憂鬱な学校生活の幕開け⑫
夕方。
スーパー食品売り場。
夕飯の買い出しや、仕事帰りの客で溢れていた。
今日は何を作ろうかと冷蔵庫を覗くも、食材が枯渇気味。
仕方なく出向いたのだが。
「なんでココへ、オレを呼び出した?」
三川君の不満そうな顔を尻目に、俺は買い物籠を取り上げた。
「会いたいとメッセ飛ばしたの、そっちでしょ?」
出掛ける間際にメールを着信。
今から会いたいとか抜かすから、この場所を指定した。
「普通さ。会うと言ったら、ファーストフードとかじゃねぇの?」
「二人っきりで? クラスの子に見られたら、何を言われるか判らないじゃん。木村さんとかね」
まして昨日の今日だ。これ以上、校内ゴシップのネタにされたくはなし。
「それで私に何の用? まさか担任に呼ばれた事について?」
「違ぇ~よ。呼ばれはしたけどな」
「そっか」
口裏合わせかと思ったが、当てが外れた。
「すると何? どうしても今日、話したい事って」
お題を振りながら、棚に陳列された赤いトマトへと指を伸ばした。
「大した事じゃないんだが………」
じゃぁ、呼び出すなよ。
心の中で愚痴をこぼしながら、色艶の良さそうなのを二個選んだ。
「オマエさ。格闘技、やってんだろ?」
あぁ、そっちか。
「やってたよ。昔はね」
「今は?」
「全然」
おっ!
今日は胡瓜が特売。一袋買っとくか。
「なんで、やめた?」
「住む所が変わったからさ。暫くは続けていたけどね。師範が居ない、仲間も居ない、日が経つに連れヤル気も薄れた」
もう、何十年も前の事ではあるが。
「今の私に残っているのは、手癖と、中途半端な知識だけ」
筋肉なんて、あっという間に落ちた。
「もったいねぇな」
「かもね」
今のこの体なら、基礎からやり直せると思うけど。
「私が習っていたのはマイナーでさ。コッチで師範を見付けられても、講習代を払う余裕はないよ」
きっと入会金と月謝で、初回は五万円くらい掛かるだろう。
「師範がいつも言ってたよ。手の突きは腕のみにあらず。先ず脚の爪先が、次に膝、腰、肩、肘、そして手首。体の軸を中心にして、腰を捻るように打ち出せと」
あやふやな記憶だから間違っているかもしれない。
「だから、私は君に尋ねたのさ。腰で殴ったのかと」
視線を商品棚の食材から、隣にいるの彼の顔へ。
「満足した? これが聞きたくて、呼び出したんでしょ?」
「あ、あぁ」
「じゃぁ、私は買い物の続きがあるから。またね」
手を振りその場を後にした。
玉葱は買った。
人参は家にある。
あと野菜で足りないのは………。
「栗田さんっ!」
後ろ髪を引くように背中に掛かる声。
「まだ、あるの?」
溜息を吐きながら振り返った。
もう、話す事はないと思うが。
「良かったら、ウチで練習しねぇか?」
「………はい?」
もしかして。
デートの誘い?
今の中学生は、そういうのが流行っているのか?
「放課後、オレの家に来いよ。練習する場所があるからさ。他の門下生もいるけどな。古村もウチで習ってるし」
「三川君って、そういう家なん?」
「あぁ。良く悪くもな」
子供の頃から仕込まれる、サラブレット的な家系か。そりゃ強いわけだ。
「その、栗田さんの、都合の良い時で………良いから」
頭を掻きながら、照れ臭そうに視線を外した。
好意なのは判るけどさ。
たとえ元が下心だとしても。
「悪いけど。私はまだ、君の事をそこまで信用していない」
キッパリと通告した。
頬に張った湿布薬を、これ見よがしに撫でながら。
「オマエ、まだ許してないのかよ」
愕然とする彼に、小さく首を左右へ振った。
「あの件は、もう許してるよ」
「じゃ、なぜ…」
「記憶は別。君の顔を見る度に、嫌でも思い出すからさ。教室での事を」
黙ってはいたが。
コイツが隣へ立つ度に胸が騒いだ。
神経が張り詰め、つい警戒してしまう。
頭では判っていても、体が本能的に先走りするから何ともしようがない。
「オレ、どうすりゃ良いんだよ。どうしたら信用して………くれんだよ」
曇る表情。落とす肩。
そこまで落ち込むような事か?
もしかして、メンタルは豆腐なのか?
