憂鬱な学校生活の幕開け⑨
玄関の開く音で目が覚めた。
帰って来たのは、どっちだ?
毛布をはぐり目蓋を擦る。
窓から差し込む光は、夕暮れの色だった。
「お父さん? 寝てるの?」
襖の隙間から、娘が顔を覗かせた。
「体調が微妙に悪い」
掘さんとの会話後、どうせ暇だしと小説を書き出したのだが。
猛烈な眠気に勝てず、布団の引力に引かれ眠ってしまった。
頭痛薬の副作用かもしれない。
「春佳。今日は帰りが早いんだな」
「うん。病欠でシフトが変わったから」
それで俺より早く家を出たのか。
「おとん。その顔、どうしたの?」
目をパチクリさせながら、慌てるように部屋の中へ。
「めっさ腫れてるよ?」
畳みへ膝をつくと、俺の頬を間近で観察し始めた。
「学校で転んだ」
咄嗟に嘘をついた。
娘に知られたくない……というわけではなく。説明するのが億劫だった。
「悪いけど、夕飯の準備。春佳にお願い出来るか?」
「やだ」
即答かよ。
どこで育て方を間違えたのやら。
「レトルトでも良いからさ。ご飯は炊いてあるから」
「お母さんは居ないの?」
「珍しくね。ずっと出掛けたまま」
学校からの帰り道。聞かれるであろう早退理由を、色々と考えていたのだが。
玄関を開けると妻の靴が見当たらず。買い物かと思ったが、日が暮れても帰宅せず。
打ち合わせか何かで、都心にある取引先の会社へ出掛けたのだろう。
「ぅん?」
室内に響く呼び出しの電子音。
二人して顔を見合わせた。
「おとん、何か買った?」
「いや。お母さんじゃね?」
この時間という事は、通販の宅配だろう。
もしかしたら、昼間に一度来ていたのかも。しっかり熟睡していたからな。
娘は仕方ないという顔で、部屋の外へ。
さて、どうすっかなぁ。
もう少し寝ていたい気もするのだが。
首の部分に気になる違和感。まさか、殴られた時の後遺症か?
こんなので鞭打ち症とか、情けないやら、恥ずかしいやら。
「お父さん、起きれる?」
廊下から響く娘の声。
すると、さっきのは宅配じゃないのか?
近所から苦情を言われるような事は………してないと思うが。
「お友達が来ているよ」
「へ?」
友達、だと?
「誰?」
「わたしの知らない人。おとんと同じ、中学の制服だった」
「………今、行く」
着替えるまでもないか。
訪ね人の正体。何となく察しはついた。
「栗ちゃん、大丈夫?」
私の顔を見るなり、皆が息を飲んだ。
やはり、この三人か。
昨日、家の前で別れたからな。
「めっちゃ痣になってるけど、痛くない?」
どん引きの木村さん。
そんなに酷いのかな?
実は気が引けて、まだ鏡を見ていなかった。
「栗田さん。今朝は、わたしのせいで…」
「宇垣さんは何も悪くないから」
謝罪の言葉を、敢えて遮った。
「私が勝手にキレて、殴った結果だから。これは全部コッチの責任」
「でも……」
「謝る必要なんて、何もないから」
焚き火を消そうと、ガソリンぶっかけて大炎上。
自分でもこの度の結末には呆れていた。
「栗田さん。頭痛は良くなったの?」
動揺する二人を尻目に、伊藤さんだけ普段通り口元に笑みを浮かべていた。
「薬を飲んだらマシになった」
「明日は?」
「いつも通り、登校する予定」
本音を言えば気まずくて、数日病欠したい気分だが。それをすると予想外なところまで延焼しそうで。
もしも義弟の耳に入ったら、絶対に物凄く面倒な事になるだろう。
「それにしても。良くこの部屋が判ったね」
玄関に表札は付けていなかった。
「マンションの管理人さんに聞いたのよ。栗田由喜さんのお部屋は何処ですかって♪」
「おぅ……」
クラスメイトを訪ねる制服を着た女子中学生。
怪しむ要素が皆無だから、俺でも素直に教えるだろうな。
「本当に悪かったね。三人に心配させちゃって」
見舞いに来るとは思いもよらず。
啖呵を切って飛び出した身としては、平身低頭の思いだった。
「栗ちゃん。実はねぇ、三人じゃないの」
「…………はぃ?」
どうゆう事?
