これからにつきまして
(ポンッ!? どうして!? 解呪できたなら、なにもないはずなのに)
私は恐る恐る目を開けた。目線の高さに変わりはない。視線を落とすと人の手! 猫の手じゃない!
体も人のまま! 足もスースーしたまま! 風で揺れるマントが足に何度もこすれるけど。風の音や虫の声が耳に響くけど。でも、人のまま!
「バーク様!」
喜びとともにバーク様を見る。すると……
「無理だ!」
バーク様が鼻から鼻血を吹き出しながら倒れました。それは、それは、空に綺麗な円を描いた鼻血で。
※
その日はツカサ様の好意により客室に一泊させてもらえることに。
当初は安全地帯まで移動して、そこで魔道具のテントを使って一泊する予定だった。でも、バーク様の鼻血やら私の解呪の想定外の結果やら時間がかかり。そこで、夜間の移動は危険だからと、ツカサ様が提案してくれて。
そして、現在。私はツカサ様の私室で黒いマントを羽織って待機中。ツカサ様が私のスカートを修繕している。
「ごめんね、まさか呪いを引っこ抜く途中で切れるなんて」
「いえ。予想外のことですから」
「そうなんだけど。まさか、こんなことになるなんて……」
ツカサ様の表情が曇る。私の呪いが原因で迷惑をかけているのに。
私は暗くなりつつある雰囲気を変えるため、なんとか話題を出した。
「そ、そういえば、エルフの方と会話をするのは難しいとお聞きしたのですが、普通にお話できますね」
「あ、シンは特別。他の種族との会話に慣れているから。普通のエルフなら裏を読まないといけない、まどろっこしい話し方をするわ」
「そうなのですか?」
「ま、それにも理由があるんだけどね。エルフは高濃度の魔力の中で生活しているから、言葉にも魔力が宿りやすいの。ミーちゃんの呪いみたいな感じね。普通に話すだけで相手に魔法未満の呪いをかけちゃうから、本音を隠して当たり障りがない言葉にしているってわけ」
まさか、そんな裏事情があったとは。
「大変ですね」
「本人たちは慣れてるから問題なさそうよ。私には無理だけど。それより完成したわ。着てみて」
「あ、ありがとうございます」
私は修繕された自分の服を手に取った。
「でも、まさか猫耳と尻尾が残っちゃうとはね。途中で切れたから少しだけ呪いが残っちゃったけど、これはこれで可愛いわ」
「可愛い……ですか?」
私は下着とスカートを履き、作ってもらった穴に尻尾を通した。あとは尻尾の上で紐で結んで完成。穴は布を重ねているため、尻尾がない時はボタンで留めれば見た目は普通のスカート。
「可愛いわよ。バークさんがミーちゃんの顔を見るたびに鼻血を吹いたし」
「それで人に戻れず、ご迷惑を……」
バーク様は私の顔を見るたびに鼻血を吹き出し、鼻チューができず。ツカサ様に服を修繕してもらう状況に。
服を着た私は鏡の前で一回転した。ふわりと広がるスカートにふわふわの尻尾もあわせて揺れる。長い髪の隙間からはモフモフの猫耳がピクピクと動く。
ツカサ様が満足したように頷いた。
「我ながら良い出来ね。でも、キスの度に半獣化するなら持っている服をこんな風に改造しないと」
「……頑張ります」
「これ以上この呪いを解呪をするつもりはないんだ。ま、これでキスできるしね」
ツカサ様に意地悪く言われ、思わず顔が赤くなる。
「こ、これ以上、ご迷惑をかけるわけにはいきませんから」
「でも、あなたは良いの? キスで半獣化しちゃっても」
「私は別に……今のところ、服に尻尾の穴を作らないといけないこと以外に困ることはなさそうなので」
するとツカサ様が含みを持った笑みを私に向けた。
「それならいいわ。けど、困ったことや、相談したいことがあったら、いつでも来てね。あと、お客さんとしてケーキを買いに来てくれたら嬉しいわ」
「はい。ありがとうございます」
「女の子のお客さんは貴重だから。私もたまには潤いがほしいし」
「潤い?」
「目の保養とも言うけど。ほら、ほら。男どもに見せに行くわよ」
私はツカサ様に背中を押されて部屋を後にした。そのまま暖炉があるリビングへ。ドアが開いたところで注目が集まる。
「ミー!? 可愛いな! よく似合ってる!」
鼻にティッシュを詰めたままのバーク様が近づいてくる。強面イケメン鼻ティッシュ……情報が渋滞している上に残念感が半端ない……
