猫から戻れなくなって
朝、いつものように起きた私は天井が高いことに違和感を覚えた。
(……これは、もしかして)
自分の体を見れば、白金髪色のふわふわな毛。シュッと伸びた前足の先には丸い手。ひっくり返せばピンクの肉球。バーク様が隙あらば嗅ごうとする肉球。なぜ、あんなに嗅ごうとするのか……っと今はそれどころではありません。
「んにゃぁ……」
(どうして猫に……)
ふわりと尻尾を揺らしながら考える。
寝ている間に水がかかったのかと思ったけど、寝台の近くに水はない。クラ様から頂いた、腕に付けているピンクのポーチの中にある水が漏れた様子もない。
猫になった理由が見当たらない。
「ふにゃみゃん」
(こうしていても仕方ありません)
原因究明を諦めた私は、ベッドから飛び降りてドアへ移動した。鼻チューをすれば人の姿に戻れるのだから、まずはバーク様のところへ。
猫の視線だとドアはとても大きく、威圧的。でも、まずはここを攻略しないと。
私はピョンと軽くジャンプをしてドアノブにしがみついた。
ガチャ。
私の重さでドアノブが下がり、ドアが開く。
「にゃ!」
(よし!)
伊達に猫生活も長くない。これぐらいなら自分で出来るようになった。
廊下に出た私はトトト……と歩いてリビングへ。そこには朝食の準備をしている使用人Aがいた。名前はまだ教えてもらえない。
私の姿に糸のように細い目の使用人Aがニコリと微笑む。
「おはようございます、ミランダ嬢。今日は猫の姿でお過ごしになられるのですか?」
「うゃにゃーにゃ。んにゃみゃ」
(おはようございます。猫の姿では過ごしません)
私の言葉が通じたのか糸目の使用人Aが残念そうに笑う。
「たまには猫の姿で過ごすのも、よろしいかと思いますけど。あ、もしよろしければバーク様を起こしてきていただけませんか? その時に人の姿に戻られたらいいでしょうし」
「みゃー」
(そうですね)
「では、お願いいたします」
私は軽い足取りで屋敷の奥にある一番大きな部屋へ。両開きのドアがドーンと私に迫る。けど、やることは変わらない。
「にゃ!」
(えい!)
さっきと同じ要領でプラーンとドアノブに掴まり、ドアを開ける。
広い部屋に置かれたベッドの真ん中。紫黒の髪がパサリと揺れる。音もなくベッドに飛び乗った私はふかふかのベッドに足をとられながら歩いた。
気持ちよさそうに眠るバーク様。褐色の頬に前足でツンツンと触れる。
「にゃにゃ。うゃにゃーにゃ」
(バーク様。おはようございます)
「……ん? ミーか?」
寝ぼけ眼で私を見るバーク様。私の前足を掴んで自身の鼻に近づける。
「んー。この香ばしい匂い。朝から幸せだな」
「ぶにゃぁぁぁあ!」
(変態発言禁止ですぅぅぅう!)
ぷすっ。
「いってぇぇぇえ!」
私の爪がバーク様の高い鼻に刺さりました。
何度も爪を刺しているのに、懲りることなく私の足を嗅ぐバーク様。そんなことより、私は人に戻りたいのですけど。
「うにゃにゃん! みにゃにゃ!」
(鼻チューを! してください!)
訴える私を上半身を起こしたバーク様が不思議そうに見下ろす。
「あれ? そういえば、なんで猫になっているんだ?」
「うにゃみぃ……」
(わかりません……)
「猫語だと分からねぇな。まずは人に戻るか」
「にゃ!」
(はい!)
バーク様が私をシーツで包み鼻を近づける。服を着ていない私は人に戻ったら裸なので。これはどうにかしたい。
(今度、クラ様に相談してみましょうか。もしかしたら、伸び縮みする魔道具の服があるかも)
そんなことを考えている間にバーク様の鼻が私の鼻に触れ……
「にゃ?」
(え?)
――――――なにも起きない。
いつもなら、ここでポンッと音がして人に戻るのに。
黄金の瞳を丸くしたバーク様と私は無言で見つめ合う。
「なんで戻らないんだ? もう一回!」
そう言ったバーク様が再び私の鼻に鼻をつけた。しかも、今度は入念にグリグリと。でも、結果は変わらず。
「じゃあ、これならどうだ!?」
右から左から、上から下から。角度を変えたり、鼻をつけている時間を変えたり。とにかく、いろいろな鼻チューをした。でも……
「なんで戻らねぇんだぁぁぁぁあ!?」
目の前で頭を抱えてベッドにうつ伏せるバーク様。
何度、鼻チューをしても私は猫のまま。鼻チューのしすぎで鼻がヒリヒリするほど。でも、それより驚きと戸惑いのほうが強くて。
「みゃぁ……」
(どうして……)
沈みかけた私は大きく頭を振った。こうしていても仕方ない。
私は土下座のような体勢になっているバーク様の頭を叩いた。
「にゃにゃ。むにゃ、みゃんにゃ」
(バーク様。一度、オンル様に相談しましょう)
「……ミー」
顔をあげたバーク様が虚ろな目で私を見つめる。
「んにゃみゃ、にゃにゃ。にゃう。みゃうにゃ」
(しっかりしてください、バーク様。大丈夫です。きっと戻れますから)
「なに言っているが分からねぇけど、やっぱ可愛いんだよなぁ」
ふにゃりと笑うバーク様。その目が本当に優しくて、愛おしそうで。猫なのに顔が真っ赤になる。
「ぶにゃむにゃにゃ!」
(今はそんなことを言っている場合ではありません!)
恥ずかしさを誤魔化すように話した私をバーク様が抱きしめた。
「このままでも十分、可愛いぞ」
その言葉が私の心に刺さる。普段なら、いつものことと流しながらも、こっそり喜ぶ。
けど、今は突然の状況にいっぱいいっぱいになっていて。心に余裕がなくて。
気がついたら叫んでいた。
「ぶにゃぁぁあ!」
(私が猫のままでもいいんですかぁぁあ!!!)
怒った私にバーク様が驚いた顔になる。それから、何かに気がついたようにハッとした。
「わ、悪い! 人の姿のミーも可愛いぞ! ただ、猫の姿のミーが久しぶりだったから、つい!」
「ぷぎゅにゃぁぁあ!!」
(そういう問題ではありません!!)
全身で暴れる私をバーク様がなだめるように撫でる。でも、怒り心頭の私は器用に体をくねらせてバーク様の腕から逃げ出した。
「にゃにゃ、ぶにゅにゃー!!!!!」
(バーク様の、バカぁぁー!!!!!)
そこにタイミングよく開くドア。
「バーク、いつまで寝ているつもりですか?」
呆れ声とともにオンル様が部屋に入る。入れ代わるように私は廊下へ飛び出した。
「ミー! 待ってくれ!」
バーク様の声を振り切って私は廊下を駆けた。