木村さんの言葉に、俺は首を傾げた。
「どうしても栗田さんに謝りたいという人が、あと一人いるのよ。私達は乗り気じゃなかったけど」
嫌で嫌で断りたかったと言わんばかりに、伊藤さんが髪を掻き上げた。
「それって、まさか………」
「その、まさかよ。何かあっても良いように、助っ人も呼んでいるけど」
親指を向けた先。
廊下の奥に背の高い男子が二人、コチラの様子を伺うように立っていた。
一人はアイツで、もう一人は多分、古村君だろう。
「あの後、教室で色々あったんよ。わたくしとしては、栗ちゃんが嫌なら、無理に会わなくても良いかにゃぁと思いますが」
「良いよ。会っても」
「マジで?」
てっきり断ると思っていたのか、木村さんが目を丸くした。
「私も謝りたいから」
これがネットのSNSなら、捨て台詞を書き込みブロック処理で終了なのだが。
否が応でも、同じ教室で顔を見合わせる間柄。
厄介事になりそうな芽は、なるべく早めに摘んでおきたかった。
「殴って悪かった」
件の男子は、俺の前に立つなり、いきなり頭を下げた。
「いや、手を出したのは私が先だから。本当に、ごめんなさい」
相手に負けず劣らず、コチラも深々と腰を折った。
「謝らなくて、良い。むしろ、オレが困る」
朝の強面ぶりはどこへやら。
何を言うべきか苦慮するように、落ち着きなく、忙しなく。
「原因を作っちまったのは、オレだからさ。手加減せず、マジ殴りしたし」
うん。
本当に痛かったよ。今でも痛いけどな。
「アレさ。腰で殴った?」
「は?」
虚を突かれたのか、ぽかんと口を開けた。
「下半身の力で私を殴ったよね?」
「どうして、そう思った?」
質問を、質問で返すのは如何なものかと思うが。
「腕を引く動作が、見えなかった」
迫る拳に気付いたのは当たる間際。
避ける事も、受け身を取る事も出来ず。まともに正面から喰らって、あの醜態。
しかも良く見ると、太股の筋肉の張りが半端ない。ズボン越しでも判るという事は、相当な鍛錬を積んでいるに違いなく。俺はこんなヤツに喧嘩を売ったのか?
考えるほどに自業自得な気がして来た。
「殴られた事に文句はないけどさ。女子相手なら、もう少し考えた方が良いと思う」
俺も打ち所が悪ければ、担架で運ばれていただろう。
「それは……だな。栗田さんの一発が、強烈だったからさ」
「へ?」
今度はコッチが口を開ける番だった。
「冗談でしょ? 私のパンチなんで、蚊が刺すくらいのもんじゃん」
「馬鹿言うなっ! あの一瞬マジで意識が飛んだぜ? 一発KOかと思うくらい本気でヤバかった」
「………嘘だぁ~」
全然、効いているように見えなかったが。
「マジだって。栗田さんのアッパー、アレは完全に不意打ち。しかもノーガードのまま喰らったせいで、コッチは本気モードに入ったからな。手加減する余裕なんて全然なかった」
まるでボクシングの試合解説のように、興奮気味な語り口。
これは、褒められてると思って良いのだろうか?
「つーかさ。栗田さん、アレは狙っただろ」
「それは、たまたま当たり所が良かっただけで……」
「はぁ? 完全にヤル気だっただろ? そういう目をしてたぜ?」
まぁ、狙ってはいたけどさ。
「あれは単に、ムカついたから」
「それだけの理由で、普通、拳で殴るか? オレ、女に殴られたのは初めてだぜ?」
あぁ……。
そうか。
そういう事か。
何となく判った。この男の求めている解答が。
「私はさ………。宇垣さんに、後悔して欲しくなかった」
目を逸らすのを止め、その男子と正面から向き合った。
「あの子はね。人と目を合わせるのが苦手で、挨拶すら声が震える。他人と関係を築くのが、とても下手な子」
子供へ語り掛けるような口調で、訥々《とつとつ》と言葉を紡いだ。
「そんな子が、勇気を振り絞り、ありがとうを伝えようとした。その行為を、間違っていたと思って欲しくなかった」
例え上手く行かなくても、更に次の一歩を踏み出せるのなら。
「所詮、私の一方的な思い込みで、ワガママだけどね」
「……そうか」
すとんと腑に落ちたのか。俺を見つめながら、何度も小さく頷いた。
「オマエって良いヤツだな」
「そんな事は、ないよ」
買いかぶりと、俺は小さく首を左右へ振った。
結局、殴った一番の理由は、ムカついたからだし。
「今回は、オレが本当に悪かったと思っている。マジですまなかった」
しんみりとした顔で、再び深々と頭を下げた。
「だから、もう謝らなくて良いって。先に殴ったのは、俺の方だし」
「………オレ?」
「俺が勝手に暴走し……て」
あっ!?
「ち、違うっ! 俺じゃない、私っ!?」
ハッとして口元を押さえるも、既に遅し。
目の前の男子は、腹を抱えながら倒れんばかり笑い出した。
「良いじゃん、良いじゃっ! オレのままで良いじゃんっ! ワタシとか言わなくたって、良いじゃんっ!」
そんなに可笑しいか?
まぁ、可笑しいよな。
残念ながら、一緒に己の愚かさを笑い飛ばせるほどの度量は、自分にはなかった。
「そういうの嫌いじゃないぜ?」
目に浮かんだ笑い涙を拭うと、懐から何かを取り出した。
「オマエの事、マジで気に入った。良かったら、アドレス交換しねぇか?」
スマホの画面をコチラへと向けた。
「オレ、三川ってんだ。よろしくなっ!」
「アドレス!?」
何で、そういう展開になる?
「嫌か?」
「そうじゃ、なくて」
実際、嫌なのだが。
「今、持ってない」
手ぶらとばかりに、両手を広げた。
「じゃぁ、明日な。ちゃんと持って来いよっ!」
一方的に約束を取り付けると、三川という男子はクルリと踵を返し去って行った。
「おまぁ、ちゃんと謝ったんか?」
「あぁっ! スッキリしたよ」
遠くから聞こえる男同士の会話。
その後へ続くように、女子三人も手を振り、さようならを告げた。
残ったのは俺ただ一人。
ぽつんと玄関先に佇んだまま。
明日、スマホを持って来い?
マジで?
頬を掻くため指を上げた。
「痛っ!」
頬はまだ、腫れたままだった。




