夏の涼み方~バーク視点~
竜族の里に比べて、この国の夏は暑く感じる。湿度があり熱のこもった空気が絡みつく。
ペンを持つ手にじわりと汗がにじみ、額にも汗が浮かぶ。
「汗が書類に落ちないようにしてください」
吹雪よりも冷えた声がオレに刺さる。普段なら寒気を感じる声だが、この暑さでは効果がない。
「わかってる」
ため息混りに顔をあげれば、鬱陶しいほどの長い白銀の髪をなびかせたオンルが書類の整理をしていた。
首元までキッチリとボタンを留め、長袖を着ている。一方のオレは首元を緩め、胸を開き、袖をまくり腕を出しているのに。見ているだけで暑苦しいのに、着ている本人は平然としている。
この差は何なのか。
「そんなに暑いなら、魔法で周囲の空気を冷やせばいいでしょう?」
オレの心の声が聞こえたような答えに肩を落とす。
「オレが氷系の魔法が苦手って知ってて言ってるだろ」
オンルが使っている魔法は、体の周囲だけを冷やし続けるという氷系の連続魔法。
少量の魔力で魔法を維持し続けなければならないのだが、魔力量が多いオレは細かい魔力操作が必要な魔法は不得手だ。そこに苦手な魔法となれば、修行か苦行に近い。
暑さのせいで眉間にシワが寄ったオレにオンルが肩をすくめた。
「だから、魔力操作の訓練をしろと何度も言ったのに。師にも何度も言われたでしょう?」
「グッ……」
痛いところを突かれた、この場から離れるために椅子から立ち上がった。
「どこへ?」
「水を被って体を冷やしてくる」
「意地でも魔法を使う気はないということですか」
オンルの呆れたような声音から逃げるようにオレは執務室を出た。
「別に、これぐらいの暑さなら魔法を使うまでもねぇ」
廊下を歩いているとミーの部屋からパシャパシャという水しぶきの音が。
微かに空いたドアの隙間から、そっと室内を覗く。
「んにゃにゃ~♪ んなぁなぁ~♪」
不思議な鼻歌? を歌いながら、桶の中で悠々と泳ぐ猫のミー。
ふわふわな白金髪色の毛がフワリと浮かび、耳がピクピクと前後に動く。小さな前足で水をかきながら、桶の中をクルクルとまわる。
その可愛らしさに体中の熱が上がっていく。
(もっと近くで見たい!! だが、楽しそうなところを邪魔したくねぇぇえ!!!)
頭の中では悶絶しながら葛藤しまくっているが、目は愛らしい姿から離せない。
無言のままジッと見つめ続ける。
すると、何かに気が付いたようにミーの動きが止まった。それから、キョロキョロと周囲を見た後、ドアの方を向いて……
「ぶにゃぁぁぁぁ!?!?!?!?!?」
ミーが見たことのない勢いで桶から飛び出した。
ガッシャーン!
桶が盛大な音をたててひっくり返る。
「ミー! 大丈夫か!?」
その様相にオレは慌てて部屋に入った。
「に、にゃう……?」
部屋の隅で体を小さくしたまま見上げるミー。
全身の毛が濡れた姿はいつもより半分の大きさしかない。そのせいか水色の瞳がますます大きくなり、ウルウルと揺れている。
そこに先程までの楽しさは見る影もなく、罪悪感が募る。
「悪い。驚かせるつもりはなかったんだ。ただ、ミーが楽しそうだったから声をかけづらくて……」
と、ここでオンルたちが部屋に集まってきた。
「どうしまし…………バーク?」
オンルの冷めた紫の瞳が刺さる。
なんで、そんな蔑むような、信じられないモノを見るような目。
「これは、一体どういうことです? なぜ、毛玉がびしょ濡れで怯えているのです?」
桶がひっくり返り部屋は水浸し。しかも、部屋の隅で怯えるミーを追い詰めるような立ち位置のオレ。
「まさか、毛玉の水を無理やり奪おうと……」
「オレがそんなことするわけないだろ!」
即座に否定するが、オンルは冷ややかな視線のまま。
「いえ、この暑さでバークの頭がついに……」
「それはおまえだろ! この暑さでやられているのは、そんなことを考えるおまえの頭だ!」
「では、書類仕事を倍にしましょう」
「なんで、そうなるんだ!?」
言い争いをしている間にミーがタオルに包まれる様子が視界の端に映る。
オレは素早く声をかけた。
「ミーを拭くのはオレだ!」
「はい、はい。承知しております」
タオルで包まれたミーを素早く抱き上げる。毛が水を吸っているが重くなっていることはなく、むしろタオルに包まれたミーは、可愛らしさが倍増している。
「バーク、まだ話は終わっていませんよ」
このままお説教コースに突入しそうな予感がしたオレは先手を打つことにした。
「わかった。書類仕事をするから先にミーを拭かせろ」
「それならいいでしょう」
オンルがあっさりと引き下がる。
力加減に気をつけながらミーの体を拭いていく。ふわふわな体は見る分には癒されるが、本人は暑いだろう。どうすれば、ミーが涼しく過ごせるか……
「そんなに暑いなら、オレの膝にいたらいいぞ」
気が付いたら提案していた。
「にゃ?」
無垢な瞳が見上げてくる。
この暑さで濡れていた毛はあっという間に乾いて、いつものふわふわな体に。可愛らしいが、これではまたすぐに暑くなる。なら……
「ミーが膝にいるなら魔法で涼しくするぞ。オレの周囲限定だから、近くにいないといけないが」
「みゃあ!」
嬉しそうな声とともにキラキラと輝く水色の瞳がオレを見つめる。
(苦行だろうが、修行だろうが、この笑顔のためなら頑張ってやる!)
そう意気込んだのだが……
執務室で書類作業を進める。
そんなオレの膝で過ごす猫のミー。この重さと感触は久しぶりだった。ここ最近は暑さのためか、オレの膝を避けていたっぽい。
「ふにゃぁ……」
可愛らしい欠伸の声。小さな口をモグモグさせて目を閉じている。そして、スヤスヤとした寝息が……
この絶景に心が悶え、サインする手が止まりかける。
「バーク」
「わかってる」
オレはさっさと仕事に意識を集中させた。と、いうか集中せざるを得なかった。
微量の魔力を放出しながら魔法を意地する作業は慣れていないため、かなり負担がかかる。
(早く……早くしないと)
カリカリとペンが走る音が響く。
(魔力が暴発する前に……)
魔法で涼しくしているのに額に汗が浮いてきた。
(これを終わらせ……)
カタカタを手が震えてきた。これは本格的にマズい。
オレは無言のままペンを置くと、素早くミーを膝から机に置くと、そのまま窓へ走った。
「にゃにゃう?」
ミーの寝ぼけたような声を聞きながら宙へ。
ボンッ!
コントロール不能になり暴発した魔力が爆発した。
「にゃにゃうぅぅぅ!?」
ミーの叫び声を聞きながら庭の芝生の上に転がる。
「魔力のコントロールの訓練をサボるんじゃなかったな……」
プスプスと黒煙をあげているオレの呟きを蝉の大合唱がかき消した。
明日は朝と夜に短編を投稿します




