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星空の下で(中)

 目を大きく見開いたまま、人形のように固まっていたシェルリアは、徐々に冷静さを取り戻しつつある頭で、現状を把握しようと必死になっていた。

 シェルリアの視界は真っ暗で、一番事情がわかっているはずのセドリックはシェルリアを抱き締めたまま何も言葉を発してくれない。


 シェルリアの肩に顔を埋めるセドリックのサラサラな髪が耳に触れてくすぐったくて、シェルリアを抱きとめる胸筋はイメージしていたよりも硬く、締め付けてくる腕もがっちりしている。研究ばかりしているわりにセドリックは筋肉質だった。


 それも当然で、特別王宮薬師は貴重な存在故に、誘拐など危険なことに遭遇しやすい。そのため自分の身を守る術として、セドリックは幼い頃から剣術や体術をある程度身に付けていた。とはいえ、シェルリアがそんなことを知るはずもなく、予想以上に男らしいセドリックの一部が発覚し、バクバクと心臓が悲鳴をあげていく。


 どうにかしなければ、とは思っているのに、なんと声をかければいいのかわからず、シェルリアは無駄に口をパクパクとさせ、音にならない言葉を発していた。



「……すまない。もう少しだけ」



 それは掠れていてとても小さな声。普段ならば聞き取れなさそうな音量だけれど、耳もとで紡がれた声にシェルリアはピクリと反応する。

 ただ言葉を発しているだけでも彼の持つ男としての魅力が漏れ出ていて、その威力にシェルリアは耐えられず赤面した。


 意識しすぎなのかもしれない。だけど、心臓がはち切れそうなほど苦しくて、シェルリアは息の仕方を忘れてしまいそうだった。



「俺()凄く会いたかったんだ」

「……えっ!?」



 シェルリアは思わずセドリックの胸を強く押す。案外、包み込む拘束は簡単に解かれ、シェルリアの目の前には膝ま付いた状態で真っ直ぐ見つめてくるセドリックの顔があった。そのあまりの近さにシェルリアは息をのむ。



「苦しかったか? すまん、力が入りすぎたみたいだ」

「え! あ、いえ、違うんです! さっき、() って……」



 シェルリアは完全に動揺していた。先ほど誤魔化しが成功したと思っていた自分の恥ずかしい言葉を、セドリックはちゃんと聞き、理解していたとわかってしまったからだ。


 セドリックもシェルリアの言わんとしていることがわかったのだろう。誰もが見惚れるだろう甘く優しげな笑みを返してくる。

 その微笑みを見た瞬間、シェルリアは咄嗟に手で顔を隠す。自分がどんな顔をしているのか考えるだけで恐ろしかったのだ。もはや誤魔化しが効かぬほどに顔も耳も真っ赤である。



「こんなことを言ったら気味悪がられるかもしれないが、ここはシェルリアさんと唯一共有できている空間だから、俺にとっては特別で……ここに来たら少しはこの気持ちが和らぐかとーー」

「……気持ち?」



 シェルリアは恐る恐る指の隙間からセドリックを盗み見る。金色の瞳と目があうと、セドリックはふっと小さく笑い声を溢した。



「今日、少しだけ薬師として反発したんだ。今まで必死に勉強してきたけれど、力はまたまだ半人前。だけど、プライドだけは高くて。皆は特別王宮薬師というだけで俺を評価するが、自分の理想の薬師には程遠く、自信がなくなっていた。だから、自分は薬師だ、と胸を張って言えたことに自分自身驚いて、その瞬間、シェルリアさんに凄く会いたくなったんだ」

「私、そんなふうに思ってもらえるようなことは何も……」



 シェルリアは困惑した表情を浮かべる。

 大体、シェルリアはセドリックに何かしてもらうばかりで何もしていないのだ。セドリックが何故ここまで自分を評価してくれるのか、シェルリアは全くわからなかった。


 一方、セドリックはそんなことはないと大きく首をふる。



「シェルリアさんはいつも俺を、伯爵家の長男でもなく、特別王宮薬師でもなく、薬師として扱い評価してくれた」

「それは当然ですし、皆さんだってセドリック様のことをーー」

「違うっ! 俺はシェルリアに認めてもらえるような薬師にならなくちゃーーっ!」



 言葉の途中にも関わらず、セドリックは口を不自然に開けたまま動きを止めた。それは、シェルリアも同様だった。


 セドリックの発言は明らかにおかしい。

 シェルリアは一般よりも薬草に精通している以外、どこにでもいるような女性だ。見た目も普通だし、家柄だって王宮の中では下の方で、仕事もただの侍女である。


 セドリックはシェルリアだけが薬師として扱ってくれる、というようなことを言っているが、そんなはずはないだろう。シェルリアが認めなくなって、セドリックは立派な薬師だと皆知っている。

 第一、シェルリアよりも皆に評価される方がいいに決まっている。


 よくよく考えてみれば、引っ掛かることはたくさんあったのだ。

 初対面から告白まがいのことをされたし、チェルシーもセドリックとシェルリアの間にある何かを知っている様子だった。ただの子爵の娘でしかない侍女の嘘を許し、秘密の小屋の合鍵まで渡してくる。


 何故そこまでするのか。

 仲良くなったから? 会いたいと思うくらいには心を許してくれているから?


 いいや、なにかが違うとシェルリアの心の奥が訴える。

 秘密がバレただけで『忘れ屋』の手伝いをさせるか? セドリックとチェルシーの仲ならば断ることだって可能だったはずだ。

 あの時、チェルシーはなんと言っていたか……



『貴方が覚えていないだけ』



 確か、拒絶を示していたはずのセドリックはその後すぐ、シェルリアの件を引き受けた。



 記憶



 そう、それは、セドリックと会った最初から、大きな意味を持ち、シェルリアを振り回してきた。



「……私、今日はセドリック様にお礼を言いたかったんです」

「お礼?」



 突然話題を変えてきたシェルリアに、セドリックは困惑した表情を浮かべている。



「はい。私、『忘れ屋』を訪ねた時、自分を裏切った恋人との記憶を消してほしいとお願いしました」



 途端にセドリックの表情が険しくなった。



「でも、セドリック様は『前を向くための記憶』だと私を説得し、消してはくれなかった。……今日、その男性と久しぶりに会いました」

「え?」

「自分でも驚くほど冷静でいられましたし、彼の見えなかった……いえ、見ようとしていなかった部分にも気づけました。きっと、乗り越えられたのだと思います」



 へらりと笑ったシェルリアに、セドリックは「そうだったのか」と固い声を返す。



「それも全てセドリック様のおかげです。この数週間、彼のことを考える余裕なんてなかった。出会って早々セドリック様に喧嘩腰で口答えして、嘘までついて、『忘れ屋』の手伝いをして、許してまで貰えた。大好きな薬草を語り合えもした。色んなことがあって、いつの間にか悲しみとか怒りを忘れてしまったんです。だから……記憶を残してくれたことも全部含めて、ありがとうございました」



 座った状態のままだったので、シェルリアはペコリと頭を下げた。その頭をセドリックは悲痛な表情で見つめている。



「……だからこそ、思うんです。どうしてここまでしてくれるのかって」



 バッとシェルリアが顔を上げる。先ほどまでの笑顔は消え去り、シェルリアの顔に浮かぶ表情は、全てを見逃すまいというような真剣なものに変わっていた。



「私、『忘れ屋』で会う以前に、セドリック様と会ったことがありますか?」




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