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それぞれの決断

 

 光が一つもない真っ黒な世界。


 どちらが上か下か。どれほどの大きさの空間なのか。

 もはや自分が目を開けているのか閉じているのか、さえわからない。


 恐ろしいほどに静かで、なんだか息苦しく、早く抜け出したいのに出口が見つけられない。



『誰か……』



 声すら出なくて、不安が膨れ上がっていった。


 縋るように彷徨う視線の先にぼんやりと明かりが現れる。

 そこにあった小さな影。


 次第に光を纏ったその影は、キラキラと光を反射させる。

 その影の正体に気づいた瞬間、ハッとした。


 ニコリと笑ったその少年は、記憶に残る『小さな薬師様』だった。

 いや、違う。もう彼が何者か知っている。彼は自分にとってとても大切な人の幼い頃の姿。


 少年がこちらに背を向け歩き出す。

 去っているのに大きさがなかなか小さくならない。


 いつの間にかその後ろ姿は見慣れた大人のものに変化していて、徐々に小さくなっていく光の中に吸い込まれるように進んでいく。



『待って、セドリック様!』



 叫んだって音にはならず、足は動かず、手も伸ばせない。

 もどかしさを絶望が食らっていく。


 息の仕方がわからない。まるで溺れているようだーー







「ふはっ! はぁ……はぁ……はぁ……」



 一気に肺が空気を取り入れたのか、ひどく胸が苦しい。

 視界に映るのは真っ黒な世界ではなく、どこかの部屋の天井のようだった。


 シェルリアは荒い息を落ち着かせようと意識して深呼吸を繰り返す。

 悪い夢を見ていた、と拭った額には薄っすらと汗がにじんでいた。


 ゆっくりと上体を起こし、よくよく辺りを観察すれば、ここは王宮内にある医務室のようである。

 囲むように吊るされた白いカーテン。嗅ぎ慣れた薬の香り。寝かされていたのはベッドで、シェルリアは何があったのだっけと記憶を引っ張り出す。


 その時、遠慮がちにカーテンが僅かに動く。カーテンの隙間から顔をだしたのは、兄のコンラッドであった。


 シェルリアを見るなり、コンラッドは分かりやすいくらいの安堵の表情を浮かべる。



「あぁ、よかった。目が覚めたみたいだね」

「……私は……」

「倒れたんだよ。覚えているかい?」



 幼子に語りかけるような優しい声色に、気遣われていると理解したシェルリアは、その理由にたどり着き表情を陰らせた。



「……セドリック様が行方不明だと聞いたの。お兄様、それは本当なの?」



 コンラッドはシェルリアから視線を外す。まるで躊躇しているようなその素振りに、何かよくないことが起こっているのだとシェルリアは悟った。


 でも、だからこそ聞かねばならない。



「お願い、お兄様。私はもう知らなかったでは終わらせたくないの」



 全てを受け入れる覚悟なんてシェルリアにはない。

 けれど、知らないところで彼が苦しんでいるなんてもっと嫌だ。今、逃げてしまえば、セドリックがまた自分の前からいなくなってしまいそうに思えた。


 シェルリアの言葉にコンラッドは困ったような笑みを返すと、ベッド脇に置いてある椅子に腰を下ろす。

 そして、そっとシェルリアの頭を撫でた。



「そんな顔をするようになったんだな」



 真っ直ぐ己を射ぬいてくる赤い瞳にコンラッドは頼もしさと、少しの寂しさを感じずにはいられない。


 この短期間で(シェルリア)に何が起きたのだろうか。

 少なくとも、彼女は手放してはいけない大切なものを、自らの手で、意志で、手に入れたに違いなかった。



「……セドリックが行方不明になっているというのは、半分正解で、半分不正解だ」

「どういうこと?」

「あいつは騎士団に拘束されている。だが、秘密裏にだ。だから、まだほとんどの人間がセドリックの居場所を知らないでいる」




 シェルリアは予想外な内容に大きく目を見開いた。

 それはセドリックの身が安全な場所にあると安堵してよいのか。はたまた、とても危険な状況なのか。



