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正解は……

 王宮とは、いつ、どこで、誰に、見られているのかわからない場所である。

 それ故、常に見られている意識を持ち、どんな立ち振舞いでも美しく映るようにしなければならない。


 侍女となれば特に、行動一つで(あるじ)の評価へ直結するのだから、無様な姿はもちろん、弱味を見せるなんてもっての他だ。

 ゴシップネタもしかりである。噂好きの多い王宮では、あっという間に広まるからだ。



 では、その考え方からいくと、シェルリアは今、どの行動を選択すべきだろうか。



  「あら? 前から来るのは……王宮薬師様かしら?」



 隣を歩く同僚ミリアは何の気なしに、目に入った光景を口にしたに違いない。

 広い王宮の廊下の真ん中を堂々とした佇まいで歩いている集団。エリートである彼らは、そこに存在するだけで人々の視線を集めていく。



「先頭にいらっしゃるのは、セドリック・ランベル様だわ。廊下をお譲りしなくちゃね」



 なかでも、白いローブを纏うセドリックは目立つ。見た目もさることながら、特別王宮薬師という役職は、アルリオ王国において名誉ある地位だからだ。

 皆、自然と廊下を譲る。そこに爵位は関係ない。


 もちろんミリアの言う通り、シェルリアだって廊下を譲る。

 以前、考え事をしていたせいで道を譲らず、反感をかったこともあるが、あれは失敗例だ。



 さて、ここでシェルリアの頭を悩ませていることとは、道を譲る際、セドリックに軽い会釈なり、何かアクションを起こすべきか否かということである。


 ランベル伯爵家の温室でセドリックと言葉を交わしたのは、昨夜のこと。

 あの後、あまり遅くなるのは良くないからと、寮まで馬車で送ってもらったのだが、胸がいっぱいすぎて、セドリックと今後について話し合う時間をとることができなかった。


 シェルリア、一生の不覚である。



 今までは周りに気づかれないようこっそり小屋で会っていた。

 よくよく考えてみれば、それ事態が凄いことで、シェルリアは今後もそれで十分なのでは、とも思っている。


『好き』という嬉しい言葉を送ってもらいはしたけれど、ここは貴族社会だ。今後、セドリックの地位に見合った婚約者が現れるかもしれない。

 一度噂になれば、広まった噂を消すのは難しい。もし自分(シェルリア)とのことでセドリックの足を引っ張ったら、と考えればシェルリアの答えは簡単だ。


 好きな人と結ばれたいなんて恋に恋する乙女のような夢を、シェルリアはもう持ったりしない。

 恋は実生活の中でするもの。心と現実世界は切っても切り離せないのだから。


 ただ、昨日、『貴方の思い出は私が記憶します』的な大それたことを言った人間が、次の日には目も合わさないで完全スルー……なんてことをしてもよいのだろうか。

 子爵家の娘でしかないシェルリアが、である。


 セドリックに伝えた昨夜の言葉はシェルリアの本心だけれど、自分の寮の部屋で、一人考えれば考えるほど、身の程知らずな発言に思えてしかたがなかった。


 いっそ王宮では会えなきゃいいのに、とまで思ったものの、実際に遭遇してしまうと、内心では姿が見られたことに浮き足立っているのだから始末に悪い、とシェルリアは己自身に呆れ、頭を抱える。


 そんな葛藤をしている間にも、王宮薬師の集団はシェルリアとミリアに近づいてきた。


 さっとミリアが壁側に寄るのを視界の端でとらえたシェルリアは、反射的に身を廊下の端に寄せる。

 頭はパニックに陥っていても、体に染み込んだ上下関係は正直だ。


 少し先では、シェルリア達のように侍女が廊下を譲っているのが見てとれた。

 王宮薬師はエリートとはいえ、王族ではないのですれ違い様に頭を下げる必要はない。けれど、恥ずかしげに俯く彼女達は、一団が通りすぎると声にならない悲鳴をあげ、顔を近づけ興奮気味に言葉を交わしているようだった。


 セドリックと出会ったばかりの頃のシェルリアならば、あまり共感できなかっただろうが、今ならば彼女達の気持ちがよく理解できる。


 靡く金髪は太陽のように眩しく綺麗で、穏やかな眼差しを浮かべる金の瞳は吸い込まれそうな錯覚に陥る。スッと通った鼻筋も色っぽい唇も、案外男らしい首もとや手も……セドリックの全てが視線を引き寄せる材料だ。


 セドリックの隣を歩く薬師の手元の資料を覗き込み、何やら言葉を交わしている様子からすると、セドリックは今日も忙しいようである。


 昨夜、セドリックの屋敷から帰る際、執事見習いのロビンが寮までシェルリアを送ろうとするセドリックに言っていた言葉を、シェルリアは耳にしていた。



『さすがにこれ以上のご無理は見逃せません。今日ぐらいはお休みください』



 その瞬間、シェルリアはハッする。そして、反省した。

 最初にセドリックの姿を見た時、確かに顔色が悪いと気づいたはずなのに、途中からいっぱいいっぱいで忘れていたのだ。


 休む暇もないほど忙しかったのだろうか。いや、特別王宮薬師ともなれば、依頼はひっきりなしに来るだろう。

 そこで休憩を取らないのは、病気や薬学と真剣に向き合うセドリックらしいところとも言える。


 とはいえ、正直に言えば心配だ。

 無理のしすぎで倒れてしまわないだろうか。


 シェルリアの視線は自然とセドリックの体調を探るように上がっていった。

 血色はさほど悪くなく、目の下の隈も見えない。昨晩はしっかり休息をとれたようだ。


 シェルリアはホッと安堵の息を吐く。

 すると、その瞬間、バチッと金色の瞳と目が合った。


 この時、シェルリアがまず一番に感じたのは、トキメキやら喜びではなく、『しまった!』という焦りである。

 いつの間にかまじまじと見すぎていたに違いない、とシェルリアは咄嗟に目を反らした。


 今まで周囲に知られぬよう、こっそりと会ってきたのだ。それは、セドリックの配慮であり、シェルリアが一方的に壊していいものではない。

 これまでのセドリックであれば、シェルリアの意図を汲みとり、知らぬふりをしてくれるはず。シェルリアはそう思っていた。


 だが、実際はーー



「やぁ、こんにちは、シェルリア」



 それは、とても自然で爽やかな挨拶だった。

 けれど、在り来たりな挨拶文だというのに、セドリックが口にしただけで何か特別な言葉にすら思えてくる。



「こんなところで会えるなんて」



 現に、特別王宮薬師のセドリックから声をかけられることは、とても貴重で、特別なことだ。

 それは時が止まったのかと思わせるほどピクリとも動かない周囲の様子で一目瞭然である。



「すごく嬉しいな」



 わざわざ足を止め、シェルリアの手をとったセドリックはくしゃりとそれはそれは嬉しそうに笑った。

 ただし、王子様に手をとられたお姫様の口が、目の前の状況を飲み込めず、間抜けにもあんぐりと開いていたのは言うまでもない。


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