遅れた福音④
「こんちわぁ。今日も栗田さん休み?」
「はい。今日も父は欠席です」
「え? 君って栗田さんの娘だったの?」
驚く志摩さんの反応を見ながら、俺は内心で舌打ちをした。
年末の時は娘の友人という事にしてたっけ。
「実は、そうなんですよ。これ新刊です」
来て戴いたお礼にと、昨日届いたばかりの本を一冊進呈。
「そっかぁ。君も大変だねぇ」
「もう馴れましたから」
同人誌の即売会場。
いつもなら千客万来、大歓迎。
たわいもない会話を知人と楽しむのだが、この状況では如何ともし難い。
「これ、お土産」
「ありがとう、ございます♪」
受け取る小袋。中身はいつもの練り羊羹だろう。
「じゃぁ、またねぇ~。お父さんによろしく」
「はい。お気を付けて」
手を振りお見送り。
お隣に座っている宇垣さんからは、何やら言いたげな視線。
「甘い物でも食べる?」
軽くお伺い。
彼女が何を考えているのか、察しはついていた。
「栗田さん。ここは父親のサークルなのですか?」
「本来はねぇ」
「今は?」
「私が代理人」
中身は同一人物ですけど。
「もしかして、ネット小説のアカウントも?」
俺はコクリと頷いた。
「それで作者紹介が、中年男性になっていたのですね」
ふむと細い指先を口元へと当てた。
「大まかに聞いてはいましたけど。栗田さんの家庭は色々と複雑なのですね」
「ご理解戴けたようで幸いです」
現在、嘘にウソを積み重ねた違法建築ビルみたいな状況。
俺でもウッカリすると、作り上げた設定を忘れそうになる。
朝起きたら女子中学生になっていました。そう正直に言えたら、どれだけ楽な事やら。
「一冊ください」
「はい。三百円です」
本を渡しながら、購入者のお顔を拝見。
記憶が確かであれば、去年もこの会場で買ってくれた人だろう。
売れる冊数が少ないので、朧気ながら記憶に残っている。
「新作、楽しみにしています」
「ありがとうございます。作者に伝えておきます」
一礼してお見送り。
やはり即売会は良い。
書く気力が湧いてくる。
大量に売れ残ると心が折れそうになるけど。
「宇垣ちゃんも売ってみる?」
「良いんですか?」
「何事も経験して損はないよ」
話しながら先程受け取った小銭をコインホルダーへ。
「お金は、ここに並べたら良いのですね?」
「そう。お札が来たら中蓋を外し、硬貨の下に入れる」
「なるほど。そこですか」
興味深げに見つめる視線。
良く考えたら、物販販売なんて中学生には無縁か。コンビニのバイト募集も高校生からだし。
「出来そう?」
「では、やってみます」
快諾するも、ちょっと緊張気味な宇垣さん。
良いなぁ。
この初々《ういうい》しさ。
自分にも、こんな頃があった筈だが。もう何十年も前の事だから思い出せない。
「すみません。読んでみても良いですか?」
早速、サークル前に立ち止まる方が一名。
「え、あの………」
先程の意気込みはどこへやら。
準備中です。
心の準備がまだですと、あたふた取り乱した。
「はい。ご自由にお読みください」
俺は手を差し添え、ご案内。
では拝見と取り上げられる新刊。
「ありがとう」
数ページをめくり見た後、元の場所へと戻された。
どうも、お気に召さなかったご様子。
「ありがとうございました」
「あ、ありがとう、ございましたっ!」
声を震わせながら宇垣さんも復唱した。
「そんなに緊張しなくて良いから」
「ですよね。判ってはいるのですが。わたし、その、コミュニケーション全般が苦手でして」
知ってる。
もしかしたら、同級生の中で一番売り子に向いていないかも。
「えっとね。まず、机の前で人が立ち止まったら『どうぞ見て行ってください』と声をかけて。一度手に取ってくれたら、買わなくても『ありがとうございました』と御礼の挨拶」
「お礼、ですか?」
「興味を持ってくれて『ありがとう』という意味」
納得という表情で彼女は手を合わせた。
「あと、これは仕事ではなく趣味だから。お気楽極楽にね♪」
「はい。判りましたっ!」
なぜか気合いを入れる宇垣さん。
ちゃんと理解したのか若干不安。
「あの、見てくださいっ!」
「えっとねぇ。お願いする必要はないから。それと肩の力をもっと抜いて」
「は、はい」
アドバイスに頷きつつ、友達は再び視線を前へ。
なんか既視感あると思ったら。
やってる事が、まるっきり新入社員の研修だわ、これ。
「宇垣さん。出来ればだけど、スマイルでよろしく♪」
俺はニッコリ笑ってみせた。
「それ、必要ですか?」
「真顔で言われたら、怖くない?」
「引きますねぇ」
はぁ……と、肩を落とし漏れる溜息。
「思っていたより難しいです。わたし、売り子ダメかも」
もう挫折?
早くない?
「もしかして。人に話かけるの、怖いと思ってない?」
図星だったのか、彼女の口元が強ばった。
「怖い……です。だって見ず知らずの他人ですよ? 栗田さんは平気なのですか?」
そりゃ、何十年もやってるから。
などと言えるわけもなく。
「私は怖くないよ。だって、この会場にいる人達は仲間だから」
「仲間?」
俺の顔を見つめながら長い睫毛が上下した。
「周り。よく眺めてごらん? ここって何をする場所?」
パイプ椅子にもたれながら、顎をしゃくった。
「漫画や小説やゲームを売る会場だよ? みんな好きだから、わざわざ足を運んでいる」
私も。
そして、あなたも。
「もしも友達を作るとしたらさ。学校の教室と、この会場内。どちらが簡単だと思う?」
少し悩んだ後、宇垣さんは唇を開いた
「多分、コッチかも」
「だよねぇ。ここは同じ趣味の人が集う場所。同志がたくさんいると思えば、怖くないでしょ?」
堅く握りしめられた二つの拳。
上から掌で優しく包み込んだ。
「だからさ。話しかける時に、仲の良い友達だと思ってみたら?」
判りましたと。
彼女は静かに、二回頷いた。
「あ、どうぞ。興味があれば見て行って♪」
では、お手本と。
通りすがりの人へ、明るく元気に呼びかけた。
「よろしければ、手に取ってください」
後を追いかけるように、隣から楽しげな声。
うん。
そんな感じ。
「どうぞ。見て行ってください♪」
少しずつ緊張が和らぎ、ほぐれている。
こういうのは慣れだからなぁ。
考えるほど深みにハマるものだし。
「これ、オリジナルですか?」
同じくらいの年齢だろうか。緑の帽子を被った女の子が足を止めた。
「はい、そうです。とても面白いですよ♪」
おぉ。
この短時間で宣伝するくらいに上達するとは、なんと喜ばしい。
期待値のハードルが低いだけかもしれんけど。
「一冊ください」
「あ、はい。三百円になりますっ!」
お金を受け取って。
本を渡して。
「ありがとうございました」
最後に深々と頭を下げた。
いや、そこまでしなくても良いのだが。
「栗田さん。一冊売れました♪」
「宇垣さんのお陰だよ」
初めての売り上げに、軽く拍手で応えた。
「即売会って、楽しいですねっ!」
一冊でそこまで言い切るかぁ。
それはどうかと思うが、今は深く頷いて見せた。




