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遅れた福音⑥

 果たして来るのかな?

 携帯のメールを確認するも着信は無し。

 なかば諦めかけた時だった。


「栗田さん。あれ、木村さんでは?」


 入り口付近を宇垣さんが指差した。

 見ると、手を振りながら近付く女子が一人。


「お待たせしました。ただいま到着でありますっ!」


 駅から走って来たのだろうか。木村さんの額に汗が浮かんでいた。


「人身事故でも、ありました?」


 ハンカチを手渡しながら、さりげなく宇垣さんが遅れた理由をお伺い。


「いやぁ~。そのような理由なら良かったのですが。実は駅に到着した段階で、スマホを忘れた事に気付きましてぇ~」


 アハハと笑いながら遅刻者は頭を掻いた。


「仕方なく一度、家に引き返した次第であります」

「音沙汰がないから、家で寝てると思ったよ」


 これが仕事なら小一時間ほど問い詰めていたと思う。


「実際、電車の中で爆睡してました。終点でも目が覚めず、危うく折り返すところでしたけど。いやぁ、マジで危なかったにゃぁ~」


 その後、会場まで走って来たとしたら、メールを打つ暇はないか。


「来てくれたのは嬉しいけど、無理までしなくても良いよ?」


 せっかくの休日。俺の個人的な都合に付き合わせたわけで、責任を感じる理由は何もなく。

 恐縮するのは、むしろコチラの方だった。


「いえいえ。今日は楽しみにしていましたから。わたくしサークル参加はお初なので♪」


 すると木村さんは一般参加した事があるのだろう。

 そんな気はしていたけど。


「あの……。わたし、お手洗いに行きたいのですが、よろしいでしょうか?」


 交代要員が来るのを待っていたのだろうか。宇垣さんが俺の返事より先に椅子から腰を上げた。


「じゃぁ、売り子を交代ですね♪ 今そちら側に回ります」


 そう言うや木村さんは、同人誌が並ぶ机の列の端までパタパタと移動。

 サークルスペースに入るや、椅子と売り子の間を器用に縫い歩いて来た。


「宇垣さん。トイレの位置は判る?」

「はい。大丈夫です」


 入り口の外ですよねと視線を向けた。


「ゆっくりで良いよ。ついでに会場内も見て回ったら?」

「そうします」


 さっきと対照的というべきか。

 狭い人の隙間をヨタヨタと、危なげな足取りで遠ざかった。


「本日はお願いしま~す♪」


 パイプ椅子に座るなり、交代要員は辺りを見回した。


「本の金額は値札で一目瞭然。売り上げ金はコチラですね。お札は小銭の下。無料ペーパーとか有れば言ってくださいっ!」

「木村さん、本当に売り子初めて?」


 ベテランの助っみたいな安心感に、つい苦笑した。


「文章系サークルで滅多に売れないから、気楽に構えて良いよ」

「了解であります」

「判らない事があれば、遠慮なく聞いてね♪」

「では早速、ご質問よろしいですか?」


 困惑気味に木村さんは首をかしげた。


「なぜに栗ちゃんは、わたくしの手を握っているのでしょうか?」

「大丈夫。他の人には見えていないから」


 机の下で恋人繋ぎ。絡み合う細い指先。


「木村さんの手。私より温かいんだね」

「そ、そ、それは、どうもであります」

「話したい事が………あるの。とても大事なこと」


 寄り添い、耳元へ囁いた。


「あの。その。栗ちゃんは、そっち系の人で、ございましたか?」


 露骨に戸惑う瞳を覗き込みながら、俺は唇を開いた。


「サークルの売り子。コスプレ必須と宇垣さんに教えたの。あ、な、た?」

「そっちで、ありますかっ!?」

「親友に嘘を吹き込むのは、人としてダメだと思うなぁ~」


 逃がすまじと、もう片方の手で腕も掴んだ。


「申し開き、あれば聞きますよ?」

「いや、あれはですねぇ。ほんの冗談のつもりでぇ~」

「宇垣さんは即売会の作法と、私に真顔で話しましたけど?」

「本気にするとは思わなかったにゃぁ~」


 怒らないでと、慌てふためきながら謝罪した。


「でも、今日はコスプレしてるサークル、そこそこ多いですよねぇ?」

「全員では、ないけどね」


 そう言われてみると、いつもより目につくような。


「参加者もほら、可愛い浴衣ゆかたの少女とかいますしっ! なんのアニメか判んないけど!!」


 そんなのいたっけ?