「バーク様、血が止まらないのですか?」
「いや。これは念のためだ。また鼻血を吹き出すかもしれないからな」
キリッとキメ顔で言われても残念感は払拭できず。私は曖昧に微笑んだ。そこにオンル様が首をかしげる。
「毛玉の足音がしなかったのですが、なにかしましたか?」
「え?」
「あ、オレも聞こえなかった。だから、ミーが居たことに驚いたんだけど」
「え? あの、普通に歩いてきましたけど……」
シン様が説明をする。
「半獣化しているので猫の特性を引き継いでいるのでしょう。たぶん人の時より耳がよく聞こえたり、運動能力が高くなっていると思います」
「そういえば、音がよく聞こえるような……気がします」
「それは大丈夫なのか!?」
「別に、なんともないと思います」
ツカサ様が軽く笑った。
「今のままでも問題ないだろうけど、完全に解呪したくなったら言って。面倒だけど、一応頑張ってみるわ」
「解呪するとは言わないのですね」
オンル様の言葉にツカサ様が頷く。
「当然。だって、楽勝だと思っていたキスだけの解呪で、こんなことになったんだから。この呪いって本当に厄介なのよ。いや、厄介なものに進化したってところかしら」
「進化、ですか?」
「呪いは魔法よりも不安定で、そこに新たな感情が絡まれば、また変化するわ。その変化って、進化だと思わない?」
「つまり、この呪いは変わっていく可能性があるのか?」
オンル様の質問にツカサ様が頷く。
「変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。ただ、感情は変化していくでしょ? それが良い方向に変わるか、悪い方向に変わるか、それとも変わらないか。それは、あなたたち次第だと思うの」
「オレたち……次第」
私とバーク様は自然と顔を合わせた。
※
満月が輝く月の下。人の姿に戻った私とバーク様はケーキ店のテラスに座って夜空を眺めていた。
バーク様が恐る恐る私に訊ねる。
「……ミーは、完全に解呪したほうがいいか?」
私は今までのことを思い返した。
「私はこのままでも良いかと。絶対に解呪してほしいというほど、この呪いを拒否できないので。この気持ちがある以上、解呪は難しそうですし」
「……そうか」
どこかホッとしたようなバーク様の声。
「それに、猫になれないとバーク様が寂しそうなので」
私は軽く言ったつもりだったけどバーク様が慌てた。
「そ、そんなことはないぞ。オレのことは気にせず、ミーの正直な意見を聞かせてくれ」
「……正直な、意見」
私は空を見上げた。吸い込まれそうな暗闇の中で輝く星々。
「私はずっと自分に自信がありませんでした。けど、バーク様が私の字を褒めてくださって、仕事をくださって、少し自信が持てるようになりました。否定的になることもありますけど、以前よりは減ったと思います」
バーク様がいつも私を認めて、褒めてくださるから。
「猫になることも、今ではそれが当たり前になっていて。それに、今回は猫になれなければバーク様を助ける手伝いはできませんでした」
バーク様が相手だと自然と言葉が出てくる。
「いままでの私なら、猫になれなくなるとバーク様が残念に思うだろうと、バーク様を優先して考えていました。でも、今は猫になる私も私の一部で、私の個性なのだと。私が私でいるために、このままでいたいと思います」
「……けど、困ることもあるだろ?」
「前も話しましたが、それ以上に楽しいこともあります。もし、解呪したくなりましたら、その時に考えれば良いかと。未来は誰にも分かりませんし」
私はバーク様に視線を移した。穏やかに、でも少しだけ不安気に見守る強面の顔。
「ただ、できることなら」
「できることなら?」
「このままバーク様と一緒にいたいです」
バーク様が黄金の瞳を丸くする。そして微笑んだ。
「そうだな。オレもずっと一緒にいたい」
これがお互いの今の気持ち。嘘偽りない、本当の。
バーク様がそっと私の顔に手を添える。そのまま顔を近づけ……
ポンッ!
姿は変わったがバーク様は私を離さない。そのまま深く口づける。
「……んぅ、はぁ」
ようやく解放された私は大きく息を吸った。あまりの刺激にぼんやりとした頭でバーク様を見上げ……
「グハァ! 可愛すぎっ!」
バーク様が鼻血を吹きながら倒れました。




