二週目の青春
「お父さん、袖とか大丈夫?」
「あぁ、特には」
クリーニング屋から昨日引き出したセーラー服。
パリッと仕上がっているのは良いが、少しばかり布地が硬い気もする。
「良かったね。わたしの制服、捨てずに取っておいて」
「まさか、これを俺が着る羽目になるとは、夢にも見なかったよ」
娘のお下がりを着る父親。こんな事態、普通に考えたら特殊性癖の持ち主くらいだろう。
「気持ち、丈が余るな」
ほんの数センチほど手首に掛かる。
「わたしより背が低いからねぇ」
「頭を撫でるなぁ~」
端から見れば、年の離れた姉と妹。
今月から実質、義理姉妹となってしまった。
「正直な話。四月のこの日に、入学手続きが全て間に合うとは、思っていなかったよ」
義弟はどんな強硬手段を使ったのやら。
この数ヶ月における面倒な認知やら調停手続きの数々。思い出したくもない。
巻き込まれた妻には心の底から同情する。
「でも良いじゃない。始業式で、クラス替えもあるんでしょ? 変に目立たなくて」
「まぁな」
教室内で交わす最初の挨拶が基本『初めまして』だから、幾分は気が楽だった。
「それとも転校生として、クラスの注目を浴びたかった?」
「そんなイベントやるくらいなら、家に引き籠もるよ」
本日から栗田由喜は中学二年生……という事になった。
娘が通った公立学校へ本日初登校。同じ住所に長年住んでいるから当然ではあるが。幸い制服は変わっておらず、余分な出費をせずに済んだ。
教科書や体操着などは新調したが、貯金内で問題なく収まった。
公的な手続きが完了するのは、まだ少し先。それさえ済めば、保険証が発行される。それに関しては素直に有り難かった。
「おとんは結局、髪は切らなかったね」
「もったいなくて、さ」
この姿になってから数ヶ月。少し長くなった。
「手入れ、メンドくない?」
「飽きたら切るよ」
今日も寝癖を直すだけで、かなりの時間を費やした。
それでも、伸ばせるだけ伸ばしてみたいとは思う。学校で何か言われそうではあるが。
「その髪留め、ちょっと地味じゃない?」
「そうか?」
「どうせなら、もっと可愛い方が良いと思うよ?」
思い立ったが吉日とばかりに、部屋の奥から何か持って来た。
「これ、どうかな?」
お伺いを立てるも、俺が口を開く前に頭部へと伸びる指先。嬉々として髪をいじり始めた。
「それ、なんか見憶えがあるんだけど」
「うん。わたしが前に付けていたヤツだよ♪」
制服だけじゃなく、髪留めまで娘のお古か。
「良いじゃんっ! 可愛いじゃんっ!」
一人満足そうに頷くと、壁に掛かる姿見を指差した。
まぁ、悪くはないか。
鏡の前で首の角度を変えながら、印象を確認。
紺色のセーラー服に見栄えする色ではある。
「男子から注目されるんじゃない?」
「されても嬉しくないよ」
女子に言い寄られても困るけど。
「お父さん。せっかく、もう一度学校に通うんだから、たくさん楽しまなきゃ♪」
「…………そっか。お前には、話した事がなかったな」
学生時代。楽しい想い出より、消してしまいたい記憶の方が多い事を。
「何かあったの?」
「大した事じゃないさ」
首を左右へ小さく振ると、垂れた横髪を耳の後ろへと流した。
「春佳。お前は時間、大丈夫なのか?」
「うん。今週は遅番だから」
今年の二月。娘は無事、資格試験に合格した。
付近の医療関係に就職。俺と同じく四月から、新しい環境へと足を一歩踏み出していた。
「わたしが稼ぐからさ。おとんは安心して学校へ通ってね♪」
「お、おぅ」
定年退職で引退した気分。
素直に喜んで良いのやら。
「ところで、お母さんは?」
いつもなら妻がアレコレと口を出して来る場面。
「さっき、自分の部屋で何かしていたけど」
部屋?
理由を推測する前に、本人がパタパタと室内へ。
「あなた、お待たせっ!」
一瞬、我が目を疑った。
頭から足の爪先まで、バッチリめかし込んでいた。結婚式にでも参列するかのように。
「お前、なぜにそんな格好?」
「私も一緒に行くからよ」
「はっ?」
「へっ?」
娘と揃って疑問の声を上げた。
「だって、初の登校日でしょ?」
あぁ、そういう事か。
妻の一言で全てを察した。
「入学式じゃ、ないんだからさぁ~」
「そう言わず、校門前で一緒に写真を撮りましょうよ♪」
娘の門出を祝う記念撮影か。
実際、世間的には二人目の娘という事になっていた。保護者的な意味で。
「春ちゃん。あなたも来るのよ?」
「わたしも? なんで?」
突然の指名に、娘が目を剥いた。
「カメラマンが必要じゃない。あなたのスマホで良いから」
「着替えるのメンドい」
本気で嫌がるも、妻はどこ吹く風。
「まずは、マンションの正面玄関。三人揃って記念撮影ね♪」
「マジで?」
「もう管理人さんが居る時間でしょ? 撮るのお願いしましょう」
目立つのは嫌だな。通学、通勤の時間帯だし。
俺は断ろうと口を開きかけるも、思い留まった。
あまりにも嬉しそうに、妻が笑っていたから。
「もう、この辺で良いだろ?」
中学校の正門前。
スマートフォンを構える娘相手に、妻と何回ポーズをとった事やら。
案の定、周囲から注目を浴びまくり。
「一人で行ける? 忘れ物とかない?」
「大丈夫だって」
完全に思考が母親モード。中身が中年男性の夫という事を、スッカリ忘れているんじゃなかろうか。
「じゃぁ、おと……じゃなくて、由喜ちゃん。頑張ってね」
「春佳姉さんこそ、撮影係ご苦労様」
本来は妻が言うべきだろうけど。
「お友達、たくさん出来ると良いね♪」
「友達ねぇ」
つい溜息が漏れた。
「嫌なの?」
「いつ元に戻るか、判らないだろ?」
あまり深い縁を築きたくなかった。
「クラスで浮かない程度には努力するよ」
校舎のスピーカーから鳴り響く予鈴の音。
俺は二人に手を振り校門をくぐった。
周りは制服を纏った生徒の人だかり。
朝の挨拶。
楽しげな笑い声。
ありふれた登校風景なのだが。
手にむしばむ汗。
早まる胸の鼓動。
…………なんだ、これ。
失笑せずには、いられなかった。
あれだけ月日が経過しても、まだ体は憶えているらしい。
鉄筋コンクリートの校舎。
アーチを描く体育館の屋根。
嫌な事とか、嫌な事ばかり思い出す。
一旦、立ち止まり大きく深呼吸。
大丈夫だ。
今回はきっと上手くやるさ。
そう思い視線を上げた矢先、何かが視界を掠めた。
ヒラヒラと風の中を漂う桃色の欠片。
周囲を見回す。
あれだ。
校舎の脇、玄関の真横。
「桜が、あったのか……」
歩み寄り見上げた。
一本だけ植えられた八重桜。
樹齢を重ねた太い幹。空を覆う張り出した枝。
今年は開花が遅れていたせいか、未だ賑やかに咲き誇っていた。
春風が吹く度に、乱れ舞う桜吹雪。
校庭に敷き詰められるピンク色の花びら。
あの時と。
同じ景色。
中学の入学式に、期待と不安を胸に見上げた満開の桜。
何十年も前の事を、昨日のように思い出した。




