招き猫
カビ臭いような、埃臭いような、なんとも言えない臭いが自分の体から漂う。しかも、ふわふわな毛の一部がベチャリと沈み、白金髪色はグレーに。
しかも、猫の本能か舐めたい……舐めて綺麗にしたい……
(ダメ! それだけはダメ! ここは我慢!)
床に座って俯き、ジッと耐える。そんな私の前で、バーク様が桶に湯と石けんとタオルを準備していた。
「よし、できた。ミー、体を洗うぞ」
「にゃ!」
(はい!)
声をかけられた私は立ち上がり、ちょん、と前足を湯につけた。ぬるくも熱くもない、丁度いい湯加減。桶に入れば毛が湯に浮かび、冷えた体が温まっていく。
「うにゃみゃぁ……」
(気持ちいいですぅ……)
バーク様が網を使って石けんを泡立てる。シャボン玉がふわりと浮かび、花の香りが鼻をかすめた。
「なんかミーを拾った時のことを思い出すな」
「にゃっ?」
(拾った時?)
話をしながらバーク様が私の体に泡をつける。無骨で大きな手が優しく丁寧に毛の汚れを落としていく。
「あの時のミーは全身が冷え切っていて、とにかく温めないと、っていうので必死でさ。あと傷つけないようにって。力加減が分からなくて、洗うのに苦戦していたんだ」
「にゃぁ」
(そうなんですか)
今のバーク様は慣れもあって、手際が良い。ガシガシと程よい力加減で首元を洗われる。そのまま、手は顎へ。その気持ち良さにゴロゴロと鳴りそうになる喉。
(ハッ! ダ、ダメです! ここで鳴いたら本当に猫に……でも、気持ちいい……)
声を出さないように必死に堪える私。人としてのプライドが。呪いで猫になるのは受け入れたけど、完全に猫になったわけではない。
快楽と格闘している内にバーク様の手が頭へ……そして、耳へ……
(そ、そこは……)
バーク様の大きな指が耳のつけ根をかく。気持ち良すぎて力が抜ける。もう、あらがえません。
「うにゃぁ~ん」
(気持ちいいです)
あっさりと陥落した私はコテンと首をかしげてバーク様の手に体を任せた。湯に浸かった体はふわふわと軽く、ゴシゴシと洗う手は気持ち良すぎて。
「お? 気持ちいいか? ミーはここを撫でられるのが好きだもんな……って、ミー?」
バーク様の声が遠くなっていく。
朝から緊張と不安の連続で疲れていたのか、私はバーク様の手の中で眠っていた。
足下には程よい固さと温もり。書類がめくれる音が耳に触れる。落ち着いた、心地よい空間。
そこに、ざらりと体を撫でる大きな手。たまに当たる剣だこの感触が気持ち良くて、もっと撫でてと頭をこすりつける。
「あ、悪い。起こしたか?」
「んにゃ?」
(あれ?)
私は寝ぼけながら顔をあげた。執務室の椅子に座っているバーク様。その膝にいる私。
「んにゃ? にゃ?」
(あれ? え?)
キョロキョロと周囲を見る私をバーク様が軽く笑う。
「体を洗っている途中で寝ちまったんだよ。朝からいろいろあって疲れたんだろう。それとも……」
バーク様が私に顔を近づける。
「寝ちまうほど気持ち良かったか?」
ニヤリと口角をあげる。その意地悪な笑顔が! 強面のイケメンと相まって色気が! 危険な色香が! 毎日、見ている顔なのに!
ドキンと胸が跳ねる。悔しいほどカッコいい。
返事に困っているとバーク様が優しく私の頭を撫でた。
「悪い、悪い。そんな困った顔をしないでくれ。最近のミーは代筆と偽造書類がないか確認の仕事が忙しかったからな。ゆっくり休んでくれ」
「にゃ、みゃうん!」
(いえ、大丈夫です!)
立ち上がった私はバーク様の膝から机の上へ飛び乗った。
「みゃにゃうんにゃ!」
(猫の姿でも書類の確認はできます!)
意気込む私に今度はバーク様が困った顔になる。
「いや、猫語で言われても意味が分からないんだよな」
「うにゃぁ……」
(そうでした……)
言葉が通じなければ仕事はできない。
落ち込む私に別の机で書類仕事をしていたオンル様が声をかける。
「怪しい書類があった時だけ確認してもらいましょう。確認だけなら出来るでしょうし。あれから偽造書類が出てくることはないですけど、念のために」
「にゃ!」
(はい!)
私は返事とともに前足をあげた。こうなったら全身を使って意思疎通をはかるしかない。
でも、バーク様は机に伏せて……
「その手! その手をあげた姿! 可愛すぎるだろ!」
と、ひとしきり悶えた後。
「オンル! 絵師を呼べ! ミーの尊い姿を絵に残すんだ!」
「座って片手を挙げている姿の絵、ですか?」
「そうだ!」
大真面目なバーク様にオンル様がため息を吐く。
「今の仕事を全部終わらせて、時間に余裕ができたらいいですよ」
「よし! 速攻で終わらせる!」
椅子に座り、勢いよく書類を読み始めたバーク様。その様子にオンル様が肩をすくめる。
「まったく。エサをぶら下げないとやる気が出ないのも困ったものですね。そういえば、東方にある国では座って片手を挙げた猫は『福を招く縁起物』として重宝されているとか」
福を招く縁起物……
「やらなくていいですからね」
オンル様の鋭い声に思わず全身が跳ねた。福が来るならバーク様の机の上でやろうかと考えたのに、なぜ分かってしまったのだろう。
こっそりとオンル様を覗き見すると良い笑顔を返されて。
「では。さっそくですが、この書類の確認をお願いしますね」
と、私の机の上に書類を置かれた。
「にゃぁ」
(はいぃ)
こうして猫の姿でも仕事をするように。多少の不便はあるけど、なんとかなりそう……と、思っていたのですが。
――――――その夜。