「どうして拘束なんて。彼が何をしたというの?」



  拘束される理由がシェルリアにはわからなかった。セドリックの人となりはシェルリアもよく知っているつもりだ。

 少なくとも、罪に問われるようなことをするとは思えない。ただ、ミリアから聞かされた話がシェルリアを不安にさせる。


 そして、その不安は的中した。



「セドリックにかかっている容疑は『第二王女暗殺未遂』だ」

「なっ……」



 絶句したシェルリアを安心させるようにコンラッドは首を横に振り、そっとシェルリアの手をとる。



「まだそうだと決まったわけじゃない。あいつがそんな人間じゃないことは俺もわかってる」

「……おにい、さま」

「あいつが処方した薬を飲んで、クリスティーナ様が倒れられたらしい。普通ならば重要参考人扱いだろうが、相手が王女様だからなのか対応が厳しいように見える。行方不明と言われたのは、秘密裏だからか正式な場所で拘留されていないからだ。俺もまだ場所を突き止められてない」



 コンラッドの声が固さを増していく。それに引っ張られるようにシェルリアの表情も険しくなっていった。



「特別王宮薬師という役職も関係があるかもしれない。もし犯人ならば薬学で発展してきた我が国にとって大きな汚点となるからな」



 普段のコンラッドならば、ここまで詳細にシェルリアへ伝えることはなかっただろう。

 妹に甘いコンラッドだ。不安になるとわかっていて、あえて伝えるという選択をすることはないし、できることならシェルリアの耳に入れず処理してしまいたい。


 実際、シェルリアの知らないところで、コンラッドは家や妹に害のある事案を対処してきた。

 まぁ、婚約者には過保護すぎると説教を食らったりもしたが。


 ではなぜ今、ここまで話しているのか。



「ーー噂では毒を盛られたと聞いたわ。けれど、彼がそんなことをするとは思えない。それに、昨夜言ってたの。『睡眠を促す薬を頼まれた』と。もし、それがクリスティーナ様へ処方したものだとしたら、薬を飲む際に毒と入れ換えれば怪しまれずに飲ませることができると思わない? 」

「なるほどな」



 真剣な眼差しを向けてくるシェルリアにコンラッドは頷き返す。


 シェルリアの顔つきからは確固たる意志が見てとれた。コンラッドがシェルリアの気持ちを正確に理解することはできやしない。

 しかし、妹としてではなく、愛する者を救いたいと願う一人の女性として扱わねばならないことは、ひしひしと感じ取れた。


 だから今は対等に話さなければならない。

 たとえシェルリアを傷つける現実が目の前にあろうとも、隠すことは許されない。その代わり、その痛みをしっかりと共有しよう、とコンラッドは決意する。



「だが、もしそうだとしても証拠がいる。やっていないという証拠を提示するのは難しい。あいつを救うならば、別の人物がやったという証拠が必要だ」

「……そうね。ねぇ、お兄様。私、やっぱり今回は領地に帰らない。お父様やお母様には申し訳ないけど……いいかな?」

「許してくれるだろうさ。俺も残るよ。解決したら二人で墓参りにいこう」

「っ! ありがとう、お兄様っ! 」



 握った手にぎゅっと力を込め、シェルリアはぱっと笑顔を見せた。

 やっと見せてくれたその笑みにコンラッドの表情も自然と綻ぶ。



「もう少し探ってくるから、待っててくれ」

「無理はしないでね?」



 知りたいだろうに、それでも心配してくれるシェルリアは、やはりとても愛らしい。やってやる、とコンラッドに気合いが入る。


 ただ一つ、コンラッドには気になってしかたがないことがあった。



「それで、シェルリア」



 コンラッドの顔が今日イチ真剣だったので、シェルリアは身構える。



「なに?」

「……()()について、詳しく聞かせてくれ。まさか、セドリックのやつ、俺に内緒で大事な妹にーー」

「もうっ! お兄様っ!」



 空気が一変。シェルリアから冷たい眼差しを向けられたのは言うまでもない。


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