
思うのだが。
「ベティちゃんに会いたいから?」
探りを入れるように質問を投げてみる。
「そ、それは………」
気まずそうに地面へと向く目線。
どうやら、思惑のど真ん中へ命中したらしい。
「それだけでは、ないですよ? 楽しかったですし。欲しい本もありますし。もちろん、ベティちゃんにお会い出来たら、嬉しいとは思いますが」
珍しく早口な宇垣さん。どれが本命かは一先ず置いておくとして。
「サークルは参加すると思う。でも、私は判らない」
「え? 判らな………い?」
首を傾げながら、彼女は俺の顔を覗き込んだ。
「八月。どこで何をしているのか、まったく判らないんだ」
青い空を見上げながら、他人事のように呟いた。
「栗田さん。それって、どういう意味ですか?」
「私は普通の人とは違うから。今、学校に通っているのは積み重なった偶然の結果だし」
自宅に引き籠もり、憧れの作家生活の予定だったからな。
お節介な義弟の活躍がなければ。
「本来なら、ココにいるべき人間じゃないし」
病気に例えるなら。
去年の冬に罹患して。
仕事を辞め、病院のベッドで横たわる毎日。
ようやく完成した治療薬を飲めば、明日にでも退院、社会復帰が可能なのだが。
それを病室が気に入ったという理由で、薬を飲まずに拒否しているような状態。
業が深いと我ながら思う。
「転校ですが?」
「文化祭までは、いると思うけどね」
成り行きの結果とはいえ、苦労して書き上げた演劇用の脚本。
せめて、それだけは観ておきたかった。
「そんな状態だから、夏の約束は…」
唐突に。
腕が引かれた。
足を止めろとばかりに。
「宇垣さん?」
呼び掛けるも返事はなく。
俯いたまま俺と目も合わせず。
数秒後。
友人の頬に、涙が一滴こぼれ落ちた。
「急に言われても、わたし困ります」
喉の奥から絞り出すような声。
痛いほど俺の手首を握り締めた。
「まだ、栗田さんと知り合って数ヶ月ですよ? もう、お別れなのですか?」
何か答えようと唇を開くも、言葉が浮かばない。
先の話と誤魔化すか。
ゴメンと謝るべきか。
今まで、ありがとうと感謝を伝えるべきか。
どれもこれも、しっくりとしなくて。
「わたし、まだ、あの時のお返しをしていません。栗田さんと、もっと色々な事を話したい。教えて欲しい事だって、たくさんあります。なのに………」
宇垣さんは手で顔を覆った。溢れた涙を受け止めるように。
泣きじゃくる幼児みたく、肩を小刻みに振るわせた。
困ったな。
頭を掻きながら溜息一つ。
予想はしていた。
だから何も言わず音信不通も考えたのだが。
学園生活で築いた人の縁は思いのほか深く、一度に断ち切れるほど柔ではなく。
妻が朝に渡してくれたハンカチを取り出すと、彼女の頬へ押し当てた。
「この先どうなるか、まだ判らない」
再度、俺は事実のみを口にした。
なるべく優しい声で語り掛けた。
「でも、その時が来たら。必ず宇垣さんに、さようならを言うよ」
今、約束が出来るのは、ただ、それだけだった。




