憂鬱な学校生活の幕開け③
少し急ぐべきか?
腕の時計をチラリと確認。
間に合うとは思うが始業ギリギリ。
やはり朝食でロスした二分が痛い。
時間を稼ぐか。
鞄を握り、まだ人気のない商店街を駆けた。
足を踏み出す度に、翻るスカートの端。
早春の冷たい風が、剥き出しの太股を撫でた。
やはり、ストッキングを穿くべきだった。
寝起きから続く頭痛も、地味に辛い。
せめて五分早く布団を出ていたら………。
無駄な後悔を重ねつつ交差点を渡り、街路樹を潜り抜け、生徒の群れを補足。
もう大丈夫だろう。
浮かんだ額の汗を拭いながら、呼吸を整えた。
遠くから鳴り響く学校の予鈴。
歩むにつれ密度が増す制服姿。
道沿いにそびえ立つ学校のコンクリート壁。
心が、ざわつく。
校門へと近付く度、高まる脈拍。
黒いモヤモヤとした何かが、胸の奥深くから沸き上がり、満ちていく。
やだ、やだ。
気分転換に息を吸い込み、頭を振った。
また昨日の繰り返しか。
何もないと頭で判っても、体が勝手に反応してしまう。
毎朝、これが続くのか?
流石に一週間もしたら、収まる………と良いな。
「おはよう」
「うっす」
賑やかな教室。
クラスメイトの挨拶と雑談。
俺は口を開く事なく、自分の席へ。
孤独とか、寂しいとか、そんな思いは微塵もなく。
気遣い不要な事が、むしろ気楽で喜ばしく。
「栗田さん、おはようございます」
「あ、おはよう」
背後からの不意打ち。
咄嗟に明るい声で返答した。前言撤回とばかりに。
誰かと思えば、あの子か。
黒縁眼鏡にショートカットの髪型。
昨日の放課後、予定を伺いに来た地味な女の子。
なぜだ?
何が目的で俺に声を掛ける?
わらわらと疑念が浮かぶも、数秒後、全て杞憂だと自分へ言い聞かせた。
同級生への挨拶に理由なぞ不要だろう。
「せっかく、もう一度学校に通うなら、たくさん楽しまなきゃ………か」
娘の言葉。そっと声に出し復唱した。
朝の教室で『おはよう』と笑顔を交わし合う。
これも、楽しみの一つに数えて良いのだろうか。
「この方程式、とっても重要。高校受験に必ず出題されます」
教師の声。
シャーペンの走る音。
黒板に引かれるチョークの白線。
皆がノートや教科書に目を落とす最中。
俺は頬杖をつきながら、劇でも鑑賞するように授業を眺めていた。
案外、憶えているものだな。
新学期二日目。授業の幕開け。
午前は現国、化学、地理、そして今は四時限目の数学。
教科書にも目を通したが、頭の片隅に残っていた知識と大きな相違はなかった。
英語は元々苦手なので、基礎から勉強するとして。
他に不安があるとしたら地理くらいか。東欧の周辺、社会主義国と呼ばれた国々が軒並み変わったからな。そこだけは憶え直す必要があるだろう。
それにしても………。
この数学の教師。声に抑揚がないので眠気を誘う。
朝から続く鬱陶しい頭痛がなければ、余裕で寝落ちしそうな気がした。
昼休み。
教室を抜け出し、校内を歩く。
「この辺り、だったような?」
廊下を彷徨い、階を間違え、ようやく探し当てた目的地。
図書館。
あぁ、図書館っ!
何という素晴らしい言葉の響き。
早速、足を踏み入れ深呼吸を一つ。
鼻につく書籍特有の臭い。
悪くない。嫌いじゃないぞ。
ページを捲る音しか聞こえぬ静寂な空間。大好きだ。
人があまり訪れず、寂れている雰囲気がたまらない。まさに俺に良し、お前に良し。
さて、何を読むかな。
学校の図書館ならば、やはり明治大正の文豪書籍だろうか。
実はあまり読んでいない。芥川とか好きな作家は目を通しているが。
有名な代表作は読破した方が良いよなぁ。
そんな事を思ってみるも、俺の指先は日課の如く新聞の朝刊へ。
以前は通勤途中にスマホで、または昼休みに業務端末で眺めていた。
とりあえず三面記事が気になるところ。
本日の株と円相場は幾らでしょう?
通路で紙面を広げると邪魔になるので、適当な椅子へと腰掛けた。
机の対面に座っていた女子生徒が、俺に微笑みながらの会釈。コチラも軽く頭を下げながら、ハタと気付いた。
また、あの子だ。
この席には深い理由もなく座ったのだが。
たまたま近くに、あの女子が居たのも本当に偶然なのだが。
真向かいから時折向けられる熱い秋波。
話し掛けたいけど迷っている。そんな思いが、ひしひしと、あからさまに。
数時間後の教室にて起きるであろう事柄が、容易に脳裏へ浮かんだ。
「あの栗田さん。今日はこの後、お暇ですか?」
俺、知ってる。
これ既視感というヤツだ。
実際、昨日の再現ではあるが。
放課後。
帰宅の準備が完了するのを見計らうように、あの子が声を掛けて来た。
告白の返事を期待するように、不安と期待が入り交じった表情で。
「今日も、ちょっと……」
「ダメ、ですか?」
頼む。
そんな悲しげな顔をしないでくれ。
だから、目の端に涙を浮かべるんじゃないっ!
まるで俺が、冷たい人に見えるだろうが………。
「途中まで、一緒に帰るくらいなら、付き合うよ」
「良いんですか?」
瞬きする彼女へ、小さく頷いた。
理由が何にせよ、好意に思ってくれる相手を無下にするのは、よろしくないか。
恨みを買うのも嫌だし。
クラスに一人くらい、話す相手がいても悪くはなかろう。
「名前、何だっけ?」
君とか、お前とか呼ぶ訳にもいかず、恥を承知で尋ねた。
「宇垣です。よろしくお願いします♪」
自己紹介を終えるなり、深々とお辞儀をした。
「こちらこそ、よろしく」
返礼とばかりに俺も頭を垂れるも、笑顔は作り損ねた。