面倒だから放置したい所ではあるが。
それをすると更に厄介な状況へ悪化しそうな予感がした。
「楽しい記憶」
「はぁ?」
俺は目の前に陳列されていた、安売りの板チョコを一枚手に取った。
「私さ。甘い物が好きなんだ。チョコレートは特に♪」
笑みを作り、媚びるような視線を彼へ。
「判ったよ」
細く長く息を吐き出すと、俺の指先からチョコを抜き取った。
「うそ。買ってくれるの? 三川君ありがとう♪」
少し驚くように口元へ手を当てた。如何にもわざとらしく。
「オマエ、ちゃっかりしてんなぁ~」
不満を口にするも、その表情は満更でもなく。
「今さ。私とても楽しい気持ちになれたよ」
「そう、なのか?」
「何でも良いんだよ。朝に笑顔で挨拶するとか。教室で楽しい話をするとか。そんな幸せな記憶を、たくさん積み重ねられたら。君の顔を見る度、微笑む日が来ると思うよ」
多分ね。
来ないかも、しれないけど。
「それ、めっちゃ時間が掛かるんじゃねぇの?」
「だろうね」
乱闘騒ぎの打撲。それなりに痛かったし。
「君は、数日で心代わりする人を信じるのかい? そんなヤツ、すぐに手の平を返すと思うけど」
「………それも、そうか」
俺の心根が腐っていると言われたら、返す言葉はないが。
「この際だから、三川君に全て言っちゃうけど。実はもう一つ理由がある」
むしろ、コッチの方が本命か。
「放課後や休日。私には空いている時間がない。夕飯の準備や、掃除洗濯をしなきゃいけない。今だってそうさ」
ベーコンのブロックを手に取り、買い物籠へ。
「たまたま食材の買い出しが必要だったから、外に出掛け、君と会うことが出来た」
「そんなに毎日、忙しいのか?」
「私は居候の身だから」
敢えて立ち止まり、正面から向き合った。
「三食と寝る場所が有って学校へ毎日通える。今の環境は奇跡に近いんだ」
嘘ではなかった。
性別が反転した、あの日。
もしも、妻や娘が俺の言葉を信用しなかったら。
俺は家から放り出され、路頭に迷っていたに違いない。
学校に関しては、今でも嫌々だが。
「提案は素直に嬉しいけど。私は、君の家には行けない」
もしも練習なんて始めたら。
小説を書く時間が間違いなく消えるだろう。
どうせ放課後に毎日練習。土日祝日は朝から日が暮れるまで練習。クタクタに疲労困憊した体で学校の宿題。
判っているんだよ、そういう日々が続く事を。経験上。
「栗田さん。家の手伝いって毎日だよな。結構、辛くね?」
「別に。自分で望んだ事だし」
「強制とかじゃ、ねぇの?」
あれ。
同情されてる?
「虐待とか、そういう事はないから。マジで」
憐れみの目を向けられても正直困る。
「私さ。誰かの役に立っていないと、不安になる性格だから」
「なら、良いけどよ」
ぽつり呟いた。安堵するように。
これは、自分の言い方がマズかったな。
馬鹿正直に話し過ぎたか。
「今買ってんの、今日の夕飯?」
「そう。これから帰って仕込み」
「どんなの、作んの?」
「今、考えてる」
まだ時間に余裕があるから、煮込み料理でも良いな。
「ん?」
精肉のコーナーに見慣れない物が一つ。
「珍しい。皮付きか」
「何それ?」
オレにも見せろよと、三川君が顔を突っ込んで来た。
「豚肉のバラ肉の塊。皮付きって滅多に流通しないから」
「上手いんか、それ?」
怪訝な顔つき。パッと見は脂肪だからな。
「醤油と紹興酒で煮込むと最高に美味しい。皮の部分がゼラチン質で、プルプルになる」
調理時間が長いという難点はあるが。
「ゆで卵を一緒に煮ると、肉の旨味が溶け込んでね。とっても………ご飯に合うから」
危ない。
うっかり、ビールに合うと言いそうになった。
気が緩んでいるのかも。
「そんなに、旨いんか?」
「個人的に豚肉の料理では、一番好きかも」
「じゃぁ、オレの分も頼むわ」
…………はぃ?
「今、何て言った?」
「栗田さんの作った角煮が食べたいから、頼むと言ったんだが」
マジか?
本気か?
何を口にしたのか判ってんのか?
俗にいう『月が綺麗ですね』よりもブッ込んでるぞ。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って。少し、落ち着いて」
「それはオレの台詞だ。なに泡くってんだよ」
「何って………」
良く見ると、三川君はいつもと変わらぬ涼しい顔。
「君が、その、俺のために味噌汁を作ってくれ的な事を言うから」
「みそ汁? オレ、あんま好きじゃねぇぞ?」
「ですよねぇ~」
馬鹿馬鹿しい。
俺が一人、過剰反応しただけか。
顔が無駄に熱い。間違いなく赤面しているだろう。
「んで? 作ってくれんの?」
気軽に言ってくれるな。君は。
「ダメなんか?」
「……………………気が向いたらね」
数秒悩んだ後、言葉を濁した。
断ろうと思ったが、期待に満ちた目を否定し辛くて。
「気長に待ってるぜっ!」
「忘れて良いよ」
そんなに手料理が食べたいのだろうか。
それなら、宇垣さんが作ったお菓子も、黙って受け取れば良いのに。
甘い物が苦手なら仕方ないけどさぁ。
小さく息を吐いた。
重くなった買い物籠を持ち替えながら。
同級生のために、角煮を作る…………か。
まるで安っぽい青春ドラマみたいだ。
俺としては全く気が乗らないのだが。
一つ確かな事があった。
もしも角煮を作ったら。
この男は嬉々としながら、大盛りの白米と共にそれを食べるのだろう。満面の笑みを浮かべて。
『憂鬱な学校生活の幕開け』は、この回で終了。
次から新章に入ります。
サックリ終わらせる予定が、キャラの自己主張が激しくて長引いてしまった。




