表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/113

そんな事を言われても③


 コンテストの締め切り、三月末だったよなぁ。

 帰り道。黄昏たそがれ色の夕焼け空を見上げながら、今後の予定を思案。

 今の書き掛けは間に合うと思うが、新規でもう一本、急いで執筆すべきか。

 それとも今の作品を加筆して、完成度を高めるべきか。

 色々と悩みどころではあるが、まずは完結させるのが最優先か。最近のペーズなら来週末にはケリが付くだろう。

 いつもは仕事帰りに喫茶店へ寄ったり、帰宅後に疲れた体へ鞭打むちうっていたが。

 今は執筆のみに集中出来る理想的な環境。

 紆余曲折うよきょくせつの末とはいえ、まさに怪我の功名。いや、塞翁が馬?

 薄暗い真冬のごとく鬱々とした日々の中、ようやく訪れた春のきざし。

 踏み出す足が軽やかに。

 視線は大地から遙かな彼方へ。

 全身にみなぎる気力が心地良く、明日への期待に熱く高鳴る胸の鼓動。

 今日も、明日も、明後日も、小説を書き続けられるという事実に、至福すら覚えた。

 家の玄関を開けるまでは。

 男性用の大きな靴。

 コンクリートの三和土たたきに鎮座していた。

 無論、俺の物ではない。

 それ以外には、妻の靴しか見当たらず。

 この後に何が待っているのか、考えるまでもなく。

 一気にテンションが、ダダ下がり。

 深く、深く、大きな溜息を吐き出しながら靴を脱いだ。


「ただいま」


 帰宅を告げながら居間の中へ。


「お帰りなさい」


 予想通り、大きな客人がお一方ひとかた


「お邪魔しております」


 ペコリと義弟が頭を下げた。表面に笑顔を浮かべながら。


「井上さん、本日お見えになる予定でしたっけ? お待たせしまして申し訳ございません」


 多少の嫌みを含めながら頭を下げた。


「いえいえ。私も先ほど来たところでして。急ぎ確認したい事がありましたので、お伺いしました」


 メールや電話ではなく直談判じかだんぱん

 もう、嫌な予感しかしない。

 今まで応対していたのか、テーブルの対面に座っていた妻の顔が、幾分やつれ気味だった。


「由喜ちゃん、先ずはお座り下さい」


 義弟は椅子へと手で促した。職員室にて、生徒を相手にする教師のように。


「率直に、お尋ねしたい事があります」

「なんでしょう」

「栗田家へ来る前、あなたは何処どこにいました? 何処どこの学校に通っていました? 誰と一緒に住んでいました?」


 強い口調での、矢継ぎ早の質問。


「それは……」

「今日こそは、全部教えて戴かないと困りますっ!」


 去年の年末。一度は棚上げした案件。

 今度は絶対に逃さないという気迫が籠もっていた。


「一体あなたはこの先どうするのですか? 聞けば学校にも行っていない。義務教育を何だと思っているのですか?」


 真正面、唐竹割からたけわりのような正論。

 否定出来ず、誤魔化す事もあたわず。

 何か言おうと口を開けるも、言葉は容易に浮かばず。


「私は心の底から心配しているのですよっ! あなたの、この先の将来をっ!」


 この先の、将来?


「あなたに……」


 一呼吸し、腹を据えた。


「あなたに、私の何が判るというのですかっ!!」


 机を両手で叩きながら絶叫した。


「私が今どんな気持ちで、この家にいるのか判りますか? 私の意思で、ここにいると思っているのですか? 学校に通っていないのが、そんなにも悪い事なのですかっ!? それとも、私が生まれて来た事そのものが、罪だというのですかっ!!」


 思いのたけを一気にまくし立てた。


「そんなに、私の存在が気に入らないのですかっ!?」


 喉に痛みを覚えるほど、声を張り上げた。


「いえっ! そんなつもりは、ありませんが」


 激しく反抗される事を予期していなかったのか。

 滅相めっそうもないと、義弟は両手を振り否定した。


「話せるなら………全てを口に出して言えるのなら、とっくにしゃべってますよ」


 今までの出来事を、洗いざらい。

 もし、それをしたとしても。

 結末は判り切っている。

 どれだけ説明しようとも。

 どれだけ言葉を折り重ねようとも。

 俺の性別が反転した事実を、納得して受け入れる人など、この世には誰もいやしない。同じ運命に遭った不幸な者を除いて。


「失礼ですが。今の私から、あなたに伝えられる事は、何一つありません」


 そう言い捨てると席を立った。襖を開け、和室の中へ。

 ピシャリと閉じるなり、それを背に、もたれるように膝から崩れ落ちた。

 壁越しに聞こえる妻と義弟の会話。

 遠ざかる足音。

 帰ったか。

 安堵あんどの息を吐きながら、ゴロリと畳の上で大の字になった。


「人みなれをちょうす。その父いわく、なんぞ福とならざらんや」


 俺はまだ、塞翁のように人生を達観出来そうにない。


「帰ったわよ」


 妻が襖を開けるなり、一言俺に告げた。


「陽子に頼みがある」

「なに?」

「由喜という子は、学校に通った事がない。戸籍すらないらしいと義弟に告げてくれ。メールで構わない」

「それだけ?」

「あぁ、それだけで良い。後は勝手に動くだろう」


 持ち前の正義感で。

 彼のしている事は何も間違ってはいない。

 誰に聞いたとしても、社会的に立派な行為だと思う事だろう。

 俺も当事者でなければ、両手を叩き褒めたたえたに違いない。


「うまく、行かないものだな」


 誰に言うでもなく、天井を見上げながら呟いた。

 もっとも、今までの人生において。

 自分の思い通りに進んだ事など、数えるくらいしか、ないのだが。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