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兄の助言

 カタカタと規則正しい車輪の音と小刻みな揺れが体に伝わってくる。

 小さな窓からもれ入る太陽の光が心地よく、あくびが止まらない。気を抜けば、夢の世界へ引っ張られそうだ。


 シェルリアは今、王都にあるモンスティ子爵の別邸に向かっていた。兄のコンラッドが手配した馬車に乗り、賑わう街中を抜けている。


 郊外付近に近づくと、赤い屋根の大きな屋敷が現れた。小さな庭のあるそこが、目的地であるモンスティ子爵の屋敷である。

 貴族の中では、それほど大きくないけれど、幼い頃から使っているため愛着もある。けれど、シェルリアとっては久しぶりの訪問でもあった。


 馬車が門を抜け、玄関扉の前に停車する。

 すると、玄関扉が勢いよく開き、一人の男が駆け出してきた。このような振る舞いができるのは、この屋敷に一人しかいない。



「待っていたよ! シェルリア!」



 両手を広げ、全身で喜びを表しているのはコンラッドだ。シェルリアは馬車の扉を開けてくれた従者の手を借りて、ゆっくりと降りながら、苦笑いを浮かべた。


 馬車が到着したと同時に現れるコンラッドには慣れていて、使用人たちも反応を示さないが、兄の愛が異常に重い。そわそわと落ち着かずに待っているコンラッドが容易に想像できる。

 とは言え、こんなコンラッドではあるが、シェルリアは兄が嫌いではないので、屋敷内であれば兄の愛をしっかりと受け止めるつもりだ。



「お出迎えありがとう、お兄様」



 にこりと笑ったシェルリアを見て、コンラッドの表情がドロドロと溶けていく。

 だが、それも一瞬で、コンラッドはシェルリアに近づくと険しい顔をして、シェルリアの頬に両手を添えた。



「どうした……この隈はなんだ? 目も……何かあったのか? シェルリア、心配事か?」

「え、あ、いえ……」



 コンラッドの勢いに押され、シェルリアは言葉を詰まらせる。

 しっかりと化粧を施し誤魔化せているつもりだったが、コンラッドの目には敵わないらしい。


 化粧を落とすとはっきりわかるのだが、シェルリアの目の下には濃い隈ができており、目はうっすらと充血していた。

 コンラッドに会えば追求は避けられないと思い、シェルリアはなるべくコンラッドに会わないよう王宮で避けていたけれど、里帰りが数日後に迫った今、荷物などの関係で屋敷を訪れざるおえなかった。



「少し寝不足で……」

「少し? その程度の問題か? これはまずい……早く横にならなければ」



 コンラッドは必死な形相でシェルリアを半ば強引に部屋へと連れていき、ベッドに寝かせた。こうなると何を言っても駄目だと知っているシェルリアは、されるがままだ。



「お腹は空いていないか? 音楽! 癒しの音楽なんてどうだ? ひとまず眠るか? あぁ、そうだ。今日は泊まっていきなさい。明日、王宮に送ってあげるから。いや、休んだほうがーー」

「お兄様! 私は大丈夫」



 このままではコンラッドが暴走してしまうと、シェルリアは慌てて止めた。



「こうなったのだって、全部自分が望んでした結果だから」

「……どういうことだ?」



 コンラッドは困惑した表情を浮かべつつ、話を聞く気なのかベッド横の椅子に腰をおろす。そんな兄の優しさにシェルリアは情けない笑みを返した。




 セドリックに別れを告げられたあの日の夜から数日が経った。

 あれからシェルリアはずっと考えている。セドリックのことを。



「ある人に、もう会えないと言われたの。私は何故なのか理由がわからないし、その人が何に苦しんでいるのかもわからない。その人が望むのなら、私はもう会うべきではないんだろうな、と思うの」



 シェルリアはセドリックが自分を嫌いになったから言ったのではない、ということは何となく理解していた。セドリックが向けてくる感情ははっきりとわからないけれど、嫌悪感を抱いているようには思えない。

 ならば、シェルリア自身が何かセドリックの傷つくことをしたのか、と考えては見たけれど、思い付くのは過去を聞き出したことだけ。


 過去のあの出来事をセドリックは思い出したくなかったのか?

 ならばなぜ、会い続けてくれたのか?


