手の平サイズの幸せと不幸せ⑥
曲の後奏が終わった。
マイクのスイッチをオフへ。
カラオケ室内に響く拍手の音。
だが、俺の心は晴れなかった。
「栗ちゃん、感動するほど下手ですにゃぁ~」
「ですよねぇ~」
何曲か歌ってみたけど、言い訳する気にもなれず。
「栗田さん。歌い出しが完璧で、歌詞の間違いもなく、声量も申し分ないのに、どうして音程だけが致命的に外れるの?」
「なぜでしょうねぇ」
伊藤さんの冷静な分析。返す言葉がございません。
ちゃんと合わせたつもりが、口から発せられる声が全く合わない。
無理に修正を試して更に悪化という繰り返し。
頭の中の音程と、声帯が乖離している。性別が反転したせいか?
このズレを修正するには、かなり歌い込まないとダメかも。
「すみません。わたし、そろそろ時間なので」
頭を下げながら、宇垣さんが鞄を肩へ。
「お先に失礼します」
「またねぇ~」
三人で退出する背中を見送った。
「そろそろ終了の頃合いですが、続けます? それともお開き?」
残る面子へ木村さんがお伺い。
「栗田さんは予定があるんでしょ?」
「えぇ、ありますけど。出来れば延長を」
このまま帰るのは嫌だ。
せっかくのこの体。女子の声帯。
もっと歌いたい。
高音の声域で、心ゆくまで喉を鳴らしたい。
そして何よりも。
下手のレッテルを貼られたまま解散したら、木村さんに格好のネタとしてSNSに拡散されてしまう。
それだけは我慢ならない。
せめて下手から、普通くらいには評価を上げねば。
「後一時間くらい、良いかな?」
少しずつだが、歌う度にコツは掴めている。
もう三曲くらい練習したら…………。
「やっぱ栗ちゃん。マイク持ったら離さない性格だったにゃぁ~」
「はい。そうでぇ~す。私はカラオケ魔神でぇ~す」
「弱っている栗田さん。ちょっと新鮮かも」
「私はクラスで一番、音程の合わない女です……」
めげても、しょうがない。
次に歌う曲を決めなきゃ。
操作用の端末へと指を伸ばした。
「あのぉ~。皆様に一つ提案があるのですが?」
意見具申と木村さんが手を上げた。
「部活帰りの友達が、合流したいと着信がありまして。コチラへ呼んでもよろしいかにゃ?」
呼ぶって誰だろう。
クラスの女子かな。
「私は良いけど、栗田さんは?」
「どちらでも構いませんよ」
他人の歌に声を合わせて練習するのはアリだし。
今の状態で、何曲も披露するのはメンタル的に辛かった。
「それじゃ、迎えに行って来ますね♪」
そう言うや、木村さんは部屋の外へ退出。
「迎えにって、すぐ近くまで来ているの?」
「さぁ?」
残された二人揃って顔を見合わせた。
「栗田さん。先に私が選曲しても良い?」
「うん。良いよ」
さっき俺が歌ったから、優先権は伊藤さんだろう。
それでは今の内に。
スマホを取り出し液晶画面をタップ。
ベネットさんへ、少し遅れると一報を………あれ?
登録されていない?
なんで?
数秒後、ようやく理由に気付いた。
アプリのアカウントが学校用だった。
いつものヤツに切り替え………パスワードなんだっけ?
いかん、忘れた。
確かテキストメモのどこかに、控えていたような。
画面を操作しながら頭を抱える事暫し。
何とかメールを送信し、設定を元へ戻し終えたのは、伊藤さんがマイクを置くのと、ほぼ同時だった。
まだ、曲を入れてないや。
事務的に拍手をし、カラオケ端末を引き寄せた。
どれにする?
どれにしよう?
迷うなぁ。
焦る必要は何もないのだが。
ようやく、これにしようと思った矢先。
時間切れとばかりに、曇りガラスの扉が開いた。
「お待たせ。連れて来たにゃぁ~」
予想より早かったな。
もう少し、ゆっくりでも良かったのに。
「ちぃ~っす」
木村さんに続き、男の声が…………って、男?
「ちょっと、男子を呼ぶなら予め言いなさいよっ!」
思った事を代弁するように、伊藤さんが声を上げた。
「怒らない、怒らない。俺の心に風穴が空いちゃうじゃん」
飄々としながら古村君が入室。
すると…………。
「うぃっす」
予想違わず、三川君が後に続いた。
「入力してねぇの? なら、俺が曲入れちゃって良いかな?」
「お好きに」
押し付けるように、騒がしい乱入者へ端末を手渡した。
来たのは二人か。
後ろ手で扉を閉めながら、三川君は当たり前のように俺の隣へ腰を下ろした。
「栗田さんて、カラオケ好きなん?」
「下手の横好きというヤツさ」
実際、人様に聞かせるのは恥ずかしい状態ですが。
「三川君は?」
「アイツに付き合う程度には……な」
嫌いじゃないが、好きでもないか。
「友達思いだねぇ」
「そうでもないさ。たまには歌いたい事もある」
本当に?
ココへ来たのは他にも理由があるだろ?
問い質したくもなるが、藪蛇になるのは確定事項。
横目でコチラへと向ける視線。
落ち着きない仕草。
相変わらず考えている事が判り易い。
「早速、歌わせて貰いますわぁ~」
アップビート気味な前奏。室内に響く重低音。
古村君って、こういう曲が好きなのか。
初めて聞くから、一緒に歌って練習というわけにもいかず。サビの部分くらいなら、合わせられる………かも?
