幸せの代価⑦
「お父さ……じゃなくて由喜ちゃん、徹夜したの?」
娘の声で意識が戻った。
もう、そんな時間か。
「少しは寝たよ。夜明け前に意識が落ちたから」
「布団で寝たら? 風邪引くよ?」
「だよな」
同じような会話を、つい最近した気がする。
液晶画面には完成した脚本データ。
最終チェックを終えた後、寝室へ移動しようと努力するも、座椅子から起き上がるのが面倒で力尽きてしまった。
「春佳は今日、早番か?」
「うん。これから出勤」
「行ってらっしゃい」
ビジネススーツの娘を笑顔でお見送り。
時間は……まだあるな。
マウスをクリックし印刷作業開始。
メールで送信済みだが、紙媒体もあった方が便利だろう。
三日後と約束したが、早い分に文句は出まい。
こんな強行作業、やるつもりは全くなかった。
倒れた父親の事が気になり、布団へ入っても寝付けず。仕方なく作業を始めたら最後まで終わらせてしまった。
沸き上がる欠伸。
今頃になって、めっさ眠い。
印刷はプリンターに任せて、三十分くらい布団で横になるか。
今日の授業。体育がないのは唯一の幸いだった。
あかん。
足取りがふらつく。
眩しい朝日の下、アスファルト上の路側帯を歩いていたつもりが、気付くと白線を越え車道側にはみ出ていた。
この体、思ったより体力がない。
若いとはいえ中学生だからな。まだ成長期な分、大人よりも睡眠が必要な面もあるか。
「栗ちゃん、大丈夫でありますか?」
「あ、うん。おはよう」
いつの間にか、木村さんが真横に並び歩いていた。
「先程からずっと栗ちゃんに、手を振っていたのでありますが」
「マジで気付いてなかった。本当に悪い」
手を合わせ頭を下げた。無視したわけじゃ、ないですよとばかりに。
「体調が悪いなら休んだ方が良いのでは?」
「私も少し考えた」
家を出る時、熱が出た事にして病欠しようかと十秒くらい悩んだ。
それを振り払って靴を履いたのは、己の欲望に負けたから。脚本の感想を一刻でも早く聞きたかった。作家としての業だと思う。
「実はさ。単なる寝不足なのよ」
「まさかゲームですか? それとも深夜アニメの視聴でありますか?」
呆れるような表情と視線。
黙っていると間違いなく誤解されるな、これは。
「昨日、家族が入院してさ。それが心配で一晩中眠れなかった」
「そういう理由でありますか」
「出来れば、様子を見に行きたいけど」
父親が病院へ担ぎ込まれたのは、初めてではない。今回で三度目だった。
「それなら、行けば良いと思いますにゃ」
「行くって、病院に?」
「何か特別な事情でもあるので? 面会謝絶とか」
「そういうのは、特に………」
敢えて言えば、理由がないだけ。
「ならば、行くべきかとっ!」
木村さんは断言した。笑顔を添えて。
「案ずるより産むが易し。そのご家族も、栗ちゃんが来るのを楽しみに待っているやも、しれませんよ?」
「そう、かな」
「そうです。そうに決まっているであります。栗ちゃんの元気な顔を見たら、絶対喜ぶと思いますにゃ♪」
喜ぶ………か。
きっと、喜ぶだろうな。
あぁ見えて、親父は寂しがりやだから。
驚くとは思うけど。
「木村さん、待って」
並んで歩く友人の手を引き、その場で立ち止まらせた。
「何か?」
「一つ、お願いをしても良いかな」
背負っていた鞄をその場で下ろし、中から厚い紙封筒を取り出した。
「これを宇垣さんに渡して欲しい」
脚本を四冊分。少し重いけど。
「わたくしは構いませんが、栗ちゃん、学校は?」
「後から向かう。病院へ寄った後に」
「行くのでありますか?」
俺は友人へ、コクリと頷いた。
「木村さんのお陰で吹っ切れた。ありがとう」
礼を述べると、手を振りながら来た道を引き返した。
気付くと、俺は走っていた。
学校へと向かう生徒の流れに逆らいながら、駅へと駆け込んだ。
切符の自販機。
額に浮かんだ汗を拭いながら、液晶のタッチパネルを指先で叩く。
この時間なら自由席でも座れるだろう。
「あっ!」
しまった。
財布の中を二度見。
所持金が全く足りない。クレジットカード………は使えるか?
周囲を警戒しつつ恐る恐る差し込む。暗証番号を入力。買えた。駅員のいる窓口なら性別で拒絶されただろう。
切符を片手に改札を抜け、ホームへと階段を急いで降りる。
発車ベルが鳴り終えるのと同時に電車の中へ。
閉まる扉の音を聞きながら、空いている座席へと腰を下ろした。
これで暫く休める。
加速と共に揺れる車内。流れる窓の景色。ささやかな旅路。
乱れた呼吸を整えながら、目蓋を閉じた。
お金は無い。
力も無い。
相談の相手にすらなれない。
今は無力な一人の女子中学生。
それでも。
俺は、ただ。
父の顔が見たかった。




