そんな事を言われても③
コンテストの締め切り、三月末だったよなぁ。
帰り道。黄昏色の夕焼け空を見上げながら、今後の予定を思案。
今の書き掛けは間に合うと思うが、新規でもう一本、急いで執筆すべきか。
それとも今の作品を加筆して、完成度を高めるべきか。
色々と悩みどころではあるが、まずは完結させるのが最優先か。最近のペーズなら来週末にはケリが付くだろう。
いつもは仕事帰りに喫茶店へ寄ったり、帰宅後に疲れた体へ鞭打っていたが。
今は執筆のみに集中出来る理想的な環境。
紆余曲折の末とはいえ、まさに怪我の功名。いや、塞翁が馬?
薄暗い真冬の如く鬱々とした日々の中、ようやく訪れた春の兆し。
踏み出す足が軽やかに。
視線は大地から遙かな彼方へ。
全身に漲る気力が心地良く、明日への期待に熱く高鳴る胸の鼓動。
今日も、明日も、明後日も、小説を書き続けられるという事実に、至福すら覚えた。
家の玄関を開けるまでは。
男性用の大きな靴。
コンクリートの三和土に鎮座していた。
無論、俺の物ではない。
それ以外には、妻の靴しか見当たらず。
この後に何が待っているのか、考えるまでもなく。
一気にテンションが、ダダ下がり。
深く、深く、大きな溜息を吐き出しながら靴を脱いだ。
「ただいま」
帰宅を告げながら居間の中へ。
「お帰りなさい」
予想通り、大きな客人がお一方。
「お邪魔しております」
ペコリと義弟が頭を下げた。表面に笑顔を浮かべながら。
「井上さん、本日お見えになる予定でしたっけ? お待たせしまして申し訳ございません」
多少の嫌みを含めながら頭を下げた。
「いえいえ。私も先ほど来たところでして。急ぎ確認したい事がありましたので、お伺いしました」
メールや電話ではなく直談判。
もう、嫌な予感しかしない。
今まで応対していたのか、テーブルの対面に座っていた妻の顔が、幾分やつれ気味だった。
「由喜ちゃん、先ずはお座り下さい」
義弟は椅子へと手で促した。職員室にて、生徒を相手にする教師のように。
「率直に、お尋ねしたい事があります」
「なんでしょう」
「栗田家へ来る前、あなたは何処にいました? 何処の学校に通っていました? 誰と一緒に住んでいました?」
強い口調での、矢継ぎ早の質問。
「それは……」
「今日こそは、全部教えて戴かないと困りますっ!」
去年の年末。一度は棚上げした案件。
今度は絶対に逃さないという気迫が籠もっていた。
「一体あなたはこの先どうするのですか? 聞けば学校にも行っていない。義務教育を何だと思っているのですか?」
真正面、唐竹割りのような正論。
否定出来ず、誤魔化す事も能わず。
何か言おうと口を開けるも、言葉は容易に浮かばず。
「私は心の底から心配しているのですよっ! あなたの、この先の将来をっ!」
この先の、将来?
「あなたに……」
一呼吸し、腹を据えた。
「あなたに、私の何が判るというのですかっ!!」
机を両手で叩きながら絶叫した。
「私が今どんな気持ちで、この家にいるのか判りますか? 私の意思で、ここにいると思っているのですか? 学校に通っていないのが、そんなにも悪い事なのですかっ!? それとも、私が生まれて来た事そのものが、罪だというのですかっ!!」
思いの丈を一気に捲し立てた。
「そんなに、私の存在が気に入らないのですかっ!?」
喉に痛みを覚えるほど、声を張り上げた。
「いえっ! そんなつもりは、ありませんが」
激しく反抗される事を予期していなかったのか。
滅相もないと、義弟は両手を振り否定した。
「話せるなら………全てを口に出して言えるのなら、とっくに喋ってますよ」
今までの出来事を、洗いざらい。
もし、それをしたとしても。
結末は判り切っている。
どれだけ説明しようとも。
どれだけ言葉を折り重ねようとも。
俺の性別が反転した事実を、納得して受け入れる人など、この世には誰もいやしない。同じ運命に遭った不幸な者を除いて。
「失礼ですが。今の私から、あなたに伝えられる事は、何一つありません」
そう言い捨てると席を立った。襖を開け、和室の中へ。
ピシャリと閉じるなり、それを背に、凭れるように膝から崩れ落ちた。
壁越しに聞こえる妻と義弟の会話。
遠ざかる足音。
帰ったか。
安堵の息を吐きながら、ゴロリと畳の上で大の字になった。
「人みな此れを弔す。その父いわく、なんぞ福とならざらんや」
俺はまだ、塞翁のように人生を達観出来そうにない。
「帰ったわよ」
妻が襖を開けるなり、一言俺に告げた。
「陽子に頼みがある」
「なに?」
「由喜という子は、学校に通った事がない。戸籍すらないらしいと義弟に告げてくれ。メールで構わない」
「それだけ?」
「あぁ、それだけで良い。後は勝手に動くだろう」
持ち前の正義感で。
彼のしている事は何も間違ってはいない。
誰に聞いたとしても、社会的に立派な行為だと思う事だろう。
俺も当事者でなければ、両手を叩き褒め讃えたに違いない。
「うまく、行かないものだな」
誰に言うでもなく、天井を見上げながら呟いた。
もっとも、今までの人生において。
自分の思い通りに進んだ事など、数えるくらいしか、ないのだが。