「なぁ、栗田さん」
「ん?」
「あの話、やっぱダメなんか?」
隣から、ボソリと囁かれた。
どの話だ?
返答の代わりに首を傾げた。
「オレの所で練習するって話」
あの件、まだ諦めていなかったのか。
「考えてみたけど、今は色々と厳しい。ゴメンね」
「やっぱ難しいか」
天井を見上げ溜息をついた。
端から期待はしていなかったのだろう。
「栗田さんは、何で格闘技を始めたん?」
あれ?
前に話して………いないか。
「自分の身を守りたい。ただ、それだけだよ」
とても簡単な理由。
「他人までは無理だとしても、せめて自分くらいはね。勝てなくても抵抗はしたいから」
無駄な足掻きだとしても、何も出来ないのは惨めだから。
「もしもよぉ。すげぇ強いヤツに絡まれたら、栗田さんはどうする?」
「走って逃げるよ」
「それも無理そうな時は?」
「その時に考えるさ」
運良く、そんな状況に遭遇してはいないが。
「そういう時は………さ。オレを頼っても、良いんだぜ?」
「君を?」
「並の男よりは強いつもりだ」
そうだろうな。三川君なら平均的な成人男性くらい、平気でブチのめすだろ。
「ねぇ。それって、私が女だから?」
「まぁな」
惚れた女だから、だろ?
ふっと。
心に蝋燭の火が灯った。
漆黒の中に赤黒い炎が。
「もしも、私が男だったら?」
「はぁ?」
「私が、生意気で背が低くて喧嘩が弱い同級生だったら、君はどうしていた?」
揺らめく灯火。
ジリジリと煤を上げながら、心を炙り始めた。
「きっと、笑いながら私を殴っていただろ。自分の力をクラスで誇示するために」
目を見据えながら言ってのけた。
我ながら意地が悪いと自覚しつつ。
「弱いヤツは殴らねぇ。そんな格好悪ぃ事は、もうしねぇと決めたんだ」
「決めたの?」
「あぁ」
「私に嫌われるから?」
「違ぇよ」
頭を左右へ振った。顔を赤らめながら。
「オレはよぉ。オマエにみたいに、なりてぇんだ」
「私?」
「誰かのために、自分より強いヤツでも平気で立ち向かう。オマエみたいな格好良いヤツに………なりてぇんだ」
今度は、コッチが赤面する番だった。
「だから決めたんだ。弱いヤツは、もう殴らねぇ」
「そっか」
私はグラスを手に取り、炭酸飲料一口飲み込んだ。
火照った体を冷ますために。
「私は祈るよ。君がいつまでも、優しい人である事を」
「おぅ」
返事をするなり、彼は視線をカラオケの液晶画面へと向けた。
頬から耳たぶまで真っ赤にしながら。
本当に君は、判り易い男だな…………。
「今、何か鳴ったよな?」
唐突に、三川君が周囲を見回した。
「何かって?」
「着信音みてぇなのが」
俺には何も聞こえなかった。古村君の熱唱が原因だとは思うが。
「三川君のじゃない?」
「いんや」
スマホを見ながら首を左右へ振った。
「栗田さんのじゃね?」
「違うと思うけど」
メッセを飛ばすような同級生は、ここに居る面子くらいだし。
「あ、私だ」
待ち受け画面に着信有りの表示。
「誰からだろう」
先に帰った宇垣ちゃん? 忘れ物でもしたのかな。
液晶画面をタップし、メールを……。
「はぃっ!?」
内容を一読するなり、叫んでしまった。歌声よりも盛大に。
「ごめん。邪魔して、ごめんね」
何事かと顔を向ける友人達に平謝り。
視線の包囲から解かれるやいなや、改めて着信内容を再確認。
「マジかぁ~」
見間違いを期待したのだが。何度目を通しても文面は変わらず。
「どうした?」
お隣から小さな質問の声。
「告られた」
「はぁあああっ!!」
俺より数倍増しの絶叫。
先程の再現よろしく周囲が一斉に振り向いた。
「わりぃ、わりぃ」
何度も頭を下げ、室内が穏やかになるのを見計らうと、三川君はそっと肩を寄せて来た。
「告られたって、誰から?」
「クラスの男子」
以前に教室で、まとめてアカウントを登録した時の一人だろう。
「そいつと仲良いんか?」
「全然」
名前に見覚えがあり、辛うじて顔が思い浮かぶ程度。
「付き合うんか?」
「まさか」
言い捨てるなり端末を鞄の中へ仕舞い込んだ。
「対面で告る勇気のない男なんて、コッチから願い下げ」
正面から言われても困惑するだろうけど。
「でも、こういう男ってさ。しつこい気がするんだよねぇ」
三日に一度くらい求愛メールが着信しそう。
「栗田さん。そいつの名前、オレに教えてくれねぇか?」
笑顔で俺に尋ねた。
あからさまな殺気、剥き出しにして。
「君さぁ。さっき自分の言った事、憶えてる?」
名前を伝えたら、絶対殴りに行くだろ。
「ちょっと、男同士で話し合うだけさ」
「君は拳で語る男だろうが」
この後。
教えろ、教えないのやりとりが暫く続いた。




