交友は糾える縄の如し④
静かだった。
聞こえるのは、口を吸う水音と制服の衣擦れだけ。
人気のない住宅街。車の気配もない。道を通るのは春一番を告げる突風のみ。
窓から差し込む夕焼けの木漏れ日が、室内をオレンジ色に染め上げる中を。
互いに吐息を漏らしながら、何度も唇を重ね合った。
「ねぇ宇垣さん。なんで私とキスしてんの?」
顎まで伝った唾液を拭いながら、深々と息を吐き出した。
「仕事の報酬ですけど。そういう約束でしたよね?」
「それは判ってる」
最初に聞いた時は、てっきり冗談だと甘く考えてしまった。
「あなたが望んでいたのは、男子との恋愛じゃないの? 女同士じゃなくってさ」
「栗田さんは男ですよね? 外見は違いますけど」
何も知らない人が聞いたら、きっと疑問符が色々と浮かぶだろう。
「確かに中身は異性だけど、中年のオッサンだよ?」
「それが何か? わたしにとって栗田さんは、憧れであり、尊敬の対象であり、掛け替えのない命の恩人です」
真っ直ぐで曇りのない瞳。
両肩が痛いほど強く握り締められた。
「命の恩人は言い過ぎじゃない?」
「いえ。もし栗田さんと出会わなかったら。わたしは今頃この世にいなかったかも………しれません」
そんな事はない。
そう反論しかけるも、声に出す直前で思い留めた。
極端に思い詰める彼女の性格から、《《そうなっていた》》可能性を捨てきれなかった。
「それに栗田さんは、いずれ男へ戻る予定ですよね?」
「歳の差。物凄く離れているけど」
「構いません」
そう言い切るなり。
唇を強引に押し付け、口を強く吸い上げた。
歳の差か。
陽子に求婚した時も、同じ事を言われた気がする。
つーか。
この状況。
マジでやばくね?
どう考えても不倫だよな。
かといって『俺には妻と子がいる』と口に出したところで、火に油を注ぐのは必定。
もしこの状況を妻が知ったら、ブチ切れて離婚から慰謝料請求までが既定路線。
まずはこの状況を脱すべく、プロレスのギブアップよろしく彼女の背中を数回叩いた。
「もう終わりですか?」
「お願いした調べ物。先に見せてよ」
報酬先渡しで内容が白紙だったら目も当てられない。
「データファイルで良いですか? わたしの家にはプリンターがないので」
「じゃぁ、メールでお願い。いつものアドレス宛てに」
承知しましたと頷くなり、宇垣さんはノートパソコンへ手を伸ばした。
「内容はどれくらいあるの?」
「それなりに。でも容量は少なめです。今、送信します」
予め用意していたのだろう。起動音が鳴るなり数分で作業を終わらせた。
「圧縮ファイルか」
スマホで解凍出来たっけ?
自宅なら何も問題はないが、可能ならすぐにでも確認をしたく。
「パソコン貸してくれる?」
「良いですよ」
感謝と頭を下げつつ、受け取った薄型のノート端末を膝の上に乗せた。
「送信したのは、画面中央にあるフォルダです」
「これか」
指を弾き展開。概要らしきファイルと詳細資料と思われるフォルダが幾つか。
「名簿の一覧表も作成しました。カーソル先のそれです」
「うん………。結構、人数いるね」
ざっと数えて二十人以上。名前は全てネット上のアカウント名だろう。
「重要と思わしき人は別途レポートを作成しています。そのリンク先をクリックしてください」
「至れり尽くせりで恐悦至極」
メモ書き程度かと高を括っていたのだが、会社で提出する報告書並みに仕上がっていた。
「随分と丁寧に作ったねぇ」
「そうですか? これくらい誰でも出来ると思いますけど」
いや、三川君や古村君とかは絶対無理だろ。
普段から小説を執筆している分、他の生徒より秀でているのは判るけど。
「これ作るの、かなり時間を掛けたんじゃない?」
「ほとんどが去年調べたものです。気になる人は今も追い掛けていますが」
「なるほど」
ファイル名は性別転換者リスト。
男性から女性へ。
または女性から男性へ。
それらしき発言や体験談をインターネットで検索、収集した成果物。
最初の作成日は去年の七月中旬だった。
記憶が確かなら、その日は彼女に別れを告げた数日後。
つまり宇垣さんは、コチラの正体を早々に見抜いていたらしい。
「私も色々と調べたけどさ。この半分以下だよ」
何人か知っている名前があるが、質も量も宇垣さんの足下に及ばない。
「どうやったの?」
「大手からマイナーまで、アクセス可能なSNS全てに登録し、検索しました」
「道理で」
「お役に立てましたか?」
上目使いのお伺い。
合格点と笑みで答えた。拝借した物を返却しながら。
「本当に助かるよ」
去年の八月末、中年男性から女子中学生へ謎の性別再反転。
元へ戻る方法を模索するも五里霧中で見事に迷宮入り。気付いたら中学三年生に無事進級の体たらく。
同級生で唯一事情を知っている宇垣さんに、つい愚痴を零したのが今回の発端だった。
「とりあえず名簿の人、全てにメールを投げてみるよ。多少は何かしらの情報が拾えるだろう」
「全員ですか?」
「この人数なら一日と掛からない」
会社の営業で、売り込みの直電とか普通にやっていた。
あれに比べたら、定型文をリスト送信するなんて大した手間じゃない。
「わたしの予想だと、半分くらい虚言だと思いますが」
「それは織り込み済み」
全てが出鱈目だったとしても、それはそれで有益な情報だ。
他に被害者がいないという事だから。
「宇垣さん。今日は本当にありが………とう」
礼を述べて立ち上がろうとするも、素早くガッチリ手首を掴まれてしまった。行かないでと。
そうですか。
まだ不満足ですか。
「判った。好きにして良いよ」
今まで腰掛けていたベッドの上へ、身体を投げ出すように横たえた。
今回のレポートには単純作業で数ヶ月分の価値がある。報酬は弾まねばなるまい。
「好きにって、何をしても構わないのですか?」
コクリと無言で頷いた。
今更ではあるが、妻に対し色々と後ろめたく。
すでに色々と手遅れではあるが、せめて受け身に徹しようと思った。
「それなら………」
一言呟くなり彼女は部屋の隅に足を向け、何やらゴソゴソと。
数分後、笑顔で振り返った。
「これ、使ってみても良いですか?」
「へ?」
宇垣さんが手にしていたのは、手首に巻き付ける黒皮の拘束具。
いわゆる成人向けのボンデージ品。
「通販で面白そうだから買ってみたのですが…………ダメですか?」
何がどう琴線に触れたのやら。
小一時間ほど問い質してみたくもあるが、今はそれよりも。
「い、痛い事は、しないでね」
勢いで口走った言葉を、心の底から深く後悔した。
諸処の事情により、来年の年明けまで執筆が滞ります。
誠に申し訳ございません、




