暗殺未遂事件
その日、遅番のため、いつもより遅い時間に王宮へ向かったシェルリアは、王宮へと繋がる扉の遥か手前で異変に気がついた。
王宮には用途別に使用する様々な出入口がある。
王宮正面には王族専用、そこから少し離れた場所には大臣や役人など専用、王宮裏には王宮で使用人として働く者達専用、そして外に繋がる裏門に近い場所には物資搬入専用の出入口だ。
全ての出入口に騎士がおり、荷物などが調べられる。
とはいえ、大抵の人は必要な物を王宮に置いていて、持っているものなどたかが知れているのだが。
女性となると、身だしなみを整えるために必要な道具などは持ち歩いているが、それでも検査にそう時間がかかるわけではない。
そう、いつもなら軽い検査で終わり、扉前に列ができることなどないのだ。
けれど、シェルリアの前には六人の人が並んでいる。検査をする騎士の目も厳しい。
シェルリアは前に並んでいる女性の肩を軽く叩き、こそこそと小声で話しかけた。
「何かあったのですか?」
ここまで厳重な検査を今まで受けたことはない。昨晩までは何も変わりはなかったし、シェルリアが寮に帰ってから今の間までに何かあったと考える方が妥当であろう。
すると、話しかけられた女性は騎士の目を気にしながら驚くべきことを言ったのだ。
「詳しいことはわからないのだけど、なんでもクリスティーナ様が何者かに暗殺されかけたそうよ」
「な、なんですって!?」
シェルリアは咄嗟に口を両手で塞ぐ。思ったよりも大きな声が出てしまった。
「今日、出勤していた友人が休暇中の私に教えに来てくれたの。状況の把握に各部署の人手が足りないんですって。私も応援に呼ばれたわけ。でもまさかーー……」
話続ける女性の言葉など、もうシェルリアの耳には届いていない。
とても嫌な予感がしたのだ。決して心当たりがあるわけではない。だけど、無性に胸がざわついた。
王宮内は予想した通り、多くの人々が行き交っていた。姿勢を正し、上品に歩くだなんて者はおらず、少しぐらい駆け足でも咎められないであろう程の騒々しさだ。
無事に荷物検査を抜けたシェルリアは、すぐさまチェルシーの部屋へと急ぐ。
もうすでにチェルシーや早出の同僚達が情報を集めているだろう。シェルリアが聞き回るよりも確実だ。
チェルシー付き侍女の控え室にたどり着いたシェルリアは、手荷物をしまい、チェルシーの部屋へと向かう。その道すがら出くわしたのはミリアだった。
ミリアはシェルリアを見つけると、固い表情で近づいてくる。
先に口を開いたのはシェルリアだ。
「状況は?」
「クリスティーナ様が意識不明だそうよ。どれくらいの症状なのかは伝わってきていないけれど、夜中に突然苦しみだしたのだとか。外傷はなく、毒か何かを飲まされたのではという話だけれど、全然話が入ってこないのよ」
「毒?」
シェルリアの頭は凄まじいスピードで動いていた。
もし夜中に症状が出たとしたら、確実に王宮医師と共に王宮薬師も呼ばれる。暗殺未遂な上、王族の急変となれば、確実に対応できるであろう特別王宮薬師を呼ぶ確率が高かった。クリスティーナはセドリックを指名して頻繁に呼んでいたようだし、セドリックが対応していたかもしれない。
セドリックは今頃、大忙しだろう。王宮内だって、犯人探しや管理状態の確認、国内外への情報開示に向けた話し合いなど、当分落ち着かないはずだ。
唯一、クリスティーナが命を落としていないことが幸いである。
「犯人は?」
それは誰もが考える疑問であろう。
クリスティーナは病弱であるがため、王族の仕事をほとんどしていないし、影響力も少ない。王太子や公務をこなしている第三王女のチェルシーが標的にされたならば犯人も絞りやすいが、殺害目的がわからない分、犯人の絞り混みも難しく思えた。
なにより、もし毒物を使用したのであれば、騎士の検査を抜けてきたことになる。今朝、騎士達の表情が恐ろしいほど厳しかったのはそのためだろう。
今後、王宮内がどのような状況になるのか。
うーん、と顎に手を当て考え込むシェルリア。そんな彼女にミリアは意を決して声をかけた。
「ねぇ、シェルリア。落ち着いて聞いてね」
「……なに?」
ミリアの声があまりにも重々しかったため、シェルリアの顔が強張る。
「昨夜、クリスティーナ様に対応したのは特別王宮薬師様ではなかった」
「どうして?」
患者を選ぶ権利があるとはいえ、王族を特別王宮薬師が見捨てることはそうそうないはず。クリスティーナとは少々複雑な関係のようにも感じられたが、王宮にはセドリックだっていたはずだ。
もしや自分と小屋の前で会っていた時に発生し、連絡が届かなかったのか、とシェルリアは思った。
それでも、セドリックのことだから、王宮に戻って一報を聞けば駆けつけるはずだ、という考えに至り首を捻る。
しかし、答えはもっと単純で、思いもよらぬものだった。
「特別王宮薬師様が誰も王宮にいらっしゃらなかったからだそうよ」
「え? そんなはずないわ。だって、セドリックがーー」
「セドリック・ランベル様は今、行方不明なの」
シェルリアは鈍器で頭を思い切り殴られた感覚に陥った。言葉すら出てこない。
唖然、困惑、恐怖……どれが当てはまるのかもわからなかった。
頭の片隅で、そんなはずないと訴えてくる声が聞こえる。けれど、その声は無情にも叩き落とされた。
「ランベル様が犯人なのでは、という噂がチラホラ出始めているわ」
「そ、そんなはずーー」
「えっ! ちょっーーシェルリアっ! しっかりして! シェルリア!!」
完全にシェルリアの頭は要領をオーバーしていた。さぁと血の気が引いていく。ミリアの声がやけに遠くに聞こえた。
そしてそのまま、シェルリアの視界が闇に染まっていく。
『約束したのに……』
そう心が鳴いた気がした。