 木村さんの視線の先、確かに一人いた。

 朝顔模様の絵柄に雪駄せったを履いた女の子が。


「あの身長だと小学生?」

「かも?」


 中学生には背が足りない気がする。

 しかも一人っぽい。


「迷い込んだのかにゃ?」

「いや、本を物色しているから一般参加と思われ」

「いわゆる親の顔が見たいってヤツですねぇ~」


 それを言われると肩身が狭い。

 春佳の初参加もアレくらいだったからなぁ。しかもメイド服で。

 自打球がすねに直撃した気分で見つめていると、その少女がコチラへ振り向いた。


「栗田さん、そこにおったんかぁ~。どや? 繁盛してまっか?」


 あどけない端正な顔に、全く似合わぬ砕けた関西弁。

 ズルリと肩の力が抜けた。


「ベネ……じゃなくて、ベティちゃん。何してるの?」


 隣にクラスメイトがいる建前たてまえ、ベネットさんと呼ぶのは気が引けた。


「今日は気晴らしと敵情視察や」


 金魚柄の団扇を仰ぎながら、屈託のない笑顔を浮かべた。


「仕事場に籠もるの飽きたさかい、散歩ついでに何が流行はやっとるか見に来たんや」


 そので立ちは散歩というより夏祭りでは?

 綿菓子や林檎飴を持たせても違和感ないだろう。


「自分で言うのもアレやけど。栗田さん。この浴衣姿どないに思う?」

「どないって………」


 華やかな夏柄。

 涼やかな色彩。

 束ねた後ろ髪から下がる花飾り。

 子供の幼さとかすかに匂う女性の色香。


「めっさ可愛い」


 素直に感想を口にした。


「せやろ? せやろっ!? えぇ感じやろ? お持ち帰りしたら、あかんで?」


 最後の一言は、ちょっと笑えない。

 夜道を一人で歩かせたら、マジで危ない気がした。


「ベティちゃん。今日は何故なにゆえその姿?」

「気分やな」

「ですよねぇ~」


 聞いた俺が馬鹿だった。


「ここだけの話しやけど。マンガのネタ集めも兼ねとる」

「新作?」

「せや。和服しか着ぃへん少女が主人公のな。こういうのは考えるより実践するのが手っ取り早いわ」


 そういや新連載を構想中とか前に聞いたっけ。


「栗田さんも着てみぃへんか?」

「私も?」

「めっちゃ涼しいで。着た事ないやろ?」


 この姿になってから、セーラー服やワンピースなど色々と袖を通したけど。

 着物や和服は一度もないな。


「どや? お金なら経費で落とすさかい、心配いらんてっ!」

「経費ねぇ」


 多分、どっかの商業誌に…………ん?

 商業っ!?


