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幸せの代価⑪


「いやぁ、今日は良いもの見せて貰った」


 学校からの帰り道。

 俺は正直な感想を口にした。


「栗田さんも演劇部に負けないくらい、迫真の演技でしたよ?」

「いや、それはない」


 宇垣さんからの賛美。否定せずには、いられなかった。恥ずかしくて。

 あの二人に刺激され、つい立ち稽古までやらかしたが。どう考えても自分の演技は二枚落ちる。実力差は明らかだった。


「そうですか? 栗田さんの声、とても綺麗で聞きやすくて、きっと舞台では誰よりも目立つと思いますけど」


 冗談かなと思いきや、同級生の目はマジだった。困った事に。

 褒められる分には嬉しくもあるのだが。


「今回は教室だったから」


 練習なら誰でも上手く振る舞える。


「宇垣さんは舞台に立った事ある?」


 フルフルと首が左右へ振られた。


「私さ。実は他人の目が怖いんだ」


 空を仰ぎ見ながら、ポツリと本音を漏らした。


「本番は体育館のステージだよ? たくさんの生徒に見られるんだよ? 私には無理だよ。失敗するんじゃないかって。笑われていないかって。ネガティブな感情に捕らわれて、きっと声が震えるんじゃないかな」


 舞台の中央に立ち、ライムライトを浴びる。

 その栄誉にあずかれるのは、観客からの視線に快感を覚え、心が沸き立つような素質の持ち主だけだろう。


「でも、栗田さんは先日のイベント、大勢の前で堂々とヒロインを演じていましたよね? それもコスプレ衣装で」

「あれは、その………」


 実は結構楽しかった、などとは言い出せず。


「そこに立っているだけで、喋らなくて良かったからさ。普段の私を知っている人は特にいなかったし」


 約二名を除いて。


「それなら栗田さんは声優を目指すべきでは? 人前で演技する必要はありませんよ?」

「声優ねぇ」


 板の上のよりは気楽だろうけど、緊張はするだろうな。


「わたし、栗田さんの事がうらやましいですっ!」

「へ?」


 羨ましい?


「私が?」

「はい、憧れています」


 キッパリと彼女は断言した。


「誰よりも優しくて、勇気があって、文才があって、格好良くて、声も素適で………」

「中学生としてはね」


 全て台無しにする言葉を、俺は敢えて繋げた。

 アニメのヒーローを見るような、熱い視線に耐え切れなくて。


「私は、あなたの尊敬に値するような、立派な人間じゃないよ。才能もないし」


 なにせ二十年近く文章を書き続け、未だ芽が出ないのだから。


「宇垣さん。あの夕暮れ、とても綺麗に見えるよね?」


 赤く染まった一面の空を俺は指差した。


「あれは光の屈折で、そう見えるだけ。その正体は真っ暗闇の宇宙空間。何もない虚無の広がり。それが私の本当の姿」


 名誉は無く。

 実績も無く。

 お金も無く。

 力も無く。

 有るのは、経験の積み重ねと、三十五年ローンのマンションくらい。


「気持ちは嬉しいけど、私は…」

「そんな事は絶対にありませんっ!!」


 絶叫が。

 夕闇の街を貫いた。


「栗田さんは、誰よりも素晴らしい人ですっ!!」


 拳を握り締め。

 俺を正面から見つめながら。

 宇垣さんは声を張り上げた。

 街行く人々が立ち止まる程の迫力で。


「宇垣、さん?」


 俺は判らなかった。

 なぜ、怒っているのか。

 なぜ、そんな目で俺を見るのか。

 気に障るような事を、言った憶えはないのだが………。


「みんなから、脚本を直せと言われた時、わたし努力したんです」


 呻くような声で、宇垣さんは言葉を吐き出した。


「悩んで、悩んで、何時間も悩み抜いたのに、わたしには書けなかった。何も浮かばなかった。なのに栗田さんは、たった一晩で修正したじゃないですか。それも皆さんが絶賛するほど、とても幸せなお話しに」

「あれは、話のテーマを再編しただけで」


 経験さえ積めば誰でも出来る事なのだが。


「わたし、中学へ入学する時、たくさん友達を作ろうと決めて努力したのに。アドレスを交換出来たのは、ほんの数人だけ。でも栗田さんはどうですか? たった一ヶ月で、クラスほぼ全員とメール可能ですよね?」

「それは、あの馬鹿と殴り合いをした結果だし」


 そもそも、学校で交友関係を築くつもりは全くなかった。


「栗田さんは、もう二人以上の男子に告白されましたよね? わたしなんか、そんな経験、一度も……。一度も…………」


 それも俺にとっては迷惑………と話したところで、嫌みにしか思われないだろう。

 日暮れ間際。

 二人の長い影が道路に伸びた。

 帰宅せんと行き交う人々。

 俺達は足を止め、その流れを阻害し続けた。


「もしも栗田さんが、何もない虚無だとしたら。わたしは一体、何なのですが? 人間以下、ミジンコみたいな存在ですか?」


 口元に笑みを浮かべ、絶望の淵で涙を流しながら、彼女は質問を突きつけた。

 水底へと沈めるようなおもりを添えて。


「ごめん。私が悪かった」


 降参とばかりに俺は謝罪した。


「そんなふうに思われていたなんて、一度も考えた事がなかった」


 ただ不幸な身の上を自虐的に笑うばかりで。


「あなたの目に、私は、とても眩しく映るんだね」


 地平線へ消え入る間際、空一面を黄昏たそがれに染め上げる、あの夕陽のように。


「私は自分を否定するあまり、宇垣さんの思いまで踏みにじっていた。それについては謝るよ。本当に、ごめんね」


 詫びながら、彼女の頬に伝う涙を、そっと指で拭った。


一身上の都合により、8月下旬まで今以上に更新が滞ります。誠に申し訳ございません。

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