 考えれば考えるほどセドリックのことがわからなくなった。

 そして、それと同時にセドリックに無性に会いたくなった。


 思い出すのは、セドリックとの楽しいことばかり。彼の笑顔や笑い声、熱心な眼差し、真剣な表情。なにより、自分の名を呼ぶ優しい声。


 驚くほどにシェルリアの中は、セドリックとの楽しい思い出でいっぱいだった。

 それなのに、急にぽっかりと抜けてしまったその穴はあまりにも大きくて、どうしたらいいのかわからない。


 シェルリアの足は、自然と秘密の小屋へと向かっていた。

 毎夜、来るかもわからないセドリックを待つ。『忘れ屋』の仕事で来るかとも思ったが、セドリックは一切来なかった。


 小屋にあった薬草の本は、新しくなることがなくなり二周してしまった。紅茶も切れて、自分で持ってきた。


 以前はドキドキ高鳴っていた心臓が、今はとても苦しく感じる。

 そこでやっと、シェルリアはセドリックが来るかもしれないという期待を抱きつつ今まで待っていたのだと気がついた。


 最初は小さいと思っていた小屋も、今は広く感じる。

 待っていても仕方がないのにやめられないのは、諦める材料がないからか……いや、それだけではないだろう。



 ゲイルは、シェルリアにとって憧れの人で追い付きたい人だった。

 そのために、勉強や見た目、話し方、マナー、何もかもを懸命に見につけて、早く女性としてゲイルの隣に立っても恥ずかしくない自分になりたかった。


 嫌われないようゲイルの好みに合わせ、気持ちを汲み取り、聞かれたくなさそうなことは気になっても口にしない。そうすれば、ずっと側にいられると思っていた。

 けれど、シェルリアは裏切られてしまった。凄くショックだった。悲しくて、苦しくて、腹が立った。そして、すーっと心が冷たくなった。



 でも、セドリックは少し違う。最初の出会いは最悪で、なるべくなら関わりたくない人だった。

 セドリックのためにシェルリアは何もできなくて、それなのに彼はたくさんのものをくれた。たまに少し強引で、だけどそれも全てシェルリアのため。


 シェルリアの薬草に対する情熱も受け入れ、それ以上の熱量で返してくれる。

 ひどい言葉を叩きつけたことだってあって、それでも彼は優しく許してくれた。



 よくよく考えてみると、シェルリアはゲイルに対しては嫌われたくなくて尽くせるだけ尽くしてきたが、セドリックに対しては尽くすどころか甘えまくっていた気がするのだ。



「あの人を苦しめているのが私なら、もう苦しめたくはないし、甘えてばかりだった私が、これ以上迷惑をかけることもしたくない。そう思ってるの。思ってるのよ? でも……やっぱり会いたい。できることなら、救ってあげたい。ねぇ、お兄様。こんな考え、おこがましいかな?」



 ポロリとシェルリアの瞳から大きな涙の粒が零れ落ちる。一度溢れると我慢がきかないのか、それまで落ちるのを耐えていた涙達がボタボタと布団の上に落ちていった。


 コンラッドはゆっくり立ち上がると、シェルリアの頭をそっと抱き締める。



「相手の気持ちを汲み取るというのは、とても難しいことだ。失敗して、相手に嫌われたり、悲しませたりすることもあるだろう。でも、シェルリアは汲み取るのが上手だと、俺は思ってる。上手だからこそ、悩むんだ。でもね、ぶつかることも時には必要だ」

「……ぶつかる?」

「シェルリアは納得できていないんだよね? それは相手がシェルリアに甘えている証拠でもあるんだよ。察してくれと押し付けられて、シェルリアが我慢すれば解決なんて公平じゃないだろう? シェルリアにだってぶつける権利はある」



 シェルリアは咄嗟に首を振った。コンラッドの手が頭から離れ、赤い瞳同士の視線が合わさる。



「でも、それで相手を傷つけたら?」

「そうやって逃げてたら、相手のことはわからず仕舞いだ。シェルリアはその人の側にいたいんだろう? それなら、傷つけることも、傷つくことも覚悟しなきゃ駄目だね。人を愛することに一方通行はあり得ないよ」

「愛する……」



 シェルリアの頑なな気持ちが、観念した瞬間だった。



「……やっぱり、私、セドリック様が好きなんだ」

「あー、うん、そうか。いや、なんとなくわかってたけど、そうか……シェルリア、あんなこと言ったけど、やっぱりお兄ちゃんはもう少し考えてみたほうがいいとーー」

「お兄様、どうもありがとう。お兄様に相談して良かったわ!」



 あまりにもシェルリアの笑みが嬉しそうだったので、コンラッドは口を閉ざす他なかった。あぁ、やっぱり我が妹は可愛いなぁ、と現実逃避をして涙を飲み込む。



「そういえば、お兄様。以前、私に『小さな薬師様』の正体がわかったって言ってたけれど、どうしてわかったの?」



 沈んでいた気持ちが浮上したことで、シェルリアは思っていた疑問を口にした。

 なんせ会っているシェルリア本人ですら、セドリックにヒントを教えられるまで気づかなかったのだ。なぜ、小さな薬師様を見たことのないコンラッドが正体に気づいたのか。


 コンラッドは一瞬表情を曇らせた。言うべきなのか思案している様子だ。



「お兄様?」

「……そうだな、良い機会なのかもしれない」



 コンラッドは小さく息を吐き、ベッド横の椅子に座り直した。



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