「ベティちゃん。さっき山本さんがウチのサークルに来たよ」


 重要な事をスッカリ忘れていた。


あねさんが? マジで?」

「マジ。前触れもなくフラリと」

「珍しいわぁ。会場に姐さんがはるなんて。仕事かなぁ?」


 パタパタと団扇を仰ぎつつ首を捻った。


「去り際に『米内君と会えへんけど、何か知らへん』って、聞かれたけど?」


 そう尋ねるや、ベネットさんの手が止まった。

 気まずそうに俺から目をそむけた。


「ベティちゃん、心辺りある?」

「いやぁ………」

「あるよね?」


 疑義の視線を向けながら問い詰めた。


「すまへん。姐さんにはウチらの事、全て話してもうた」

「道理で」


 あの視線。あからさまに変だった。


「言うのは良いけどさ。事後報告は欲しかったなぁ」

「それな。姐さんから口止めされてたんや」

「はぃ? なんで?」

「面白いから……と、言うてたで」


 俺は危うく椅子から転げ落ちそうになった。


「まさか、それだけの理由?」

「姐さんらしいやろ? 奇襲とか、不意打ちとか、タチの悪い悪戯いたずらほんま好きやからぁ~」


 困ったもんやと、ベネットさんは深々と溜息を吐き出した。


「まだ、あれでもマシになった方や。漫研サークルの頃はマジえげつなかったで? 『お手製弁当事件』の時なんか、後輩めっさ可哀想やった。やり過ぎちゃうかって俺は止めたんやけどなぁ」


 なんぞ、それ?

 詳細が気になれど、聞き出すと長くなりそうなので今は自重した。


「栗田さん。姐さん来はったの何時くらい?」

「ついさっき。十分程前」


 去った方向を俺は指差した。


「まだおるかな?」

「多分」

「ほな、姐さんに浴衣を見せてくるわ♪」


 またなと団扇を振ると、雪駄を鳴らしながら器用に小走りで駆けて行った。


「ねぇ、栗ちゃん」


 ずっと黙っていた木村さんが、おもむろに口を開いた。


「あの子、何歳? サークルの漫研とか話していたような?」

「ごめん。私の口からは何も言えない」


 なるべく言葉は選んだつもりだが、やはりボロは出るか。


「ただいま戻りました」


 頬杖を突いた直後。

 声に目を向けると、いつの間にやら宇垣さんが机の前に。


「トイレ、早かったね」

「空いていましたから」


 俺が朝に行った時は、長蛇の列で心が折れそうになった。


「栗田さん。つい先程ほどまで浴衣の子、いましたよね?」

「いたよ」


 頷きながら宇垣さんに答えた。


「小学生くらいに見えたのですが」

「背が低いからね」


 中身は俺と同じ、中年のオッサンだが。


「宇垣ちゃん。あの浴衣の子、プロのマンガ家みたいですよ? ねぇ、栗ちゃん?」

「お、おぅ」


 木村さんにはバッチリ聞かれたからなぁ。


「背が低い、プロのマンガ家?」


 宇垣さんが一人言にように復唱した。


「確か名前が、ベッキィ………だっけ?」


 惜しい。

 少し違った。

 訂正しようと思った矢先。

 宇垣さんの両手が、素早く木村さんの肩を掴んだ。


「木村さん。もしかして、ベティちゃん?」

「そうそう。そんな…」

「いたんですかっ!! ベティちゃんがココにっ!?」


 突然の絶叫。

 俺も含めて周囲が固まった。


「栗田さんっ! あの浴衣の子っ! ベティちゃん、だったのですかっ?!」


 先程までの文学少女のような雰囲気はどこへやら。

 殺気じみた目で、宇垣さんは俺を問いただした。


「うん。本人」


 落ち着けと、両手を挙げなだめるも。


「アッチへ行きましたよねっ!!」


 そう叫ぶなり、獲物を狩る猟犬の如く猛ダッシュで追跡を開始した。


「栗ちゃん。今の何ですか?」


 呆然とした表情で、木村さんは呟いた。


「宇垣ちゃんとは長い付き合いですが、あんな怖い顔は始めて見たにゃ?」


 普通、驚くよな。

 俺も初見は怖かった。


「あの子。ベティちゃんの大ファンで、熱烈な信者だから」


 フリーガンでも間違っていない気がする。


「あっ!? もしかしてっ! あの少女が『ベティちゃんねる』の、ベティちゃんっ!?」

「そうだよ。今、気付いたの?」

「栗ちゃ~ん。そういう超重要な事は、ちゃんと言って欲しかったにゃぁ~っ!!」


 ありゃ。

 この子も信者だったのか。


「あれが………。あれがベティちゃんの素顔。スマホで撮っておけば良かった。サイン書いて貰えば良かったぁ………」


 恨みがましく愚痴り始める木村さん。

 きっと、この後に帰って来る宇垣さんからも、同じ事を言われ、同じように責められる予感がした。


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